NHKETVシリーズ「原発事故への道程」の文字起こし記録と評注の、《後編》その1

著者: 松元保昭 まつもとやすあき : パレスチナ連帯・札幌 代表
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さきにお送りした諸留さんのNHKETVシリーズ「原発事故への道程」の文字起こし記録と評注の、《後編》を2回にわたってお届けします。

諸留さんは記録を重視し、[◆註]の形で「最低限度」の補足や説明をしていますが、のちほど番組の内容とNHK報道についての全般的な論評を発表する予定です。

======以下、後編(その1)転載======

NHKETVシリーズ 原発事故への道程(後編)「そして”安全神話”は生まれた」[2011年10月23日放映]の「文字起し」です。

NHKの報道や解説が、明らかな間違いと思われる箇所には、[◆註]の形で、私(諸留)が最低限度の補足や説明を付しました。

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NHKETV特集 シリーズ 原発事故への道程(後篇)「そして”安全神話”は生まれた」[2011年10月23日放映]

見逃した方は、以下のURLなどご利用下さい。

http://www.asyura2.com/11/genpatu16/msg/807.html

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【テロップ】:2011年3月11日

【解説】:東日本大震災。高さ13メートルの津波に飲み込まれた福島第一原子力発電所は、メルトダウンを引き起こしました。

【テロップ】:撮影 東京電力

【映像】:福島第一原発事故の地上から撮影した光景

【テロップ】:撮影 陸上自衛隊

【映像】:福島第一原発事故の上空から撮影した光景

【解説】:1号機から4号機で爆発が起き、原子炉建屋が損壊、夥しい放射能を人々の上に撒き散らしました。

【テロップ】:映像提供 東京電力

【映像】:崩壊した原子炉建屋に放水する光景

【テロップ】:マークI型原子炉

【映像】:建設中のマークI型原子炉の光景

【解説】:原発は安全。それははかない神話に過ぎませんでした。実は事故を起こした原子炉マークIは30年以上前から問題点は指摘されていました。

【テロップ】:元アメリカ国立研究所の科学者

[元アメリカ国立研究所の科学者]:「1980年代『マークIを廃止すべきか』真剣に検討しました。特に地震の危険性が高い場所では真剣に考えるべきです」

【解説】:その後、根本的な改良が施されないまま耐用年数が30年を超えて運転され続けていました。何故安全は確保できなかったのか?日本の原子力政策の中枢を担った人々が、非公開で行っていた録音テープが残されていました。

【テロップ】:島村原子力政策研究会

【テロップ】:元通商産業省官僚

【画面】:「谷口氏 008」の文字ラベルが貼られたカセットテープ画像

[元通商産業省官僚]:「日本は発電所をいかに、その・・クリーンにね、指示書通りに動かすというのは得意ですけれども、発電所の異常状態に対する対応とかね、もっとその大幅な改良改善って言う時には、どこまで日本独自なものがあるかっていうと、これは非常に厳しい問題で・・」

【画面】:元通商産業省官僚 島村武久氏の当時の顔写真

[もう一人別の元通商産業省官僚]:「電力会社はねぇ・・なーんにもできないのかと。検査も、受け入れも・・疑問があるんです。物を買ってね、悪かったから取り替えろ!っていうのは当たり前かもしれないけれど、自分で買ったものを動かしておいて、そしてそれが、自分も気が付かない」

【テロップ】:島村原子力政策研究会

【テロップ】:元東京電力副社長

[元東京電力副社長]:「だから、原子力発電所の場合は、資本費が相当高いんでね。建設費を下げるってことが一番重要なんですよね。だから大いにコストダウン。安全性と信頼性以外に、コストダウンを大いに図ってもらわないとね」

【画面】:「安全第一」「原子力発電所建設工事」

「四国電力」「株式会社奥村組」の原発建設工事現場の立て看板の画像

【解説】:日本の原子力発電の弱点を知りながら、変革をなし得なかった関係者。彼らのスタンスを決定づける一つの法廷闘争がありました。

【テロップ】:伊方原発訴訟

【解説】:今から38年前に始まった愛媛県伊方原発の設置を巡る裁判です。裁判は原告住民側と、被告国側の双方に、証人として科学者が立ち、安全とは何かを巡り、大論争を繰り広げました。

【画面】:「伊方原発行政訴訟 S50.10.23 第9回口頭弁論 証人報告(藤本陽一 その1)」の手書き表題のある分厚いA4ファイル書類1冊の画像

【テロップ】:原告側証人

【解説】:(原告側証人発言を解説者が代読)「起こりうる最悪の事故として炉心の溶融・メルトダウンを考えるべきではないか」

【解説】:(国側証人発言を解説者が代読)「起こる確率が百万分の一よりも小さい事故は想定する必要はない」[◆註:01]

