莫言(中国、1955~)の『赤い高粱』の続き
余司令はさっと足を伸ばして、王文義の尻を蹴った。
「咳なんぞ、しやがって」
「司令」
王文義は咳を堪えながら答えた。
「喉がむずむずするんで……」
「我慢しろ! 敵に知れたら、その首をたたっ切るぞ!」
「はい、司令」
答える王文義の口をついて、また一しきり咳が出た。
余司令がぐいと前へ出て、片手で王文義の首筋を掴むのが分かった。王文義の口の中でヒューヒューと音がして、咳はたちまち止まった。
余司令の手が王文義の首筋を離れる。王文義の首には、熟した葡萄のような紫の指跡が付いているだろう。王文義のおどおどした薄青色の目は、微かに感謝と悔しさの色を浮かべている筈だ。父はそう感じた。
すぐに、隊伍は高粱畑に分け入った。隊伍は東南の方向へ進んでいる、と父は本能的に感じ取った。今歩いている田舎道は、村から墨水河の河辺へ直に通じる唯一つの道だ。その狭い田舎道は、昼間は白っぽい色をしている。道は初め、真っ黒な黒土で築かれていたのだが、長いこと踏みつけられて、黒い色は底へ沈んでしまっていた。その上には、いかに多くの花びらのような牛や羊の蹄、半円形の騾馬や驢馬の蹄の跡が重なるように印されたことだろう。馬や驢馬、騾馬の糞はしなびた林檎、牛の糞は虫に食われた薄焼きパン、ころころした羊の糞はこぼれた黒豆のようだ。
通いなれた道、後に日本の炭鉱での耐え難い日々の中で、父は始終この道の姿を思い浮かべたのだった。この田舎道で、私の祖母が数多くの艶っぽい悲喜劇の主役を演じたことを、父は知らない。私は知っている。高粱の暗い影に覆われた黒土の上に、その昔、祖母が珠のように白く、滑らかな肉体を横たえたことも、父は知らない。私は知っている。
高粱畑の裏手へ回り込むと、霧は一層澱んで量を増し、流動感を失った。人の身体と人が背負っている物体が高粱の茎にぶつかり、高粱がざわざわと怨みの声を上げるにつれて、重い大粒の水滴がボトボトと落ちる。ひんやりとして、美味い水滴。仰のくと、大粒の水滴が一つ狙い定めたように父の口に入り込んだ。緩やかな霧の塊の中に、重く垂れた高粱の首が揺れるのが見えた。ぐっしょりと露に濡れた高粱のしなやかな葉が、鋸のように服や頬を切る。高粱の揺れが引き起こす微風が父の頭に当たっては消え、墨水河の流れの音は益々大きくなった。
父は墨水河で水遊びをして育ったが、その泳ぎ達者は天性のものだったらしい。おっかさんより河に夢中なんだもの、と祖母は言った。五歳の時、父は家鴨の子のように水に潜って桃色の尻の穴を空に向け、両足を高々と上げていた。父は知っていた。墨水河の底にたまった泥は黒く光っており、油脂のように柔らかだ。河辺の湿った干潟には、濃い緑の葦と薄緑のオオバコが密生している。(中略)
濃い霧にかき乱された父の胸に、四角なガラスを嵌め込んだ手提げランプが灯った。ランプの笠のブリキ板、ブリキ板に開いた孔から灯油の油煙が噴き出ている。その灯りは弱く、直径五、六メートルの闇を明るくするだけだ。灯影に流れ込んでくる黄色い河の水は、熟した杏(アンズ)のように見事な黄の色合いを見せるが、それも束の間、たちまち流れ去ってしまう。
暗い河面に、空じゅうの星が影を落としていた。父と羅漢大爺は蓑を羽織ってランプの傍に坐り、低く――本当に低く咽び泣くような流れの音を聴いた。河床の両側にどこまでも広がる高粱畑で、時折、恋の相手を求める狐が高ぶった声を上げた。光を好む蟹は、灯影を目指して集まってくる。静かに座って、世界のさざめきに聴き入っていると、河底に堆積した泥の生臭い臭いが次々に湧き上がってきた。蟹の群れがまあるく寄り集まってきて、ごそごそと落ち着かぬ円陣を作る。父はうずうずして立ち上がろうとしたが、羅漢大爺に肩を抑えられた。
「待て!」
大爺が言った。
「焦っても、熱い粥は食えねえ」
はやる気持ちを抑えて父は動かなかった。(中略)
隊伍と共に高粱畑に入ってから、蟹の横歩きに心を奪われていた父は、只むやみに足を踏み出して、高粱の株にぶつかってはよろけてばかりいた。余司令の服の端をしっかりと掴んだまま、半ば引きずられるように進んでいくうちに、眠気が射してきた。頸が強ばり、眼の玉が言うことをきかなくなる。
(中略)
父たちが後にしてきた村から、間延びした驢馬のいななきが聞こえてきた。元気を出して目を見開いたが、見えるのはやはり澱みがちな半透明な霧ばかりだ。高く伸びた高粱の茎が密集して長い柵をつくり、ガスの背後にぼんやりと隠れながら、幾重にも列を成してどこまでも続く。高粱畑に入ってから長い時が過ぎたことも父は忘れていた。その思いは遠くから聞こえてくる豊かな河の響き、そして過去の思い出にいつまでも留まっていた。
なぜ自分が夢のように広々した高粱畑で、こんなにあたふたと窮屈な思いをしながら進んでいるのか、それさえ判らない。方位感は消えてしまった。前の年にも父は高粱畑で迷ったことがあったが、最後には外へ出ることができた。河の音が方角を教えてくれたのだ。
今、父はまた河の啓示に耳をすませて、直ぐに悟った。隊伍は東南の方角へ、河を目指して進んでいた。行く先が判れば、目的も判る。待ち伏せ攻撃だ。日本人をやっつける、人を殺す、犬を殺すみたいにやるのだ。
初出:「リベラル21」2026.03.04より許可を得て転送
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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