現代社会の「老い」―短歌に詠まれた「老い」を通して(3)

 前回参照した小高賢『老いの歌』(岩波新書)の発行年は2011年である。その本の中で、小高賢は次のように書いている。

「書店の高齢者コーナーに立ってみると、恐ろしいほど老い関連の書籍が並んでいる。介護の諸問題から一人暮らしの知恵まで、ありとあらゆるジャンルの本が揃っている。」(p.76)

 そして以下の書物が挙げられている。

 『全国有料老人ホームガイド』『高齢者のための全国病院ガイド』『認知症にならないための決定的予防法』『物語介護保険』『イタリア式老楽術』『老いの探求』『ボケる人、ボケない人の生活習慣』『ご隠居の底力』『おひとりさまの老後』『老いとこころのケア』『いまどきの高齢者事情』『高齢者の孤独』『認知症と回想法』

 今年2026年は、その小高賢の新書発行から早くも15年目の年を迎えたことになる。私の手元だけでも、「老い」関連の書物が知らないうちに増えている。

 竹内敏晴『老いのイニシエーション』1995、岩波書店

 樋口恵子『老いの福袋』2022.中央公論新社

 黒井千次『老いの深み』2024、中公新書

 阿刀田高『90歳、男のひとり暮らし』2025、新潮選書

 内田樹『老いのレッスン』2025、大和書房

 林 望『リンボウ先生老いてのたのしみ』2025.祥伝社新書

 池田清彦『老いと死の流儀』2025.扶桑社

 高橋源一郎『ぼくたちはどう老いるか』2025.朝日新書

 以上は、偶然のことだろうが、男性の著者ばかりである。しかし、女性でも、2021年11月、99歳で亡くなった瀬戸内寂聴を初め、歌人の馬場あき子(97歳)、サトーハチローの異母妹佐藤愛子(102歳)など、長寿でありながら元気いっぱいの女性も少なくはない。

 思い返せば、1996年、99歳で亡くなった作家宇野千代が、生前に「私、何だか死なないような気がする」と呟いて周囲を驚かせたものだが、「元気な老い」もまた、一方では次第に数を増してきている。その意味では、かなりの人々が、人間の生物体としての限界までギリギリ生きられるようになってきた時代、「老い」とは、あえて特別に問題視するような事柄ではなくなりつつあるのかもしれない。したがって、「若い」時、「働き盛り」の時の「人それぞれ」と同様、「老い」もまた、それこそ「人それぞれ・・・」と、普遍化しつつあるのだろう。

老いと回想

 生きてきた年月が長くなると、当然ながら振り返る「過去」も長く多彩になる。当人にとっては、懐かしく貴重な回想ではあるだろうが、時としては、押しつけがましくもなる。ただ、次の土屋文明の歌などは、作者の個別性ゆえに「幼き日々」への共感を呼ぶ力をもっているのかもしれない。

 幼き記憶たどりたどりしはてにして李の木下のたらひの湯あみ

 何にじれ伯母のベッ甲櫛投げうちし一生の記憶始まる三歳

 小学一年ほうせん花の種わかち合ひき三十朗君五太夫君

                    (『青南後集以後』)

 昨年2025年は、「昭和100年・戦後80年」であった。日本の太平洋戦争に徴兵され戦後を生き延びた世代が、いよいよ少なくなる時代である。

 私の父とほぼ同世代の川口常孝(1919年生まれ)は、晩年の歌集『兵たりき』で、次のような歌を詠んでいる。第一回目の学徒出陣で中国戦線に送られた初年兵として、やはり日本の戦場の実態を、老いてなお、いや老いたからこそ詠わざるをえなかったのであろう。

 性病を持たぬ慰安婦を真っ先に軍医が抱けり検診終えて

 強姦をせざりし者は並ばされビンタを受けぬわが眼鏡飛ぶ

 犯されしままに地上に横たわる女を次の兵また犯す

 犯したる女は殺せ戦争はかかる不動の法則を生む

                    (『兵たりき』)

老いと孤独

 近藤芳美といえば、「時代や社会を詠う」、いわゆる「社会詠」の歌人として有名だった。1913(大正2)年生まれ、2006年に93歳で亡くなっている。

 最晩年に、夫婦二人でケアつきマンションに入居していたという。一般的には「恵まれた」晩年の暮らし、と言えそうだが、例えば次のような歌を残している。

 妻の鬱なおいつまでか黙し合うのみの一と日の昏れなずむころ

 ながきながき思い心に重ねつつ老年というさびしき時間

                       (『岐路以後』)