[◆註:01]「確率が低いから」というだけで問題無しとして良いのか?低い確率でも、万一事故になれば大惨事になるから無視すべきでない」との立場を選ぶのか?この問題は科学的判断だけでは決定出来ない問題。米国人核物理学者で原発推進論者であったワインバーグでさえも1970年代(今から40年以上も前)に「科学の領域」だけでは処理出来ない「価値の領域」もあることを明確に認識し、指摘していた。

【解説】:原発を巡る日本初の科学裁判。そこには福島の事故で浮き彫りになる問題が、出揃っていました。福島原発事故に至るまでの歴史的経緯を探る2回シリーズ。後篇の今日は、原発の大量建設の始まった1970年代から、現在までを探ります。

【テロップ】:シリーズ 原発事故への道程(後編)そして”安全神話”は生まれた

【テロップ】:日本万国博覧会 開幕 1970年3月14日

【解説】:1970年に開催された日本万国博覧会。技術の進歩がもたらす未来の姿を、一目見ようと6400万人が訪れました。

【テロップ】:”原子の灯”

【解説】:万博の呼び物の一つが原子の灯です。会場には原子力発電所で発電された電気が届けられました。

【テロップ】:日本原子力発電 敦賀発電所

【解説】:万博の会場に電気を送った敦賀原発です。

【テロップ】:語り 広瀬修子

【解説】:万博と同じ日に、東海原発に次ぐ日本で2基目の商業用原発として、運転を開始しました。敦賀原発はアメリカから最先端の原子炉を輸入して造られました。敦賀原発の運転を軌道に乗せる責任者だった、浜崎一成さんです

【テロップ】:当時 日本原子力発電 社員 浜崎一成さん

【解説】:華やかさよりも、むしろ苦難の思い出が多いと言います。

[当時 日本原子力発電 社員 浜崎一成]:「原子炉をね、軽水炉をアメリカから入れる(輸入する)時は、いわゆる「プルーブン・テクノロジー(proven  possibility)」と

言われる、まぁ、表題があったわけなんですね。この「プルーブン・テクノロジー」って言うのはですね、すべてもう実証済みの技術だよ・・っていう事でね。それで、我々も、もうその積もりでいたら、実際には、なかなかそうはいかなかったんですね。これは困ったなぁ・・と、(例えば)さっきも説明した廃棄物の処理の問題とかですね、それは要するに、処理能力がもう足りないわけなんですよね。それから、設備の中でも、配管の応力・腐食割れの可能性とか、それから燃料の性能が落ちる、要するに鉄錆等の・・・そういうものを減らす為に・・って言うんで、もの凄く努力しましてね」

【テロップ】:日本原子力研究開発機構(茨城 東海村)

【解説】:当時はまだ、原発の安全性について注目する人はほとんどいませんでした。そんな中、原発の安全性について研究を始めた人がいます。

【テロップ】:当時 日本原子力研究所 職員 佐藤一男さん

【解説】:佐藤一男さん。後に原子力安全委員会の委員長を務めた研究者です。

[当時 日本原子力研究所 職員 佐藤一男さん]:「それはまぁねぇ・・・例えて言えば(の話)だが、日本でも、いや、世界でもそうなんだけど、自動車がね、初めて世の中で動き始めた頃に、交通安全なんてことを言う人がいましたか?」

[当時 日本原子力研究所 職員 佐藤一男さん]:「安全っていうのは、それ自身がね、その組織やら装置の目標じゃないんです。たとえば発電所っていうのは電気を起こすのが目的なんですよね。それで、安全って言うのは、その施設の一番レベルの高い、最高に重要な属性なんですよね。それが安全っていうものなんですよね」

【テロップ】:関西電力 美浜発電所

【解説】:1970年。関西電力の美浜原発が運転を開始します。民間の電力会社が単独で運転する初の原発でした。

【テロップ】:東京電力 福島第一原子力発電所

【解説】:翌年には、東京電力が福島第一原発の運転を開始します。どちらもアメリカのメーカーからプラント全体を完成品として購入する、ターン・キー契約で造られました。

【テロップ】:ターン・キー契約

【画面】:「日本 ハイペースで伸びる原子力発電」の新聞のタイトル記事

【解説】:外国から輸入すれば素早く原発が造れる。今後20年間で117基の原発が稼働するようなる、という予測さえなされました。

【テロップ】:東京 新橋

【解説】:この時代の日本の原子力の歩みについて、原子力政策の中枢を担った人々が、非公開の会合で振り返っていたことが解りました。

【テロップ】:元通商産業省官僚 島村武久

【解説】:原子力政策研究会。主催者は元通商産業省官僚島村武久です。

【テロップ】:島村原子力政策研究会 1991年夏

【解説】:会合では、ようやく独り立ちした原子力行界の心許なさについて、話し合われています。

【テロップ】:元通商産業省官僚 島村武久

[元通商産業省官僚 島村武久]:「大きな方向というものがない。どこにも。電力会社は将来をどういう風に思っておるのか、その辺もはっきりしないし、メーカーさんも言われれば造るというだけでね・・なんとか良い物を造るということには間違いはないんだけれども。こういうふうにして、こういう方向に進むべきだ、というふうな意見が、日本のメーカーからは出てこないんですね。政府もまた、原子力委員会が基本計画を立てるということになっているけれども、従来決まっておるもののやつの中にですね、その後の情勢の変化を、少し加味するぐらいの程度でしてね。抜本的な事を考える事態にないでしょう。そう言う状況じゃないですかな」

