本論攷は、「ヘーゲル研究会」のチューターを務めておられる滝口清栄先生から、各会員に閲読推薦された、表題著書の当該章についてのコメントである。
<はじめに>
乱暴であることを百も承知で、ヘーゲルの「法権利の哲学」の概要をあえて一文で述べると、次のようになる。つまりヘーゲルに固有な本源的な政治哲学原理である「最高の共同性は、最高の自由である」を基底に措きつつ、ヘーゲルが際会した新しい現実である、生成しつつある資本主義と芽生えつつある近代国家を与件としながら、自由を原理とする法制度を具えた新しい人倫的な国家・社会を構想したのものが、「法権利の哲学」である、と。体系の端緒たる商品がメタモルフォーゼを繰り返しながら、領有法則の展開を経てついには自己増殖し無限の蓄積をめざす資本へと上向する風景を知る「資本論」の読者であれば、自由なる意志が、独立した人格から出発し、家族や市民社会を経て、やがて人倫的国家というヘーゲルにとって最高の共同体において自己実現を果たす歩みに既知感を覚えるであろう。
このヘーゲルの共同体論的な国家・社会構想は、マルクスにも影響を与えたのであろう。いわゆる唯物史観の公式とはややニュアンスの異なる共同体史観ともいうべき視角で、資本論準備ノート「経済学批判要綱」において、以下のように世界史を通観する。
歴史的端緒たる人格的依存関係(古代・中世)から、物象的依存関係(商品・資本関係)のうえに築かれた人格的独立性(近代的個)を経由し、最終的には、より高次の人格的結合関係、すなわち自由な諸個人の協同社会(共産主義)に至るというものである。本源的共同体(Gemeinschaft)~共同体の解体と利益社会(Gesellschaft)形成~より高い次元での協同体(Association)の復活形成という三段階説である。ちなみにヘーゲルの歴史哲学は、三段論法として組み立てると理解し易いであろう。――大前提:精神が世界を支配する。小前提:精神の本質は、自由である。結論:世界史は、自由の意識における進歩である。独特の観念論の世界ではあるが、たとえば、精神を法則的な軌道を描いて活動をする集合的主体(人類)と読み換えれば、それほど荒唐無稽な命題ではなかろう。
こうした目的論的な色彩を帯びた歴史観は、こんにちすこぶる評判が悪い。しかし反対に歴史が無目的で、すべての出来事が偶然の集積でしかないとしたら、生きる意味の喪失に、ニヒリズムに陥るしかないのではないか。あの一世を風靡したフランスの哲学者ルイ・アルチュセールが、歴史に必然性は認められない。すべてが偶然に支配されていると、あるインタビューで答えていた。かつてのフランス共産党員哲学者が、ここまで来たかと驚いた。が、確かそれから間もなくであったろう、氏は妻のエレーヌを絞殺し精神病院に収容された。今の私はといえば、神学につながる、アプリオリに与えられた最終目的(イコール歴史の終焉)は否定するとしても――つまり人類の中途滅亡もあり得るという条件で、何らかの限定を加えたうえで目的論や必然性を歴史の上に認めることは可能ではなかろうかと考えている。人類は、進歩、停滞、後退、中断、といった紆余曲折を経ながらも、結果的には自由実現の過程を進んできた。これからもそうである保証はないものの、世界史に、定向進化性――より普遍的な法と秩序において貧困や抑圧から人類全体が解放され、万人が自由と豊かさを享受しうる世界へ向かう――をゆるやかに認めていいのではなかろうか。
下の図式は、ヘーゲルに発する思想の大まかな関連をあらわすものである。歴史観ではヘーゲルからマルクスへの系譜、国家―市民社会の構造論では、ヘーゲルの福祉・職業団体の社会政策論から福祉国家への流れ、議会制民主主義では、ヘーゲルからウェーバーの流れをたどりうるであろう。ただし、ワイマール体制(端緒的コーポラティズム)の起案者の一人としてウェーバーは、福祉国家への流れとも無関係ではない。歴史観ではヘーゲルは精神一元論であり、人倫国家を歴史の最終目的とするのに対し、社会民主主義は多元論であり、「運動がすべてであって、終局目標は無である」(ベルンシュタイン)として歴史の目的としての社会主義・共産主義は否定する。

