はじめに──シミュレーションの時代における違和感
今日、人工知能は「人の心」を驚くほどの精度でシミュレートし始めている。感情分析、意思決定モデル、言語生成──かつて内面の深奥に属すると考えられていた領域が、計算可能性の地平へと引き寄せられている。この事態は、単に技術的進歩として受け止められるべきなのか。それとも、近代以降われわれが当然視してきた「合理性」「主体」「内面」という枠組みそのものを問い返す契機なのか。
本稿は、後者の立場に立つ。すなわち、人の心が容易にシミュレート可能になった今日であるがゆえに、かつて近代合理主義の外部として退けられてきたロマン主義的思考が、あらためて重要な参照点として立ち現れている、という仮説を提示したい。その「よすが」として、ドイツ・ロマン主義をめぐる思想史的論争──ルカーチ、カール・シュミット、ハイデガー、そして日本における橋川文三(1918–1983)の批判──を再配置する。
1. 橋川文三という起点──戦後思想史におけるロマン主義問題
本稿の起点は、あくまで橋川文三である。橋川が『日本浪漫派批判序説』において試みたのは、日本浪漫派を戦前思想の一エピソードとして処理することではなく、近代日本が引き受けそこねた思想的責任の凝縮点として捉え返すことであった。
橋川にとってロマン主義とは、感傷的復古でも文化保守でもない。それは、西欧近代合理主義を移植する過程で生じた断層──主体、歴史、国家、死──を、理念的にも制度的にも処理しきれなかった地点に噴出した思考形態である。したがって彼の批判は、日本浪漫派の文学的価値や心情的真実性を否定することではなく、その思考がどこで政治と歴史に触れ、どこで逸脱したのかを問う点にこそあった。
この橋川の問題設定を踏まえるとき、ロマン主義は単なる反近代ではなく、近代合理主義そのものが生み出した内在的余白として理解される。
2. ヘーゲルの位置──ロマン主義を通過し、閉じる試み
ここでヘーゲルの位置を明確にしておく必要がある。なぜなら、ロマン主義をめぐる議論は、ヘーゲルをどう配置するかによって、その評価軸が決定的に変わるからである。
ヘーゲルは、啓蒙合理主義を単純に擁護した思想家ではない。むしろ彼は、悟性(Verstand)的な合理主義がもたらす抽象性と分裂を、徹底的に批判した思想家であった。その点で彼は、ロマン主義と問題意識を共有している。主体と客体、理性と感性、個と共同体の断絶──これらはヘーゲルにとっても克服されるべき近代の病理である。
しかし決定的な差異がある。ロマン主義が、その断絶を感情・詩・象徴の次元で保持し続けたのに対し、ヘーゲルはそれを概念によって媒介し、止揚し、閉じようとした。彼の弁証法は、ロマン主義的否定を一度は引き受けつつ、それを全体性のうちに組み込み、歴史の理性として再構成する装置である。
この意味でヘーゲルは、ロマン主義の「内在的批判者」であり、同時にその「終結点」でもある。ロマン主義が開いた余白を、国家・倫理・制度の次元で回収しようとした最後の体系的試み──それがヘーゲルである。
3. 近代合理主義とその余白
啓蒙以降の近代合理主義は、世界を計算可能な対象として把握することによって、科学・法・制度・経済の飛躍的発展をもたらした。しかし同時にそれは、感情、歴史、詩、宗教、共同体といった要素を、非合理的なもの、あるいは前近代的残滓として周縁化してきた。
集合論的に言えば、近代合理主義を集合Aとするならば、ロマン主義はしばしばその余集合¬Aに属するものとして理解されてきた。重要なのは、ロマン主義が単なる「反近代」や「前近代への回帰」ではない点である。それは合理主義を一度通過した上で、その欠落や断絶を感受し、別様の世界経験を回収しようとする試みだった。
2. ルカーチ──ロマン主義の歴史的分化
ルカーチ、とりわけ『ドイツ文学小史』におけるロマン主義理解は、この点で示唆的である。彼はロマン主義を一括して断罪するのではなく、ブルジョア社会の成立過程における矛盾への反応として、内部的に分化した現象として捉えた。
反動的ロマン主義は中世的秩序への逃避として否定されるが、他方でロマン主義が捉えた疎外や分裂の感受性そのものは、現実主義文学へと媒介されうる契機として評価される。ロマン主義は行き止まりであると同時に、次なる展開への「症候」でもあった。
3. シュミット──政治的ロマン主義批判の鋭さと限界
カール・シュミットは、ロマン主義を政治理論の観点から徹底的に批判した。彼にとってロマン主義とは、出来事を行為や決断の契機としてではなく、美学的観照の「きっかけ(オカジオン)」として消費する態度であり、政治的責任を回避する無責任な立場であった。