[日本原子力研究所研究員]:「昭和35年ころまでに米国で言ってくるんだけど、それまでにそんな大したことやっているとは思えないんですよね。それで、出来た技術で、そのままになっている部分が結構あって、最初設計して、これでうまくいってるからということで、基本が解明されていない部分が、まだ残っているじゃないですかね。それが全部かどうかは解りませんけれど。そういうものを全部、もう一回見直して、そこの中から研究テーマを探すような事をしないと・・。『原子力には研究テーマはないんだ』と言う話も、ちらちら聞こえてくるんで。なんかそこいらが・・・。ただ問題は、そういうことを言い出すと、『今更そんなことが解っていなくって何をしているんだ』と、叱られるのが非常に怖いから、誰もよう言い出せないというのが、残っているんじゃないですかね?」

【解説】:しかし、当時の日本では原子力発電への期待が膨らむ一方でした。高度経済成長のただ中にあった日本。経済大国に向かって躍進し、電力需要は毎年10%の勢いで、伸び続けていました。一方、この時代は、都市と農村の経済格差が広がり、過疎に悩む地方が生まれていました[◆註:02]。そこへ、一人の政治家が登場します。

[◆註:02]1950年代後半から日本経済の高速成長により農工間の所得格差と過疎過密が進行した。「日本農業の曲がり角」と称され、農業政策が見直され、農業基本法に基づく農業構造改善計画が始動したこの時期が、原発の過疎地への建設の開始した時期とピッタリ重なっているのは偶然ではない。我が国の工業と農業が裏と表の関係で連動し、工業産業や大規模専業農家育成を優先させ、零細小規模農家の切り捨てを進めた農業政策の失敗が、全国僻地での原発進出の「誘い水」となった。

【テロップ】:日本列島改造論を訴える 田中角栄(元)首相

[田中角栄 元首相]:「まだまだ日本には土地が沢山ありますよ!周りに少しは緑のある所を、足りない所はどうするんですか?そこで日本列島改造というのが出てくるんですよ」

【解説】:田中角栄総理大臣。田中は原発の地方への立地を、国策として進めました。1974年6月、原発立地を押し押し進める3つの法律が制定されます。

【テロップ】:電源三法「電源開発促進税法」「電源開発促進対策特別会計法」「発電用施設周辺地域整備法」

【解説】:電源三法は原発を受け入れる自治体に補助金を交付することで立地を促進するものでした。

【解説】:成長に取り残された地方に原発を作り、経済格差を縮小させる。同時に電力の安定供給を確保しようとしたのです。[◆註:03]

[◆註:03]「電力(エネルギー)の確保」が即「原発の確保」という結論には直結しない。論理の飛躍が見られる。

[田中角栄 元首相]:「列島改造論というのは、田中角栄の著書でございます。しかし、今国会で御審議頂いておるものは、方向は同じでございますが、国土総合開発法の改正案でございます。

【テロップ】:原子炉立地審査指針

【画面】:第16回原子力委員会定例会議 昭和39年5月27日 於委員会会議室

議題

I 審査事項

1.原子炉立地審査指針について

2.再処理施設安全審査専門部会の設置について

3.昭和40年度原子力予算の処理について

II報告事項

・・・・・

と手書き綴じ込みの書類の第一頁の映像

【画面】:上記画面の書類の2頁目の拡大映像(2頁右上段に「第16回委員会 資料1号」の青色ゴム印付)

原子炉立地審査指針およびその適用に関する判断のめやすについて

昭和39年5月27日

原子力委員会

委員会は、昭和33年4月原子炉安全基準専門部会を設け、原子炉施設の安全性について科学技術的基準の制定をはかってきたところ、昭和38年11月2日同部会から、陸上に定置する原子炉に対する立地基準の前段階としての原子炉立地審査指針に関する報告書の提出を受けた。

本委員会は、同報告書を検討の上、別紙の通り原子炉立地審査指針を定めるとともに、当該指針を適用する際に必要な放射線量等に関する暫定的な判断のめやすを別紙2のとおり定める。