ちなみに、ヘーゲルにおいては歴史と論理は一致する。つまり原共同体から個的分裂体を経て、最終的に最高度の共同体に至る歩みが、歴史の歩みであり、それは同時に社会構造の最下位のカテゴリー(家族)から最上位のそれ(国家)への歩みと重なるのである。
<藤井氏の論点と若干のコメント>
◉第三章における藤井氏の批判:国家と市民社会との関係――市民の参加と自治の場である公的領域を市民社会に限定するハーバマスらの立場に対して。
藤井氏:国家を含めた公共的政治空間を目指すべきではないのか。
野上:藤井氏に同意。ハーバマスの市民社会概念には狭さを感じる。第一、国家と市民社会との境界線は固定したものではなく、たえず移動する。民主主義が後退すれば、国家は肥大化して市民社会の領域は縮減する。市民社会の自律性を保持せんとすれば、境界線を押し戻すこと、つまりは国家の民主化をめざす闘いは避けられない。あるいは逆に民主化が進む国家は、己の領分を縮減しつつ、その分市民社会の自治機能を促進する。
ハーバマスは、市民社会から経済社会的側面を遮断し、市民社会に立てこもる印象を持つ。その結果、市民社会内の利害対立を度外視して、市民社会をフラットなコミュニケーション空間に純化する。しかし、逆からみると、共同決定法など経済民主主義の仕組みが具わっているドイツの国柄であればこそ、安んじて市民社会の経済空間から公共的空間を切り分けることが可能なのではあるまいか。日本のような国柄であれば、公益性を標榜しながら私的な利潤獲得の場に押しとどめようとする資本や国家の力に対抗してこそ、市民社会のより普遍的公的な空間は切り開かれるのではなかろうか。「経済が人間の運命となった時代」という、ウェーバーの歴史観の重さを噛みしめたい。
同じ傾向は、H・アーレントにもみられる。労働を排除した政治的活動空間を疎外されざる本来的なものとする。アーレントが模範とする古代アテネの政治空間は、奴隷労働があったればこそ可能であったのである。アーレントが反発するマルクスにおいては、労働の人間化の闘い―その結果労働は、仕事となるーがあればこそ、人類史的観点からは、それは同時に労働からの解放の一里塚となる。アーレントのマルクス観は偏見に満ちている。が、それは、アーレントが冷戦下のスターリン主義というプリズムを通してマルクスを見ているせいではあるまいか。
◉ヘーゲル法哲学における古典的共和主義の伝統
藤井氏:アリストテレス政治学にこめられた、有資格の市民(zoon politicon)による共同的自己統治という共和主義的理念をヘーゲルは継承する。市民が公共の事柄res publica(>republic共和政体)に参与する政治システム。 ただし、ヘーゲルは、個人の主体的自由という近代的原理をその理念の不可欠の契機としている。
◉藤井氏は、市民社会領域に属する様々な中間団体――教会、地方自治体、同業組合、身分団体など――のうちで、ヘーゲルはとくに職業団体(Korporation)を重視しているとする。
野上:全く同意する。
市民社会の公共空間において果たす職業団体の中枢的役割――その構成員を教育して、特殊利益を追求する私人(ブルジョワ)の在り方から、国家の普遍的利益を追求する公人(シトワイアン)の在り方へと変える仲介者として機能する。言い換えれば、構成員に団体精神を身に着けさせることによって、公共へ奉仕する特性(=Rechnenschaffenheit 実直さ)を涵養(bilden)する。また仕事の場を与えて人間的矜持を保たたしめて、貧困化や賤民化を防ぐ。さらに職業訓練、技術教育を施して、組織的社会的に有用な人物に育て上げ、彼らのうちに自尊の念、倫理的意識を育む。さらに、営利活動に対し、国家からの援助や保護を受けることによって、国家への求心性(愛国心)が高まるとする。これらは総じて社会の安定化にもつながる。
野上:藤井氏は、ヘーゲルの国家・市民社会論のエッセンスを公共哲学としてクローズアップしているが、その核となるのが職業団体論である。ただ、ヘーゲルの職業団体論は、現実から析出して打ち出されたものというより、理論的な要請によるものであり、一種の理想型というか規範的構成というか、そういう性格を帯びている。その意義については、後でもう一度ふれることとし、ここでは、問題点を指摘しておきたい。