この批判は、日本浪漫派を分析した橋川文三においても有効に援用されている。しかし同時に、シュミットの視野は意図的に政治へと収斂されており、ロマン主義が保持していた存在論的・言語論的次元は切り捨てられている。この意味で、彼の批判は鋭利であるが一面的でもあった。
4. ハイデガーのドイツ・ロマン主義へのよりそい
ハイデガーがドイツ・ロマン主義、特にヘルダーリンや初期ロマン派に強い共感を寄せた理由は、そこに政治的ロマン主義とは異なる層位を見出したからである。彼が注目したのは、合理的主体が成立する以前の、世界への開かれ、言語と存在の原初的結びつきであった。
ロマン主義は、啓蒙によって切断された世界経験の総体を、詩や歴史、言語の次元で保持していた。ハイデガーにとってそれは、逃避ではなく、近代存在論の根底を掘り崩す資源だった。ただしこの回収が、1930年代において政治的言語へ転位し、危うい方向へと向かったことも否定できない。
5.日本浪漫派への接続──美学と政治の危険な臨界
橋川の視線が最終的に向かうのは、日本浪漫派である。保田與重郎、亀井勝一郎らに代表されるこの潮流は、近代日本が抱え込んだ断層を、きわめて鋭敏に感受していた。
彼らは、西欧近代の合理主義的主体がもたらす抽象性に違和感を覚え、
- 歴史の連続性
- 言語の手触り
- 死と共同体
- 「日本」という名で呼ばれる運命的総体
を思考の中心に据えた。その限りにおいて、日本浪漫派は、近代合理主義の余集合に沈殿した感情の集合ではなく、近代そのものへの内在的批判であった。
しかし橋川が批判したのは、その批判が美学的次元に留まり、政治的・制度的次元へと媒介されなかった点である。日本浪漫派は、歴史の悲劇性を語りながら、その悲劇を引き受ける主体の形を提示しえなかった。ここに、カール・シュミットの政治的ロマン主義批判が、日本においても一定の射程を持ちうる理由がある。
6. 保田與重郎──ラディカルさの核心
とりわけ保田與重郎は、日本浪漫派の中でも際立ってラディカルである。そのラディカルさは、単なる国家主義や復古主義に還元できない。
保田において「日本」とは、固定された実体や伝統目録ではなく、死と断絶を含み込んだ歴史的運命である。彼の文章に頻出する、破局、殉死、滅びといった語彙は、甘美な情緒ではなく、近代が不可避的にもたらす否定性そのものを引き受けようとする姿勢を示している。
この点で保田は、安易なロマン主義的逃避とは異なる。彼は、近代合理主義が排除した死や非連続性を、再び制度や理性の外部へ押し戻すのではなく、思考の中心へと引き戻した。それゆえ彼の言説は、しばしば過激で、危険で、読む者を不安にさせる。
だが橋川が見抜いていたのは、このラディカルさが、政治的決断や社会構想へと翻訳されないまま、国家という象徴に吸収されていった過程である。保田の思考は、近代を超えようとするほどに、逆説的に近代国家の磁場に捕捉された。
7.AI時代におけるロマン主義の再定位
ここで冒頭の問題に戻ろう。AIによって人の心がシミュレート可能になったという事実は、近代合理主義の論理が極限まで推し進められた結果とも言える。感情や意味生成がモデル化されるとき、われわれは逆説的に問い直さざるを得なくなる──そもそも「意味」や「存在への関与」とは何なのか。
この問いは、ロマン主義が提起した問いと響き合う。ロマン主義は、計算や制度では捉えきれない世界との関係性を、詩的・歴史的・感情的次元で思考しようとした。その試みは未完であり、しばしば破綻もしたが、合理主義の外部に残された余白を可視化したという点で、今日的意義を持つ。
おわりに──橋川から保田へ、そして現在へ
橋川文三の日本浪漫派批判は、戦前思想の総括にとどまらない。それは、近代合理主義を相対化しつつ、それに代わる安易なロマン主義的救済をも拒む、きわめて緊張度の高い思考であった。
AIが人の心をシミュレート可能にしつつある今日、われわれは再び、意味・主体・歴史の根拠を問われている。保田與重郎のラディカルな思索は、その問いに対する答えではない。しかしそれは、合理主義の完成が露わにする空白を、最も過激な形で可視化した試みであった。
ロマン主義は、もはや懐古の対象ではない。橋川を経由して保田を読むとき、それは計算可能性が極限に達した時代において、なお思考が引き受けねばならない否定性の名として、現在に立ち返ってくるのである。
ロマン主義を、近代合理主義の余集合として単に整理するだけでは不十分である。むしろそれは、合理主義が成立することで初めて顕在化した問い──世界はいかに意味を持つのか、人はどのようにそこに関与しているのか──の源泉として再読されるべきだろう。