【画面】:次の3条件が満たされて・・・

2.1.原子炉の範囲は、原子炉からある距離の範囲

非居住区域であること。

2.2.原子炉からある距離の範囲内であって、非居住区域の外側地帯は、低人口地帯であること。

ここにいう「ある距離の範囲」としては、仮想事故の場合、何らの措置も講じなければ、その範囲内にいる公衆に著しい放射線災害を与えるかもしれないと判断される範囲をとるものとし、「低人口地帯」とは、著しい放射線被害を与えないために、適切な措置を講じうる環境・・・の地帯(例えば人口密度の低い地帯)をいうものである。

【解説】:これはどのような場所に原発を建設して良いのか。条件を国が定めた原子炉立地審査指針です。人が住んでいない非居住区域であること。その外側も人口の少ない地域であること。指針に従えば原発立地に適合するのは、都市部ではなく、過疎地になります。[◆註:04]

[◆註:04]指針には、原発立地は「過疎地」と定められている。指針の思想は、人口密集地域住民のいのちより、過疎地住民のいのちを軽視する明らかに「少数弱者切り捨ての発想」。

石川県能登半島先端の珠洲の高屋町に原発立地調査にやって来た関電作業員が、「どうして関西の電力会社が、能登半島のこんな先端まで来て、発電所を作らねばならないのか?」と尋ねた地元の老婆に、「おばあちゃん、人の多い大阪に原発を作って、もしものことがあったら大変なことになるの解るやろ」と答えたという!「珠洲に住んでいる人間をモノのように扱って、それでも人間か!」と烈火のごとく怒った老婆の前で、何に怒っているのか見当もつかず、ただキョトンとしている関西からやって来た企業の若い作業員の姿があった。人間を人間として見ようとせず、モノ扱いにし、原発予定地買収の関西電力社員は「私らは”人の心”を買うんだ」とNHKテレビカメラの前で堂々と語った。

(『いのちを奪う原発』真宗ブックレットNo.9 東本願寺出版部2002年 8頁参照)

【テロップ】:当時 日本原子力発電所社員 板倉哲郎さん

【解説】:指針作りに関わった放射線安全管理の専門家、日本原子力発電所社員 板倉哲郎さんです。

[日本原子力発電所社員 板倉哲郎]:「よく地方の方はね、『田舎の人間よりも都会の人間を大事にして、田舎の人間は放射能を受けていいのか?』・・って(よくそういうことを言いますけど)、そういうような思想じゃないんですね。放射能は受けても、致命的な放射能は受けないようにします。その他に、更にですね、安心していただけるような事後対策が十分できますよ、と言うが為に、人口の多い大都市の真ん中には作らない、というのが一つの思想なんですよね」[◆註:05]

[◆註:05]板倉哲郎氏の言う通り「放射能は受けても致命的な放射能は受けないようにし、その他にも更に、安心できるような事後対策が十分できている」のであるなら、わざわざ過疎地でなくても、人口密集地帯の大都市のド真ん中にでも作れる筈!

【テロップ】:島村原子力政策研究会 1988年3月18日

【解説】:島村原子力政策研究会では、原発の地方立地に湧く、この時代に起きた反対運動について語られています。

【テロップ】:元日本原燃サービス 幹部

[元日本原燃サービス 幹部]:「伊方の(原子力発電所の)帰りに橋を見てね、帰ったんですね。観光コースみたいんだったんですね」。

[他の氏名不詳の出席者]:「観光コースみたいんだったんですねぇ・・」

[元四国電力 幹部]:「えぇ・・・観光コースみたいんだっただね。そんなつまらんことやられたら弱っちゃう。それで橋も見られちゃう。それでね、思い出すのですけれど伊方の発電所に手をつけた時に、一番反対したのは60歳前後から上の人なんですよね。その人たちはね、『非常に生き甲斐だ』って言うのだな、反対するのが」。

[元日本原燃サービス 幹部]:「そうそう、生き甲斐だって言うんだよね」

[元四国電力 幹部]:「こっちは、もうむきになって、一生懸命『大丈夫だ』って言うでしょう。(それでも反対する人たちは)『ダメダメ。そんなんじゃ全然ダメ』とか何とか言ちゃってね。そうすると我々が行って、何か、こう・・やるでしょう。いろいろと陳情したり・・・」

【テロップ】:元通産相 島村武久

[元通産相 島村武久]:「急に放射能を浴びたらかなわん」とか(反対の人たちが言ったりして)・・・」

[発言者不詳]:「いやー・・そういう怖い話というのは、非常に信じると宗教みたいなもので」

[元通産相 島村武久]:「いや・・宗教なんですなぁ・・あれは」[◆註:06]

[◆註:06]宗教を「特定の世界観、価値観だけに限定し信じ、その他の世界観、価値観を認めないもの」と定義することが許されるとするなら、原発は安全だとする価値観を、科学的根拠に基づくとの擬装工作を施して信奉し、それに対する異論・反論を一切認めない原子力ムラこそ「カルト教徒」ではないのか?