――職業団体の組織性格は、共通利益の実現を目指す共同経済組織であろう。だとすれば、経済分野にかかわる他の中間団体、たとえば、生産協同組合との差異はどのようになるのか。また市民社会は私経済領域でもあるのであるから、一般の私企業も当然ながら存在している。したがって他の経済単位と併存した場合、職業団体といえども自由市場における競争圧力-利己性の利他性への優越-にさらされる。さらに行政の側からの特別な配慮や特権を期待するのであれば、それは社会の公平性を損なう恐れもあり、圧力団体化する危険性もあるのではなかろうか。ちなみに、現代日本の職能団体である医師会、業界団体である電気事業連合会が、社会貢献しているといいうるのか。確かにヘーゲルの構想にあるように、国会に自分の組織から国会議員を送り込んでいるが、基本は開業医の特殊利益を実現するためでしかないと、世論はみている。今日、力のある業界団体や大企業には、ロビー活動やレントシーキングによって己の特殊的利益をあからさまに追求しているところもある。もっとも、これはヘーゲルの想定外の現象であろう。
◉藤井氏の論文は、ヘーゲルの法哲学の持つ今日的意義、理論的可能性をよく読み込んでいるが、その共和主義的側面をやや強調しすぎているのではないだろうか。
▼ヘーゲルにおいては、「君主政体と共和主義的理念は矛盾しない」とする氏の解釈の是非が問題となる。そもそもヘーゲルは、矛盾しないように理論的組み立てを行なっているのだからそう見えるのであって、現実の歴史のなかでは、両者間には大いに矛盾対立があった。そもそも、君主制は考えない国民、権威に依存する国民を生み出すものである以上、原理的には独立した自由な精神を前提とする共和制と両立はしないのである。
▼ヘーゲルが生粋の共和主義者であれば、君主制や土地貴族によって構成される上院への高い評価はしないであろう。世襲的な大土地所有者(封建的遺制)を実体的身分として統治機構において重視するのは、どう考えても本来の共和主義とは異なる。しかしヘーゲルが純粋な共和主義者である否かという議論は、スコラ的論議であり、あまり意味はないと思う。
1848年の市民革命が挫折したことにより、ドイツの近代化は、ドイツ帝国=君主制とそれを支える官僚層と、次第に抬頭する労働者階級との間の対立と均衡において展開されることとなった。19世紀後半のビスマルク体制において、一方で社会民主党や労働運動を封じ込めつつ、他方深刻化する社会格差や貧困にたいして社会政策を講じて矛盾を緩和し、国民経済の発展を策するあり方が主流となった。法制度の確かさや官僚組織の有能さもあって、この歩みはドイツを瞬く間に一流の近代的工業国家へと押し上げたが、しかし第一次世界大戦で敗北することによって帝政は崩壊、ドイツはワイマール共和制(議会主義体制)への転換を余儀なくされた。そこにおいてドイツ近代史におけるビスマルクの負の遺産としての帝政ドイツ、つまり君主制とユンカーがその上層部を独占していた官僚支配からの脱却と清算が国家的課題となったのである。社会の普遍的利益を体現するとして、君主と官僚制の役割を重視するヘーゲルは、この点ではやはり前時代の人間であった。ただ、こういったからと言っても、近代国家の哲学的設計者としてのヘーゲル政治哲学の価値を損なうものではない。
<ヘーゲルからウェーバーへ>
さて、1918年12月の時点で、来るべき共和制国家の憲法起草に深く関与したのが、M・ウェーバーであった。論文「新秩序ドイツの議会と政府」で、ウェーバーは時局の推移を丹念にフォローしつつ、指導者民主主義の理念に基づき、具体的な政府や議会のあるべき姿について詳述している。国制改革のためには有能な政治指導者が必要であり、議会を通して指導者を選出育成していく道筋を強調する。議会は官僚層と行政を監督・統制・督励する役割を負っており、議会の、とりわけ調査権を有する委員会での討議と闘争を通して政治家の能力は錬磨されるとしている。イギリス議会を参考にしている点で、ヘーゲルもウェーバーも共通しているが、ヘーゲルには時代的な制約から政党、政党指導者、議会との間の有機的な関連への探求が抜けている。政党政治が根付くには、相当の議会制度の経験が必要であることがわかる。
