財務副大臣が辞任
フェリシア=カルヴァーリョ財務副大臣は2026年1月14日シャナナ=グズマン首相に辞表を提出した、と2026年1月16日の新聞が報道しました。
『インデペンデンテ』(2026年1月16日、電子版)は、財務省の政策・事業にかんする意見の相違をめぐり、カルヴァーリョ財務副大臣がサンティーナ=カルドーゾ財務大臣と対立したためと辞任の理由を独自情報として報じています。しかしながら、カルドーゾ財務大臣は副大臣の辞表について対応することは自分の権限ではないとコメントを避け、シャナナ=グズマン首相はというと、1月15日、ラモス=オルタ大統領との会談後の記者会見で財務副大臣の辞任についてきかれると、辞表はまだ見ていないとコメントはしなかったと同新聞は報じています。当事者の説明も報道されていません。
『チモールポスト』(2026年1月16日)も上記とほぼ同じ報道をしましたが、辞表は提出され、大臣は辞表についての対応は自分の権限外にあると述べ、シャナナ首相も語らず、という内容だけの記事でした。なお 同『チモールポスト』によれば副大臣は2023年9月15日(政権発足から二か月後)に宣誓就任をした副大臣であるとのことです。
上記の『インデンペンデンテ』が示した辞任理由とは別に、カルヴァーリョ財務副大臣は他の省の大臣と対立して辞表を提出したという噂話もあります。カルドーゾ財務大臣の温和な性格とこの他省の大臣の排他的な性格を考慮すれば、噂話のほうがありそうな気がしないでもありませんが、これはあくまでも噂で、財務副大臣の辞任理由について何一つ確認されていません。
カルヴァーリョ財務副大臣の辞任は個人的な理由によるものなのか? 現政権内での対立が表面化した事例のなのか? はわかりませんが、当事者や政府側からの説明がないというのがとても気になります。
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『チモールポスト』(2026年1月16日)より。
「財務副大臣、辞表を提出」(タイトル)。
「フェリシア=カルヴァーリョ財務副大臣はカイララ=シャナナ=グズマン首相に今週の水曜日に辞表を提出した」(冒頭文)。
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気になる辞任例
閣内からの辞任ではありませんが、シャナナ政権下で起こった重要役職者の辞任として想起しなけれなばらないのは一年前のディリ地方自治体の首長の件です。デリ(Dili、ディリ)地方自治体の首長という役職は、日本でいえば東京都知事に相当します。東チモールでは地方自治体長は政府による任命で決まります。グレゴリオ=サルダーニャ(1991年11月12日の「サンタクルス墓地」への平和行進を組織した青年リーダーの一人、独立(独立回復)後は「11月12日委員会」の代表)はシャナナ首相からの任命を受けて、デリ地方自治体長に就任したのが2024年3月1日です。わずか10カ月後の辞任ということになったわけです。
財務副大臣の辞任とは違い、一年前のこの辞任については本人から直の説明がありました。 2025年1月28日の記者会見で グレゴリオ=サルダーニャは辞任の理由として次の六点をあげました――「財務の不正、行政の不正、行政の自律性の欠如、監査の問題、調整の問題、最近起こっている住民立ち退きをめぐる意見の相違」(『タトリ』、2025年1月28日)。これらの項目は現シャナナ政権への批判要素をみごとに要約しているとわたしにはおもわれます。とくに2025年1月初旬から本格的に始まった住民立ち退き問題を辞任理由として独立した一つの項目にあげたということは、このことがサルダーニャ前知事にとって決定的であったのではないかと推測されます。開発のために、公共の場所に不当に居住するとはいえ住民を強制退去させるという大鉈が、地方自治体の首長の頭を跳び越えてふるわれていることに疑問を感じ、あるいは怒りを覚え、抗議の辞任にいたったのかもしれません。
非中央集権化や地方分権化を声高に主張しているシャナナ首相ですが、これに一番反しているのが実はシャナナ首相ではないかという気がします。デリ地方自治体の首長と意見の調整をすることなしに辞任に追い込んで〝素直な人〟を知事に任命し首都デリの都市整備を進めているのですから。
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一年前の『チモールポスト』(2025年1月28日)より。
「グレゴリオ=サルダーニャ、『わたしはすでに辞任した』」(タイトル)。
「グレゴリオ=ダ=クーニャ=サルダーニャ=〝モウリス〟氏、デリ地方自治体の首長としての役職を辞任することを決意し、すでに辞表願いを行政省に提出した」(冒頭文)。
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ベコラ大通りの拡張工事が本格開始
さて、その首都の都市整備ですが、1月23日(金)、ベコラ大通りの橋の拡張修繕工事が始まったことで、クルフンの大通りからベコラの大通りへと道路拡張工事が拡張し始めました。