[発言者不詳]:「ダメなんですなぁ・・あれは」

[ウラン濃縮機器株式会社 幹部]:「私が聞いた奥さんも『子どもに喰わせるものが心配だ』と言うわけですよ」[◆註:07]

[◆註:07]こうした発言が間違っていることは原子力に関する専門的知識の有無如何に関わらず、いのちを最優先したいと思う常識さえある人なら、誰でもすぐ解る筈。

【テロップ】:愛媛県 伊方町

【解説】:研究会で語られていた愛媛県伊方町。原発立地を巡り激しい反対運動が起きました。半農半漁の町だった伊方町も、他の町と同様、急速な過疎化に直面していました。危機感を抱いた町は原発誘致に乗り出します。雇用の増加や商業の発展など、経済効果を期待してのことでした。

【画面】:伊方町発行の広報 昭和45年5月15日付

広報 伊方町

「みんなの力で原電誘致を成功させよう!」「ボーリング調査始まる」の見出しとボーリング現場の写真

【テロップ】:伊方原発建設計画発表 1970年9月21日

【解説】:1970年。四国電力は、初の原発として、伊方町への建設計画を発表します。

【テロップ】:四国電力社長 大内三郎

[四国電力社長 大内三郎]:「この原子力発電所から放射能が出る、というようなことは絶対に無いということを、確信を持って申し上げる次第である」[◆註:08]

[◆註:08]この四国電力社長大内三郎の「原子力発電所から放射能が出ることは絶対に無い」も間違い。正常安定運転時でさえ、原子力発電所からは大量の放射性物質が環境中に放出され続けている。

【画面】:「原発設置絶対反対」「原発反対三崎町民会議」と書かれた横断幕を掲げた反対漁民の乗る漁船

【解説】:しかし、住民の間から原発に対する不安の声が上ります。

【画面】:「放射能汚染」「危険」「郷土を守れ」「原発設置反対」等と書かれた抗議の模造紙

【解説】:その多くが漁業や農業で生計を立ててきた人々でした。当時、瀬戸内海には次々とコンビナートが建設され、大気や海の汚染が問題となっていました。原発が新たな汚染を産むのではないかと考えられたのです。

【テロップ】:伊方原発訴訟 原告 西村州平さん

【解説】:西村州平さんも、公害問題に取り組む中で、原発問題に注目するようになりました。

[伊方原発訴訟 原告 西村州平]:「あちこちで公害問題のことがいろいろ言われるようになって・水島や長浜にも出来るというようになって、これはいけん・・ということだったけど。(それから更に)数年経って、原発が(この伊方にも)出来るということになって、これは、なおのこと、いけん・・って言うことになって、それで、他の事は何もせんで、原発のことばかりするようなことになってしまったんですね・そういう流れになったんですね」

【テロップ】:町見漁協臨時爽快 1971年10月12日

【解説】:伊方の漁業共同組合の総会です。原発建設に当たり、四国電力は漁協に漁業権放棄を求めました。[◆註:09]

[◆註:09]原発が「完全に安全なもの」「放射能漏れなど絶対に無い」のなら、原発立地周辺海域の漁協の漁業権放棄を求める必要がなぜあるのか!

【解説】:その賛否を巡り混乱が生じます。

【画面】:[漁協組合長らしき人物]:「賛成多数で可決しました」

【テロップ】:愛媛新聞記事「組合規約無視の不法集会」「休憩中の強行採決」「議事進行 理事者側に不手際」「県、漁協は有効通知 反対派訴訟へ」の見出しの愛媛新聞記事

【解説】:原発を推進する漁協幹部たちは強行採決に踏み切ったのです。[◆註:10]

[◆註:10]漁民の生活といのちを守るはずの漁協が、この時なぜ、原発推進の立場を取ったのか?中央、地方自治体、末端の単位組合に至るまで農業協同組合や漁業共同組合は、組合員である末端農民や漁民の生活や生産を守ることより、資金運用団体として金融機関化して久しいことを思い出して欲しい。

【テロップ】:漁業補償協定締結 1971年12月27日

【解説】:決議は認められ、県知事と町長立ち会いのもと、電力会社と漁協の間で、漁業権放棄に伴う補償金交渉がまとまりました。伊方原発の建設が一気に進められていきました。