ただし、議会の公開性の意義に関し、それが国民の政治教育の場たらしめるとする点では、両者の見解は一致する。両者とも、普通選挙による民主主義的な統治システムは、個人のアトム化に起因する衆愚政治(ポピュリズムや多数の横暴)に陥る危険性をはらんでおり、これを防ぐ仕組みが必要であると考えている。ヘーゲルがきわめて早い時期から、大衆的民主主義=大衆社会化状況が民主主義の危機の要因になることを見通していたことは、驚くべき炯眼である。したがって直接民主主義のしくみである人民投票(レファレンダム)などは、ヘーゲルにとって忌避すべきものでしかない。ただし、ウェーバーは強力な指導者に導かれる民主主義をよしとしており、国民の直接投票による大統領選出を構想している。
議会の監督や調査という役割に関し、政権と政権与党を牽制する野党の存在意義について、ヘーゲルもウェーバーもまったくふれていない。また、そのことに関連して、普通選挙に換えてヘーゲルの提案する職業団体を選挙母体とする方法については、ウェーバーはナンセンスと斥けている。※商工会議所や農業会議所のような職業団体は、他の利害代表団体や政党と併存する場合、課題の解決をめぐって権力闘争の渦中に巻き込まれ、不偏性を担保できないからである。
※階層制議会cf.職能代表制professional representation system】―職業別団体から代表者を議会に送る代議制度。ワイマール憲法下のドイツ経済会議や、第二次大戦後のフランスの経済社会評議会などがその例。
<現代に生きる職業団体構想>
ヘーゲルの職業団体構想は、かたちを変えてではあれ福祉国家(Sozialstaat、Welfare state)の中心的構造として現代にまで受け継がれている。その最初の大きな節目が、1918年11月に締結された「シュティンネス=レギーン協定」であった。ウェーバーによれば、これは「革命期の唯一貴重な社会政策上の成果」であるところの労働組合と経営者団体との協定であるとした。これによって労働組合が初めて対等の交渉相手として認められ,また8時間労働日が承認され、さらには企業内に労働者代表の組織である労働者委員会が設置されることになった。こうした流れによって、ワイマール憲法に史上初めて「社会権」が記載されることになった。
この背景には、1917年のロシア10月革命の成功とそれのドイツへの波及があり、その圧力を受けてドイツ・ブルジョアジーとプロレタリアートとの階級的な妥協として成立したものであった。換言すれば、ワイマール体制は、「国民議会」と「革命評議会」との矛盾的自己同一(?)の上に立つものであった。後年、フランクフルト学派のアドルノは、ヘーゲルは市民社会内の「非同一性」を「同一性」と強弁することによって、敵対的対立に見せかけの解決を与えたにすぎないと批判した。ヘーゲル哲学の立ち位置は、妥協的であって、革命的徹底性に欠けているというのであろう。しかし二十世紀後半の世界において成功したのは、ボリシェビズムの後継者たちではなく、社会民主主義的福祉国家であった。資本主義体制の矛盾の最終的解決のための処方箋ではないにせよ、たとえば、今日の新自由主義に由来する経済・社会危機を乗り越えるためのモデルとして、スウェ―デン方式――強固な労使関係と普遍的な福祉――は有効であることが実証されている。
いずれにせよ、大局的にみれば、ワイマール体制は、革命によるブルジョアジーとプロレタリアートの共倒れ(国家の破産)を避け、社会を安定させて経済の発展をめざすものであったが、実際にこの妥協システムが成功を見たのは第二次大戦後の高度経済成長期においてであった。そこにおいて、フォード・テーラーシステムによる「大量生産・大量消費」が実現した。そしてそれを支えたのが生産の効率化による生産性向上に見合った賃金上昇による労使の階級協調体制であった。その後、英、伊をのぞく西・北ヨーロッパの国々でも同種の経営組織法を取り入れられている。各国とも政府と労働・市民諸組織との間の議論や調停の場も制度化されている。
