「旧姓使用の法制化」による混乱  ― 「氏名」とは?

「選択的夫婦別姓」が問うてきたもの(1)

 「選択的夫婦別姓」とは、日本での結婚に伴う女(通常)の改姓(夫婦同姓)という制度への疑問から始まり、結果としては、その制度の「部分的」改定を要求するものである。さらに言えば、それは、私たちが日々「馴染んで」しまって、その理由を問うことすら気づかなくなっている<「氏名」をめぐる生活習慣>そのものの変更希望である。ただし、それを希望するものはあくまでも「有志」である以上、「該当するものに限る」という意味での「選択的」なのである。(どこまでも慎ましやかな要求・運動なのである。)

 ところで、歴史を遡ると、まず「一族としての(うじ)の名」や、それら各氏族に、時の大王(天皇)が与えた称号としての「姓(かばね)」などが有名である。しかし、いずれも貴族、士族にのみ関わる世界の習わしである。

 その「氏」という「家の名前」が一般の庶民にまで関わるようになるのは、明治以降のことである。

 まず、1871(明治4)年、「戸籍法」の制定。士農工商の身分社会から、建前としての「四民平等」となり、士族(豪族)の「氏(うじ)」「姓(かばね)」は廃止され、「苗字」と「実名(本名)」が庶民ふくめて一般化される。

 1875(明治8)年、「苗字必称義務令」。これは、上の「戸籍法」をさらに具体化したものである。庶民ふくめてすべての人間に「苗字」を付すことが義務づけられた。したがって、歴史的な士族たちの「苗字」の他に、庶民にとっては、急ごしらえの「苗字」も決して少なくはなかったであろう(「大」「中」「小」が付くもの、「田・川・山・村・橋・池・沼・村」等々が用いられるもの・・・当時の庶民の戸惑いが偲ばれる)。ただし、この段階では、夫婦の場合は「別々の苗字」である。

 それが、1898(明治31)年の「明治民法」によって、「氏」が家族名として固定され、家長の権限が強化され、婚姻は、通常は「嫁取り(時に婿取り)」となる。― いわゆる戦前の、男尊女卑、「家長」の権限下での「家」の制度化である。

 なかでも、「嫁」という文字自体が象徴的であるが、「嫁」とは=「家」のために嫁いできた女=のことである。したがって、「家風に従う」(白無垢の花嫁衣裳)「子を産む(可能な限り「家の跡取り=男子」を産む)」が、あたりまえに要求された。また、「子を産まない・産めない・女」は「石女」(うまずめ)として、(この際、「男」に生理的な不妊の原因があるやもしれず・・・は一切問われもせずに)さっさと離縁もされた。

 そして、相次ぐ「2発」の原爆投下による「降伏=敗戦」を経て、「戦後」には、アメリカ仕立ての「民主主義」が移植された。

 確かに、「大家族制度」に代わって、「夫と妻」(そして子ども)による「核家族」が単位とされ、重々しい「家」という制度や「家長」の権限を逃れて成り立つ「二人だけの世帯」は、当時においては、まさしく「軽やかで民主的な核家族!」と前向きに明るく受け止められたことだろう。

 しかし、この戦後の「核家族」自体もまた、後々に、少しずつ明らかにされていく

「家制度の残滓」あるいは「男女の不平等=女性差別」を内包するものであった。

「選択的夫婦別姓」が問うてきたもの(2)

 戦後憲法の24条(1項)には、次のように規定されている。

― 婚姻は両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 文面自体は、今でも「崇高」である。ただ、ここでの「両性の合意」の「両性」が必ず「男と女」なのか、「男と男/女と女」をも含みうるのか・・・議論の残るところではあるが、ともあれ、この文面に関する限り、「婚姻内の男女の不平等」という実態は見えてはこない。

 しかし、「恋愛結婚」あるいは「手鍋提げても・・・」と歓迎された「戦後の結婚=家族」もまた、「稼ぐ/稼がない(稼げない)」「産む/産まない」「子育てする/しない」等々をめぐって、明らかな「性差別」を内包し再生産するものであることが明らかになっていく。

 さらに、いま一つ、憲法ではスルーされている「結婚後の姓(氏)」をめぐる問題がある。 

― 民法750条・・・夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

 「法」というもの、あるいは「文章」というもののある種の「マジック」なのであろうか。この民法750条の「夫又は妻の氏を称する」という文面から、ただちにその「差別」性を指摘するのは難しい。「婚姻の際に」夫婦が「話し合って定める」所にしたがって、「夫又は妻の氏」を称する・・・で、何が問題ですか?と言われそうだ。

 この民法750条の規定する「夫又は妻の氏を称する」の後者のケースは、あくまでも「婿取り」の場合が想定されていた。通常の婚姻の場合は、「常に」「夫の氏」を称することが、戦前からの「家族制度」の下での通例であったため、私たちの誰もが、「(特別の場合を除き)結婚すれば、妻は夫の姓を名乗る!」という「通例(習慣)」に異議や疑問を持つことなく「当たり前に」受け入れてきたのであろう。