【テロップ】:松山地方裁判所

【解説】:原発の安全性に対し、不安が拭えない住民たちは行動に出ます。1973年夏、原発立地の許可を出した総理大臣を相手取って裁判に訴えます。

【テロップ】:伊方原発訴訟 提訴 1973年8月27日

【解説】:原告住民が求めたのは原発設置許可の取り消しでした。

[当時の原告団の一人(氏名不詳)]:「四国電力は一企業なんですよ。それにも関わらず、(伊方)町も(愛媛)県も、行政と一体となっているんですよ。そこに住民が、本当にやり場のない苦しみ、やり場の無い悩みがあるんですよね。あんな滅茶苦茶なことが、この日本の民主主義社会で許されるだろうか、というような気持ちなんですね。これに負けますと、単に原発が出来るだけでなしにですね、日本の民主主義、あるいは地方自治までもが無くなってしまう・・私たちはそんな不安を持っております」

【画面】:「伊方原発反対訴訟総決起集会」の字幕が掲げられた原発反対集会の光景

【解説】:原告住民は35人。しかし彼らに原子力の専門的な知識はありません。法廷闘争は困難が予想されました。そこに支援させて欲しいと言う科学者が現れました。京都大学や大阪大学などの若い原子力の研究者たちでした。

【テロップ】:原告側証人(当時京都大学工学部助手)荻野晃也さん

【解説】:当時、京都大学の原子核工学教室で助手をしていた荻野晃也(おぎの・こうや)さんもその一人です。

[当時 京都大学原子核工学教室助手 荻野晃也]:「まぁ、教室が原子核工学教室で、まぁ、原子力推進の学生を教育する機関ですから、まぁ、教育するほうの自分の責任としてでも、原子力発電所というのは、本当に、どうなのか、というのを調べ始めたというのが、まぁ率直な所ですよね」

[NHK記者の質問]:「その・・(原子力発電に対して)異を唱えるということは、そこから飛び出してしまうということを、覚悟するってことですよね・・?」

[当時 京都大学原子核工学教室助手 荻野晃也]:「そりゃ、覚悟しなけりゃ出来ないことですよね・・そりゃやっぱり、ある程度・・・そりゃまぁ、しょうがないですよね。その覚悟をするか、しないか、私もまだ若かったですけれども、やはり大分悩みました。悩んだんだけれども、覚悟したんですよ」

【解説】:被告の立場に立たされた国も、そうそうたる専門家たちを証人に揃えました。

【テロップ】:国側証人 「内田秀夫(うちだ・ひでお)」「村主進(すぐり・すすむ)」「大崎順彦」「三島良績」

【解説】:内田秀夫東京大学教授をはじめ、原子力政策の根幹に携わってきた人々でした。国側の証人の一人、村主進(すぐり・すすむ)さん。伊方原発の設置許可審査にも関わっていました。

【テロップ】:国側の証人の一人(当時 日本原子力研究所職員)村主進さん

[国側の証人の一人(当時 日本原子力研究所職員)村主進]:「事故が起こった時でも、その周辺住民の健康に影響しないようにすること。被曝ゼロとは言ってないですよ。健康に影響しないようにする(っていうことですよ)。事故が起こっても住民に被害を与えないように、立地の妥当性まで評価します、という・・そういうところまでやっているわけなんですよね」[◆註:11]

[◆註:11]ICRPが改組後、一般人に対する基準を新たに設定したことに対し、アルバート・シュバイツァー博士は、「誰が一般人に許容することを許したのか」と怒ったといわれる。(拙(諸留)原稿【ICRPの謀略 その1】「ICRPの放射線基準値には根拠が無い理由!」[2011(H23)年7月30日(土)AM04:40送信 参照]

VOICES [Education Project]Civilization and Ethics :

Albert Schweitzer: Peace or Atomic War?

http://www.voiceseducation.org/category/tag/civilization-and-ethics

“Who permitted it? Who has any right to permit it?”

【解説】:原発は安全か。原子力の専門家たちが国側と住民側とに分かれ争う伊方原発訴訟は、日本で初めての科学裁判と言われました。伊方裁判の原告側弁護団長を務めた藤田一良さん。原子力は全くの専門外でした。

【テロップ】:原告側弁護団長 藤田一良さん。

[原告側弁護団長 藤田一良]:「あの・・・司法の世界というのは、とかくこういう科学的な事とか、工学的な事が絡むと、皆、自分らは弁護士だからということで、そういう世界(科学的分野)のことは、まともにかまってやれることじゃない・・という面があって、あんまりそういう(科学的な)ことに手を出さない(傾向にある)んですよね。で、向こうは、全部(原発)推進ばっかしでしょう。挙国一致みたいな形で起こることは常に危ない、ヤバイところが必ず含まれていると・・そういうことは、僕は、ある種、ものの見方の固定観念みたいなものがありますからね。だから他の人がしない程、僕がせないかん事件やな、という・・そういう思いが強かったですよねぇ」

【テロップ】:森滝市郎

【解説】:裁判の傍聴席には原水爆禁止運動の指導者、森滝市郎がいました。1950年代に原子力の平和利用を容認した森滝市郎も、この頃には、全ての核を否定するという立場に立ち、住民を支援しました。1973年、およそ20年に渡る伊方原発訴訟が始まりました。