そこでの労使のアクターは、労働組合と経営団体であり、そこでの交渉や調整を通じてそれぞれの側が己の特殊な利益を乗り越え、より普遍的な一致点を見出すしくみになっている。ドイツの共同決定法(Mitbestimmungsgesetz)は、コーポレート・ガバナンスの中核をなすものであり、企業の監査役会や経営意思決定に労働者代表がほぼ同数で参加する法制度。経営の監視、取締役の任免、投資計画、労務条件の共同決定を通じて、企業の社会的責任と労使の協調を目指すとされている。福祉国家制度は、労使協調に支えられた高度経済成長によって実現したものであり、その後社会パートナーシップ制度に拡充し、政府やNPO、市民もアクターに加わってSDGs17目標の達成などに取り組むようになってきている。
今日、2026年2月現在、ドイツ経済はかつてないほどの不振に見舞われており、盤石だった、EU全体の盟主としての地位も揺らいでいる。メルケル時代に確立した、ロシアから天然ガスを買って、中国向けに自動車はじめ機械製品を輸出するという産業&ビジネス・モデルが、ウクライナ戦争で破綻したためである。その他、自動車のEVシフトはじめ社会全体のDXの遅れや、憲法上、財政出動に厳格な縛りがあったことが問題視されているが、それでも世界第三位の経済的地位は確保している。ヘーゲル以来の社会政策重視の伝統が生きており、失われた30年の日本と比較すれば雲泥の差がついている。以下、日独の比較である。
2023年 平均年収 年総労働時間
日本 458万円 1,600~1,700h
ドイツ 848万円 1,350~1,390h
※日本は、過去30年間労働生産性は3割上昇したにもかかわらず、実質賃金上がらず~労働分配率の低さ=企業の内部留保(超600兆円)は増大/河野龍太郎。つまり、いかに日本の勤労者階級の力が弱いか=勤労者階級が未組織状態で放置されているかということである。
<市民社会の現状と今後>
しかし1970年代に入ってからの西側経済の不調(スタグフレーション)により、福祉国家政策=コーポラティズム的妥協は行き詰まりを見せ始める。1980年代から本格化する新自由主義、つまり大きな政府に反対し、規制緩和や民営化を進めるレーガノミクスやサッチャリズムが主流となる。アメリカのマルクス主義者D・ハーヴェイによれば、新自由主義とは利潤率の低下に悩む資本家階級の階級的な巻き返しであり、福祉や教育など公共部門を民営化したり、資本への規制を緩和したりして搾取や収奪を強めて、資本蓄積の隘路を打開しようとするイデオロギーと政策体系である。単純化していえば、余裕をなくした資本家階級が、第二次大戦以前の野蛮な自由主義時代の資本主義に立ち帰るべく、福祉国家を骨抜きにしようとしているのである。
さらに1990年代から加速するグローバリゼーションによって、国民国家を制度的枠組みとする福祉国家は、経済不振、気候変動、社会格差の拡大や移民問題での世論の分裂などに有効に対処できず、極右勢力の抬頭によって福祉国家のみならず民主主義のいきづまりがますます露わになってきている。そしてその福祉国家なり民主主義なりのいきづまりは、近年の市民社会の公共空間の縮退とパラレルな関係にある。端的な一例であるが、かつては何の問題もなかった戦争や民主主義にかかわる地域の催しに対し、いろいろ難癖をつけて公共施設の使用を不許可にする事案が目に付くようになってきた。
実はその背景には大きな社会変動が生起していた。1990年代から加速化してきた現象であるが、広義の労働者階級の三極分解――新中間層、正規労働者層、アンダークラス(非正規労働者層/橋本健二)――や旧中間層(自営業者)の激減によって、労働組合や業界団体の弱体化が進み、また少子高齢化により地域コミュニティの空洞化が進んでおり、総じて市民社会は後退を余儀なくされている。しかも本来市民社会の主要な担い手たるべき都市の若い新中間層が、少なからず新自由主義に取り込まれ、正規労働者層も保守化の傾向を強め、アンダークラスは反エリート主義的なポピュリズムに多くが傾斜している。