 近藤芳美より少し先輩の木俣修(1906・明治39年生まれ)の場合も、「戦後ずっと続く旺盛な仕事ぶりは群を抜いていた」と言われるエネルギッシュな歌人であった。しかし、74歳の時に脳梗塞で倒れ、さまざまな障害で苦しみ、76歳で亡くなっている。残された歌は、かなり切ないものが多い。

 屈(こご)むとし立つとしわが身を支へ来し杖を寿命(いのち)の杖とし思ふ

 書く文字もわれに背きてゆくならし末小さくなりて右方に寄る

 耳遠くなりて聞こえぬこと多く過ごす冬日の早も昏れゆく

                        (『昏々明々以後』)

「砦」としての家族?(連れ合い・主に妻、子、孫、曽孫) 

 以上、人間の「老い」には、先行きの短さ、体の不調・変調、容貌の衰え、等々

「不安・寂しさ・孤独感」が付いて回ると思われている。そこで、多くの人は、連れ合い(多くの場合は、「妻」)や「子ども・孫・曽孫」に自分の「生きがい」や「ぬくもり」を求めようとするのであろう。

 年老いて娘の宅を訪ねるは嫁いで実家に帰るに似たり(石田敏子『老いて歌おう』)

 物忘れ耳遠くなり常日頃娘の小言さからわずきく(黒沢静子・同上)

 貰いたる遺品のひとつが車椅子ははの指紋が残りしままの(鍋倉文子・同上)

 よぼよぼのこんなばばでも頼られてひ孫の笑顔生きるたのしみ(岡本みや子・同)

 また、日本の結婚や家族の風習から、これまでは「夫が年上」「妻が介護」というカップルが多数派であった。それゆえだろう、一見甲斐甲斐しい妻の介護で、夫は安心しさらに妻に感謝しつつ命を終える・・・という光景も珍しくはなかった。

 老ふたり互いに空気となり合ひて有るには忘れ無きを思はず

(窪田空穂・『去年の雪』)

 死ぬときは死ぬとかならず言つてよと泣きゆきし妻しづかになりぬ

 要介護などと認定さるるとも俺は生きるぞよろしいか妻

 縁の椅子までの五、六歩杖なしにけふは歩めり妻に見せんため

                      (竹山広『眠ってよいか』)

 朝毎にわが尻を拭く妻の手の温もり著(しる)き大寒の今日

 われを支えまたも転びて骨折せる妻の湿布の胸を見ている

 あなたの心が安らげば私も安らぐと言う妻のため安けくありたし

                      (川口常孝『命の風』)

 耳遠き妻と入歯の合わぬ我会話無きまま夕餉すませぬ(松村勝行・朝日新聞)

 見舞ひくるる妻の足音待ちにつつ今日のひと日の暮れてゆくなり

                         (野中曉『短歌』2011.3)

 以上の歌は、いずれも「老いてなお頼られる喜び」「老いて頼れる妻への感謝」等々、家族(子、孫、曽孫および多くは妻)があってこその安らぎが詠われている。

 しかし、今では多くの人が気付いているだろう。ここには日本の家族の長年のトリック(制度に支えられた願望)があること――つまりは、「妻の夫の介護は当たり前」「家族は最後まで仲睦まじい」という性差別と幻想と。したがって、夫婦、親子、兄弟姉妹もまた、決して無前提に「仲良し」ではなく、それぞれの性格、状況によって多様な関係を築くものとして、クールに向き合うべきであると。

これからの「老い」と「社会」

 少なくとも国内で「戦争」がなかったこと、栄養状況の進化、医療の高度化・・・等々が相まって、日本は殊の外、「高齢化」が進んできたのかもしれない。

 しかし、その流れの中で見えてきたこと。

一つには、個々人は、老いても「人」としてはさほど変わらないということ。

いま一つには、「老い」には、さまざまな障害や病気を抱える人が増える、ということ。

 したがって、「老い」て生きる人々自体が、さらに社会の「多様性」をプッシュするであろうこと。

 このように考えてくると、これまで、若くして病気とともに生きざるを得ない人、あるいは、目や耳の障害、大脳や感覚の麻痺・障害を抱えながら生きざるを得ない人々が、わざわざ「障碍者」として括りだされていたことが、疑問視されざるをえなくなるだろう。

 最後まで「元気」のまま、その生を閉じる人は皆無ではないけれど、しかし、多くの人々は、目・耳その他の感覚器官の衰えや、さらには大脳自体の老化、機能不全を発症する、のが普通である。

 そうだとすると、「若き障碍者」から学ぶべきことは多く、人というものは、「障碍」を身近に抱えつつ生きるものだと、改めて納得するであろう。(了)

                              2026.1.8

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/                            〔eye6095 : 260111〕