【テロップ】:立教大学

【解説】:伊方原発訴訟の法廷での専門家の証言を記録した弁論調書が残されていました。

【画面】:伊方原発行政訴訟

昭和50年10月23日 第9回口頭弁論

証人調書(藤井陽一 その1)

と手書きされたA4の分厚いファイル一冊。

【解説】:資料は320点。

【テロップ】:口頭弁論調書

【解説】:この記録によって、裁判の争点を辿ることができます。

【画面】:伊方原発行政訴訟

昭和50年10月23日 第9回口頭弁論

証人調書(藤井陽一 その1)

と手書きされたA4の分厚いファイル一冊をめくる映像

【解説】:原告がまず問うたのは、原発が安全だとして、国が設置許可を出した根拠は何か?ということでした。原告側の藤田弁護士は、国の安全審査の責任者、内田秀雄教授に、審査の際に想定した事故の規模について質問しています。

【テロップ】:原子炉安全専門審査会会長(東京大学工学部教授) 内田秀雄

【テロップ】:原告側弁護士 藤田一良

[原告側弁護士 藤田一良]:「最大限として、外に出る放射性物質の量は原子炉全体の何%ぐらいだという形で想定をして審査したわけでしょうか?」

【テロップ】:国側証人 内田秀雄

[国側証人 内田秀雄]:「放射性ヨウ素の場合は994キュリーと評価しております」[◆註:12]

[◆註:12]キュリー(Ci)は放射能の古い単位。現在使用されている放射能の国際単位系のベクレル(Bq)に換算すると、1キュリー=厳密に3.7×10の10乗ベクレル。従って内田秀雄氏の言う「放射性ヨウ素で994キュリーは3.6778×10の13乗ベクレル。

[原告側弁護士 藤田一良]:「それは原子炉内にある放射性物質のどのくらいになるわけですか?」

[国側証人 内田秀雄]:「一万分の一ぐらいじゃないかと思います」

[原告側弁護士 藤田一良]:「これは原子炉内の放射能が全部出るように想定するのがいいんじゃないですか?」

【テロップ】:緊急炉心冷却装置(ECCS)[◆註:13]

[◆註:13]Emergency Core Cooling System の略号

【解説】:国側は炉心から冷却水が失われても安全装置ECCSが働くので原子炉の中の放射能が全部出る事態には至らないと主張しました。

[国側証人 内田秀雄]:「燃料体が過熱したり、破損したり、あるいは溶融することが考えられますので、緊急炉心冷却設備によりまして、炉心に水を注入致します。従いまして格納容器スプレーによりまして、水を降らせまして、格納容器の圧力、温度というものが設計条件以下になるようにするわけです」

[国側証人 内田秀雄]:「安全対策の一番大きなものは、工学的安全施設を持っていることであります」

【テロップ】:原告側証人 藤本陽一

【解説】:これに対して原告側は、もし安全装置が働かなった場合は、深刻な事故に発展すると指摘、炉心溶融という現象について説明しました。

【テロップ】:炉心溶融(メルトダウン)

[原告側証人 藤本陽一]:「事故の時にどんなのが最悪の事故になるかというと、圧力容器の中の水が無くなってしまって、空焚きになる。それで原子炉はその熱を外へ運ぶものがなくなる。原子炉はその時止まるわけですけれども、放射能の余熱で炉の温度はどんどん上昇する。そういう状況が一番危険な状況。あり得る状況[◆註:14](です)。それを防げる自然法則は無いということです」

[◆註:14]緊急安全停止装置の多重防御システムが全て突破される事故が「シビア・アクシデント」

【テロップ】:原告側証人 (当時早稲田大学理工学部教授 藤本陽一さん

【解説】:原告側証人の一人だった藤本陽一さんです。藤本さんは、安全装置ECCSが働かない可能性を指摘しています。

[原告側証人(当時早稲田大学理工学部教授藤本陽一]:「最悪の可能性ってことを考えるならば、その・・ECCSが思ったように作用しないってことだって、あり得るわけですから。コンテナーという、もうひとつの防護壁がですね、人間のやる防御壁ですから、それも潰れた、という時にはですね、どれくらいの量の放射能が、放射性物質が放出されるかと。これはとても許容できないと・・」

【解説】:国は、そうした事故は想定する必要が無いほど、僅かな可能性しかないと主張。原告はその可能性について問い質しています。

[原告側弁護士 藤田一良]:「内田教授が主張する想定不適当事故というのは、どの程度の確率の事故をいうのですか?」

[国側証人 内田秀雄]:「国際的には、10のマイナス6乗くらいを目標にして。もう少し厳密にいえば、10のマイナス7乗よりも小さいということが、はっきりするようなものは想定しないわけです」