M・ウェーバーが西欧にあって東洋に欠けているものとしたのは、市民による都市自治の伝統であった。日本における市民社会論は、そのことの自覚の上に民主主義の不可欠の契機として自らを論じてきた。筆者もヘーゲルの「法権利の哲学」の読解を通じてそのことに思いを致し、遅ればせながら議論の輪に加わりたいと決意したところである。以下の文章は、経験談や現実の表象にすぎないが、これを端緒に理論的に練り上げていきたいと思う。
市民社会を強化するためにはその外延を広げ、草の根コミュニティの再生を図ることが不可欠であろう。少子高齢化や過疎過密化のなか、地縁血縁の希薄化、個人の原子化と孤立化、社会の断片化と分極化が進み、生活困難というにとどまらず、人間の実存的危機とすらいえる状況に陥っている。他の新興国に次々とGDPで追い越されていることももちろんだが、リベラルなり左翼なりを自称するものは、多くの国民の惨憺たるいのちと暮らしの状況に無力であることに忸怩たるべきであろう。したがって、われわれももっと姿勢を低くして市民社会をもっとグラスルーツのところから強化することが必要ではないかと思う。そこで社会学でいういわゆる第一次集団(ゲマインシャフト)としてのコミュニティを基底におきながら、それを包摂するかたちで二次的に構成されるものとして市民社会(ゲゼルシャフト)を考えるのである。ヘーゲルも家族の役割が、子供の扶養と教育とともに共同体的な感情であるいたわり合い、相互扶助や無私の献身を学ばせるところにあるとしている。そういう意味では、第一次集団としてのコミュニティは、拡大した家族と言っていいであろう。
都市計画の大家で稀代の文明批評家でもあったルイス・マンフォード(1895~1990)は、文明社会の精神的再生ための指南書「The Transformations of Man」(久野収訳「人間―過去・現在・未来」岩波新書 1956年)で、基礎的集団のもつ教育的人間形成的な機能について次のように述べている。
「家族、世帯、と隣近所、仕事仲間・・・それらが分かち合っている親密さ、誓い合っている協力は、人間の基本的な人間らしさの発展にとって不可欠のものである。この親しみにあふれたまなざしは、その中に自分自身のイメージを見つめ、アイデンティティを確かめる必須の鏡である。・・・たとえ世界のすべての部分が、即時通信と高速輸送によって結ばれたとしても、観念としての、また社会形態としての隣近所関係そのものが消えるに任せてしまえば、世界が一つの隣近所関係になりはしないだろう」
半世紀以上も前に書かれた文章とは思われないほど、グローバリゼーション下の今日の事態を言いあててはいないであろうか。インターネット上の仮想空間がますます幅を利かせるのに反比例して、実在の基礎的人間関係はますます貧弱となり、危機的様相を呈している。もちろん人間の相互関係だけでなく、自然との濃密なふれあいという点での実経験がやせ細っている。いずれにせよ、人間の成長になくてはならない慈愛、親密さ、信頼、納得、きずな、安心感は、まずは家族や隣近所のなかで育まれ経験される。それはどんなに優秀なハイテクの機器であろうと、代位できない基礎的な人間関係の経験なのだ。だからこの次元で、いったいどのようにしてゲマインシャフト的関係を再構築していくのか。
自分の経験からいっても、隣近所の親密な関係が成り立つには、まちの構造自体が親密さを生み出すように作られていなければならない。ヨーロッパの街並みを見てうらやましく感じるのは、伝統的な街並みが極力保存されていて、近代化の要求する新しい機能をうまく埋め込み共存していることである。地方の中都市、小都市の規模も文化文明と自然との宥和が可能な範囲に収まっている。ヨーロッパ都市に近い形態を有しているのは、京都であろう。千年の古都の伝統と町並みが生きているとともに、京都大学や同志社、立命館大学などの学府、京セラなどの先端産業も確固とした地歩を占めている。嵐山、大原、鞍馬など自然豊かな郊外に囲まれている。西田、田辺両教授を頂く京都学派なる特色あるアカデミズムや湯川博士を筆頭にノーベル受賞者を輩出したのも、文化都市・京都が有するソフトパワーが後押ししたのではなかろうか。学者や知識人が気軽に夕べに集い、侃々諤々の議論を闘わした後、散会して家路についてもさほど遠くないので、書斎でもう一仕事する時間的余裕もある。古代ギリシア・アテネのアゴラでソクラテスらが、多くの人士らとディべートに明け暮れたごとく。