AIが心を「再現」できるように見える時代においてこそ、ロマン主義的思索は、計算可能性の外部を指し示すのではなく、計算可能性そのものを問い返すための内在的批判として、あらためて重要な位置を占める。その意味で、本稿で辿った思想史的再配置は、単なる回顧ではなく、現在への問題提起なのである。
補論 思想の射程と歴史的責任──ロマン主義・AI論のための留保
ここで不可欠なのは、これまで論じてきた思想的資源が、いかなる歴史的時間の只中で形成され、変容していったのかを明示することである。とりわけ橋川文三(1918–1983)の場合、その思想は戦前・戦中・戦後という断絶的時間経験と切り離して理解することはできない。
橋川は、戦時期には日本浪漫派、とりわけ保田與重郎の思想的磁力に強く引き寄せられた世代に属している。近代合理主義への違和感、進歩史観への不信、歴史を生の深層から捉え直そうとする姿勢は、当時の若い知識人にとって強い説得力をもっていた。橋川自身もまた、その只中で思考を開始したのであり、後年の批判は、外部からの裁断ではなく、かつて自らが「いかれた」経験への自己批判として形作られていったものである。具体的な歴史状況のなかでいかなる政治的効果をもたらしたのかを明示的に確認することである。さもなければ、ロマン主義や存在論的思索は、再び「無垢な精神史」へと回収されかねない。
第一に、日本浪漫派の問題である。橋川文三自身が厳しく指摘したように、日本浪漫派は結果として、戦前・戦中期における日本の侵略戦争を思想的に補強する機能を果たした。保田與重郎のラディカルな近代批判は、国家や天皇制への直接的服従を理論化したわけではない。しかし、近代合理主義・普遍主義への不信、歴史を生の根源へと回収しようとする姿勢は、時代状況のなかで「国体」や「日本的なるもの」への回路として接続されていった。
重要なのは、これは単なる思想の誤用や外在的転用ではないという点である。ロマン主義的思考は、普遍的規範や手続き的理性を相対化するがゆえに、それに代わる判断基準を制度化できない場合、既存の権威や共同体へと回収されやすい。日本浪漫派の悲劇性は、まさにこの点にあった。
第二に、ハイデッガーとカール・シュミットの問題である。両者がナチズムを積極的に支持したことは、もはや否定しようのない歴史的事実である。シュミットの決断主義は、ワイマール体制下の議会制民主主義を無力と断じ、主権的決断を担う指導者像を理論的に正当化した。ハイデッガーもまた、大学総長就任演説に象徴されるように、存在論的刷新を民族的・政治的運動と結びつけることを躊躇しなかった。
ここで問われるべきは、彼らの思想が「誤ってナチに利用された」のではなく、なぜその思想構造自体が、全体主義的政治と親和的でありえたのかという点である。近代合理主義への根源的批判、普遍的規範への不信、歴史や民族を存在の根拠として措定する思考は、技術的・官僚的合理性への批判としては鋭利である一方、政治的にはきわめて危うい。
この歴史的経験を踏まえるならば、AI時代においてロマン主義的契機や存在論的思索を再評価することは、決して無条件に肯定されるべきではない。むしろ必要なのは、計算可能性への批判と、規範的・制度的理性の放棄とを、厳密に区別する視点である。
AIがもたらす問題は、理性そのものの否定ではなく、理性が技術として自己完結し、問いの根拠を忘却する点にある。この点で、ロマン主義やハイデッガーの思索は重要な警鐘を鳴らす。しかし同時に、それらの思索が歴史的に示した破局は、**「合理主義批判そのものが免罪符にはならない」**という教訓を与えている。
橋川文三が戦後、占領期から高度成長期初頭にかけて日本浪漫派批判を本格化させたことは決定的に重要である。そこでは、戦争の記憶がまだ生々しく、侵略と破局の責任が個々人の生活感覚にまで浸透していた。その時間的近さゆえに、橋川の批判は冷静な思想史整理であると同時に、自らが生き延びてしまったことへの問いを孕んでいた。
この文脈において示される、橋川文三が日本浪漫派に向けた批判的距離、すなわち「共感しつつも、断固として距離を取る」という態度は、AI時代の思想にとっても模範的である。ロマン主義は、技術合理性の外部に逃走するための思想ではない。それは、合理性の内部にとどまりながら、その限界と危険を不断に照射し続けるための、危ういが不可欠な思考資源なのである。
AI時代にロマン主義が再び意味を持つとすれば、それは過去の破局を引き受けた上でのみ可能である。思想は、未来への指針であると同時に、過去への責任でもあるのだから。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion14634:260121〕