拡張修繕されるこの橋はマウフェル橋と名づけられており、1979年8月17日に開通した橋です(『チモールポスト』、2026年1月26日)。この時代はインドネシア軍による東チモール侵略・制圧が頂点を極めていた時期です。軍事目的で架けられた橋であっても、現在の東チモールの経済状態がもたらす交通量にとって小さい橋となってしまい、そしてその下の川の幅と深さが大雨にたいしてまったく対応できない狭さ・浅さであることから問題視されていた橋です、
2021年4月の大雨は東チモール過去最大といわれる甚大な被害をもたらしました。川が氾濫した現場であるこのマウフェル橋を当時のタウル=マタン=ルアク首相が訪れたとき、この橋をすぐに改善すると豪語しましたが、結局、手はつけられませんでした。このことでタウル首相に失望した人がいます。今回、シャナナ首相がついに改修工事が実現したということで、タウル首相ができないことをシャナナ首相はやってのけたという評判が出る可能性があります。
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ベコラのマウフェル橋。
修繕工事に入れば通行止めになる。
したがって工事に入る前に左右に仮の橋を設置している。
2026年1月20日。
ⒸAoyama Morito.
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わたしが滞在するベコラから首都の中心部へ行くとき、ベコラの大通りとそれに続くクルフンの大通りを歩きます。ベコラの道路ではこれまで大型重機がポツリポツリと点在していましたが、この光景は一変し、大型に加え、数台の中型重機が連なるように道路を占領するようになりました。ベコラの大通りの一部はすでに拡張されましたが、側溝工事が未着工です。広くなって整備されたかにみえた道路でも、その左右の端を深くえぐり削る工事が新たに始まりました。そしてまだ道路から離れていない店舗建物は、その側面を1月23日から本格的に持ち主が削り始めました。
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拡張工事が本格化したことで、道路わきの大木を除去する。
日陰を提供してきた大樹であったが…。
ベコラにて。2026年1月24日。
ⒸAoyama Morito.
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シャナナ=グズマン首相は1月23日、この新たな道路拡張工事が開始されるにあたり、公共事業省の大臣やSEATOU(地名都市計画庁)とともに現場に現れ、住民との対話集会を開いたり、橋の拡張工事の着工式をおこなったりの大忙しでした。
シャナナ首相は住民との対話集会で――個人の利益・権利と対立する難しい決断を政府はするかもしれないが、好むと好まざるとにかかわらず、国は前に進まなければならない/みんなが日常の生活のために外出しやすくするため、政府は橋を壊して改善したいと考えている/市民はデリの街並みが誰の目にも美しく映ることを望んでいる/したがってみんな一人ひとりが貢献する必要がある/独立とは国旗や大統領・国会・政府という主権体だけでは不十分で、国民が毎日快適に過ごせるという独立を望んでいるのだから、道路・水・電気・通信を向上させることが独立の一部なのだ/そうすれば国民は良い状況を感じとるのだ――と述べました(『チモールポスト』、2026年1月26日)。
1月23日夜9時ごろ、わたしがクルフンからベコラへ大通りを車で通過したとき、大型重機が稼働している工事現場に人だかりができていました。事故でも起こったか…とおもいましたが、工事現場に陣取るシャナナ首相がいて、その周囲に政府関係者・工事関係者そして野次馬が群がっていたのでした。シャナナ首相は79歳、よく体力がもつものだと感心するしだいです。
土地開発を好調に進めているようにみえるシャナナ政権ですが、一年前のグレゴリオ=サルダーニャによるデリ地方自治体長の辞任理由を思い起こしながら上記の住民対話でのシャナナ首相の発言をみると、国の開発のもとで個人に犠牲を強いる危険性を感じてしまいます。
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道路から離れていない建物は、建物の側面を削って道路から離さなければならない。
ベコラにて。2026年1月26日。
ⒸAoyama Morito.
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拡張工事が本格化した道路沿いにある中型店舗。
およそ一年前に開店したが、一時閉店を強いられた。
ベコラにて。2026年1月26日。
ⒸAoyama Morito.
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青山森人の東チモールだより第550号(2026年1月28日)
〈出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net//
[Opinion14656:260131]