東洋における都市の形状はどうであろうか。私は、ミャンマーのヤンゴンで和食レストランを経営しているところから、毎月一度はタイのバンコクに何十キロという食材の買い出しに行かなければならなかった。そのためバンコクとヤンゴンという二つの都市のハードとソフト両面での比較が可能となった。バンコクはベトナム戦争以来、大規模な外資が入って経済的に繁栄、高層ビルがいたるところに林立していた。しかしその立地の仕方はほとんどでたらめであった。旧来の街並みとの調和は全く考慮の外、資本の論理だけが独り歩きしていた。たまに時間があって、タクシーに乗って市内を遊覧すると、ビルの谷間に、かつてのチャオプラヤ川流域の水郷の町バンコクの原風景が突然開けたりする。細い水路にルア(小舟)がゆったりと行きかうさまは、これぞ東南アジアと感動し、癒しをもらったようで日頃のストレスの多い生活から一瞬解放された気分になった。しかしアジア的な基礎的コミュニティは、そのままでは資本や強権に対していささかも抵抗力ももたないことも事実であった。
それから帰国して、通信社のなにかの催しで東京湾のウォーターフロントに来てみて驚いた。バンコクどころではなく、巨大なタワービルが林立し、かつての下町風情などどこにも残っていなかった。バンコクのタワービル群の下には安くて旨い屋台が軒を並べ、まだ東南アジア的猥雑さが残っていたが、東京湾のウォーターフロントのビル群には人間味はどこにもなかった。私が80年代前後、都内で住民運動の下働きをしていたころは、「日照権」が闘いの武器になっていた。今は資本の論理がまかり通り、建蔽率や容積率など何の歯止めにもなっていない。
その後、武蔵小杉駅前のタワーマンションに分譲マンションを買ったというので、友人に招待されて出かけて行った。私はビルを見上げて、一瞬でこれはダメだと思った。高層マンションは、分断されていてまずコミュニティ(隣近所の親密な関係)がつくりにくい。こういうところの高級市民は、ソースティン・ヴェブレンいうところの「顕示的消費」に毒されているので、見栄の張り合いでなかなか親密な関係にはなりにくい。さらに、ヤンゴンでサイクロン・ナルギスの悲惨な経験から、高層マンションは電気が止まるとどうなるか、よくわかっていた。地震による揺れと液状化、津波、高潮、停電を考えたら、ウォーターフロントの高層ビルなどクワバラクワバラである。勝ち誇ったように林立するタワーマンション群こそ、新自由主義式の都市計画であった。まさにそれは、人間の傲慢さや分断の象徴であるバベルの塔そのものであった。神罰は必定であろう。
さて、地域のコミュニティの規模は、小学校の通学区域までであり、より小さい範囲は町内会から文字通り隣近所まである。しかし少子化と公教育の空洞化は、子供たちの成育環境を悪化させている。以下は、私の経験。
――かつては学区域が町ごとに小分割され、夏休みには子供たちは自動的に分団に組み込まれ、上級生が分団長となり分団編成で行事に参加した。いま考えれば、そこにはいかにして民主主義を根付かせるかという観点から、民主主義の基礎訓練を行なうという意義づけがあったのだと思う。中学でもクラス内でグループ分けをして、何かとグループ単位で競い合い行動した。落ちこぼれや非行が出ないような工夫でもあった。買い被りと言われそうであるが、北教組(北海道教職員組合)の果たした役割は大きく、思い出すと今でも感謝の念に満たされる。
夏休みには、分団ごとに野球チームが編成されて、少年野球大会が開催された。わがチームは連続優勝し、投手であったH君は、長じてわが高校を甲子園に導き、阪神に入団して数年は活躍した。その他、塘路湖畔(武田泰淳の「森と湖の祭り」の舞台)での飯盒炊爨(さん)やキャンプ、盆踊り大会やラジオ体操、野外映画会――「ひめゆりの塔」!――など、テレビが本格的に普及する前は、地域での行事が多かった。おそらく学校と地域の協力で、夏休みの非行防止対策の一環として取り組まれたものではないかと思う。原野の一端を埋め立てて造成したわが地区には樺太からの引揚者住宅があり、子供ながらに貧しいエリアだと認識されていた。貧困と非行はつながっていた。