 「良妻賢母」教育が徹底し、女子は10代半ばでも「嫁入り」していた戦前はともかく、「戦後」の時代も、当初は、女子の就労は「嫁入り前の腰掛・社会勉強・夫探し」と言われ、めでたく「夫」を見つけて退職する女子は、「寿退職」として祝福され、花吹雪の下、送り出されたものである。

 身についてしまった「社会的習慣」を問い直すことは、なかなかに難しい。「結婚と姓」をめぐっても、1950年代前半、私の小学校時代では、「好きな男の子」ができると、決まってその子の「姓」を自分の名前の上にくっつけて、「素敵な名前?」になるかどうか・・・を確かめたものである。

 「結婚すると(ほとんどの場合)、女は夫の姓を名乗る!」・・・この制度と慣行に「なぜ?」と疑問・異議を唱える友人に、私が初めて出会ったのは、1960年代初めのことであった。その時の驚き・戸惑いを強烈に記憶しているために、私は、今でも「嬉々として」「入籍=改姓」する女性たちのことを、単純に批判することはできない。(もちろん、今では、丁寧に、「時間をかけて」批判は続ける!)

 ただ、以上のように、「選択的夫婦別姓」要求は、すべてのカップルに「別姓」を強要するものではなく、「希望する者の自由」を訴えるだけのことである。その意味では、なぜ、「自分の姓名」を「途中で変えたくないのか!」・・・その点だけはしっかりと、周りの人々に分かってもらわなければ・・・、と思っている。                              

高市早苗首相の「旧姓使用の法制化(旧姓単記)」案とは?

 ― 日本の「家族制度」死守のため?

 高市首相が、「選択的夫婦別姓」制度の要求に反対であることは、以前からも明らかな事実である。

 そして、本人自身も語っているように、それは、「安倍晋三元総理からの遺言ともいえるテーマ」(2024年)だそうである。

 安倍晋三内閣時代の「家族政策」に見られる通り、“日本の「家族制度」死守”こそ安倍-高市の「譲れぬ家族政策」の内容といえるのだろう。

 「夫婦・親子そろって同じ姓!」それゆえにこそ、「家族愛が生まれ、夫婦・兄弟姉妹すべて仲良くなれる!」・・・これが安倍=高市を貫く「日本的家族愛と制度」の要なのだと思う。

 しかし、日本の家族の現実は、「夫と妻の関係のあり様によって」必ずしも「平穏・幸福」とは言えない状況も少なくなく、「親子・兄弟姉妹関係」も、学校教育や就職状況による「能力主義」の影響を被ることも否定できないのが現実であろう。

 ともあれ、私たちは誰もが「与えられた家族」の中で「生」を享け、親や兄弟姉妹に支えられたり喧嘩をしたり・・・その過程で「自ら」を育てていく。その限りで、それぞれにとって「家族」は大きな力を及ぼすが、決して「絶対的」なものでもなく「不動」のものでもない。

 ただ、ここで高市首相の「(女性たちの)旧姓使用の法制化」案自体への疑問が残る。なぜなら、「結婚すれば、夫婦・親子すべて同姓!」の現行制度に依拠すれば、女性たちは、潔く「結婚姓」を名乗って当然!になるのではないのだろうか?それ以上でも以下でもない。

 結婚するまでの「キャリア」はどうしてくれる?・・・という女性が不満を述べる際には、「結婚姓=旧姓」と「ダブル化」(複合姓に)するのも一つの方法だろう。

 昔の私のケースに当てはめれば、「伊藤=池田=祥子」となる。

 しかし、高市首相は、女性たちの「旧姓使用」を公認しようとするのである。昔の私の例で言えば、「池田祥子」でOK!となる。「旧姓」が「公認」されるのだから、堂々と「旧姓」を用いればいい・・・というのであろうか・・・?

 それでも、高市首相殿!私は、「伊藤氏」と婚姻届けを出した以上、戸籍上では「伊藤祥子」なのです!正式名は「伊藤祥子」なのに、「池田祥子」も「旧姓使用」として認定される???

 また、高市首相によって、私の「池田祥子」(旧姓)名が日本国内で公認されたとしても、それは外国では通用しないはずだ。(「伊藤祥子」と「池田祥子」同一人物?)

 「氏名」とは、社会の中での特定の個人を名指しするもの!そうであれば、個人の「氏名」が「二つ」成立するって・・・どう考えても奇妙ではありませんか?

 一昨年(2024年)6月に、「選択的夫婦別姓」の導入を求める「提言」を発表した「経団連」も、今は沈黙を保っている。「批判」や「異見・意見」がどこからも立ち上がってこない状況下で、私一人が心配しているのだろうか?

 高市総理!「旧姓使用」の法制化!って、一体何のためですか?     (了)                                 (2026.2.24) 

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/                            〔eye6123: 260225〕