東京では地域のコミュニティ活動は、地元商店会の貢献するところ大であった。多くの商店会は、地縁で結ばれ、地元の神社を支え祭りを仕切る氏子と重なり、青年団や防犯防災組織にも人員を供給していた。しかし大型店舗の進出、都市の再開発やコンビニの普及、担い手の高齢化によって、旧中間層に支えられた地場の商店は急速に数を減らしており、都内で中規模であってもシャッター街化し、見た目にも荒廃してきているところが増えている。
したがって大都市における地域コミュニティの再生には、中長期的にはタワービルに象徴される新自由主義型の都市計画――地域分断と格差容認――に対抗しうる計画の策定が不可欠である。都と区市のいずれのレベルの都市計画審議会も、圧倒的に保守派資本側が支配しているのが現状である。ミュニシパリズム(地方自治主義)戦術の上からも、を公選化した教育委員会やこうした専門委員会へ有能な人材を送り込んで、ヘゲモニーを執ることを考えなければならない。
本日はここでペンを擱くが、基本的な観点は、くどいようであるが、いわゆる第一次集団であるコミュニティを基底におきながら、それを包摂するかたちで二次的自覚的に市民社会を構成するというものである。市民社会は家族の延長ではない。いや、正確に言うと、個々人は家族の持つ無私と親愛のエートスをアウフヘーベン(保持、超越)しつつ、他人(親)依存から脱して個人として自立しなければならない。かくして市民社会へと移行する。そこでは様々な自発的市民組織、労働組合や生活協同組合、同業組合、商店会などの各種の中間団体が、res publica,つまり地域における公共の関心事へ取り組み、討議し、解決しようとするのである。
最後にアメリカの公共哲学者、ハーバード「白熱教室」のマイケル・サンデルのことばをもって、私の意図するところに代えたい。
――家族から近所づきあい、地域、そして国家へと続く共同体において、人々の帰属意識や相互義務感、社会的な調和が失われています。自分たちがどう統治されるべきかをめぐり、意味のある発言権を持っていると誰もが感じられるよう、自治のプロジェクトを活性化させなければなりません。
<資料>
以下の諸例にある「市民討議会」は、ドイツで行われている市民参加の手法「プラーヌンクスツェレ(計画細胞)Planungszelle」をアレンジしたもので、無作為抽出で選ばれた市民にまちづくりの課題などについて話し合ってもらい、そこで出された意見や提言をまとめ、行政の施策に活かしていこうとするものであるという。
◉市民会議は、①これまで欠落していた住民主導で地域の課題を議論する常設の場を提供 し、②地域振興会を初め地域に係わる全てのステークホールダーを結集して課題に取り 組むこと、③オープンな機関とし、参加制限を設けないこと(ただし、段階を踏む)、を 特徴とする。
▼自由が丘住区住民会議―町会、自治会、PTA、商店会、社会教育団体、地域活動団体など住区ごとに組織される自主的団体から成る。
▼稲城市市民会議―市民会議は、多様な意見や価値観を有する市民が自発的に参加し、稲城市の将来像など長期総合計画について自由に議論し、合意形成した内容を提言書として取りまとめ、市長に報告する。
▼練馬区―田畑革新区長時代、昭和52年、「緑に囲まれた静かで市民意識の高いまち」を基本目標とする練馬区基本構想を策定した。これには婦人組織「練馬母親連絡会」のリーダーシップが大きかった。この組織から、公選制教育委員会と都市計画審議会に委員を送り出していた。この活動は、ミュニシパリズムの先駆けであり、一種の構造改革戦略につながるものであった。
▼鳥取県 学校運営協議会の熟議・ワークショップはこうすすめる!
▼岩倉市―第5次岩倉市総合計画の策定に向けての市民討議会(熟議民主主義の例)
〈出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net//
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