[原告側弁護団長 藤田一良]:「100万分の1でも当然起こりうるでしょう」

[国側証人 内田秀雄]:「起こりうるというわけではない。ありそうもない事故の確率というのは、こういう事故が起こらないというふうに設計して作ったわけです[◆註:15]。起こらないけれども、実際に起こらないことの信頼性はどの程度なのか、ということの答えなんです」

[◆註:15]内田秀雄氏の「こういう事故が起こらないというふうに設計して作った」のだから「だから事故は起きない」や、「起こらないけれども実際に起こらないことの信頼性はどの程度なのか、ということの答えなんです」という思考こそが、根本的に問われねばならない点。

1級プラント配管技能士で、元原発建設現場監督であった故平井憲夫氏も、生前明確に指摘していた通り、原発設計が優秀で、二重、三重に多重防護されていて、故障が起きてもちゃんと止まるようになっていても、それは、あくまでも設計の段階までの話に過ぎない。施工、造る段階でおかしくなってしまっていることも、問題とされねばならない。

(井野博満編/井野博満・後藤政志・瀬川嘉之共著『福島原発事故はなぜ起きたか』藤原書店2011年参照)

【画面】:内田秀雄著『機械工学者の回想 科学 工学 技術』の著書

【解説】:深刻な事故の可能性は100万分の1と証言した内田秀雄教授の言葉です。

内田秀雄著『機械工学者の回想』の著書からの引用:「原子力利用のプラスの社会的意味・効果と、事故によるマイナスの影響・リスクの潜在性との比較が行われる必要がある。無視できる程度のリスクは受容可能であるということで、原子力発電の利用が容認・推進されると言うことの認識が大切である」[◆註:16]

[◆註:16]この内田秀雄教授の発言は、科学者の発言というより、政治家の発言である!科学者といえども政治から逃れ得ないとすれば、ますますその政治思想が問われねばならない。

【解説】:裁判で、国側は百万分の1とした確率の裏付けとして、アメリカの最新の研究を挙げています。

【テロップ】:原子炉安全研究(ラムスッセン報告)

【画面】:Accident Type

Motor Vehicle

Falls

Fires and Hot Substances

Drowning

Firearms

Air Travel

Falling Objects

Electrocution

Lightning

Tornadoes

Hurricanes

All Accidents

Nuclear Reactor Accidents

(100 plant)…….1 in 5,000,000,000

【解説】:1975年に発表された報告書です。様々なリスクと原発事故と比較しています。原発事故で死亡する確率は、隕石の衝突で死亡する場合とほぼ同じ、50億分の1であると結論づけています。この報告書を日本に紹介した一人が、国側の証人、村主進さんでした。

【テロップ】:国側証人 村主進さん

[国側証人 村主進]:「まぁ・・炉心溶融する確率は百万年に1回と、言うのは我々・・僕も言ってました。我々が百万年に1回[◆註:17]って言っているのは、例えば、ECCSのポンプが、実際、何回起動要求を出した時に、起動しなかったか・・と言う実績をもとにして、それで出して(予測計算して)、百万年に1回ということを出しているわけなんですね」[◆註:18]

[◆註:17]ここで村主進氏は「百万年に1回」と言っているが、上述の文脈から推測し、「百万分の1」の言い間違い(村主進氏の勘違い)かもしれない?!

[◆註:18]ECCSのポンプが工学的に不起動となる確率計算をいくら積み重ねても、地震の振動や、津波、人為的ミス等など、ポンプの工学的原因以外の他の要因が原因で、ポンプが不起動となる場合の危険の確率までは考慮されていない。

【解説】:原子力利用の社会的効果を考えれば、100万分の1の事故の確率は無視しても良いとする国側。例え100万分の1でもゼロとは違うと主張する原告。両者の主張は平行線を辿りました。

【テロップ】:オイル・ショック 1973年10月

【解説】:伊方裁判が始まってまもなく、日本はオイル・ショックに見舞われました。石油不足から火力発電の送電が滞ります。計画停電で街は真っ暗になりました。経済界を中心に原発建設を求める機運が一層高まります。

【テロップ】:伊方原発 核燃料搬入 1976年8月

【解説】:伊方原発では着々と建設が進んでいました。1976年には最初の核燃料が搬入されます。1号炉に続く2号炉の設置許可に対し、住民は不服審査を申し立てました。

【画面】:「行政不服審査にもとづく口頭陳述 13:30-16:00」と書かれた裁判所の標識

[異議申し立てする反対住民の発言]:「事故が起こるは解っちょるのに、我々地元の住民は事故が起きたときは、どないして避難するんか、それを教えて欲しいです・・」

[科学技術庁職員の答弁]:「皆さんが避難をしなければならないような事故は、まず、社会通念的に言えば無い、ということです」

[異議申し立ての反対住民の発言]:(会場から一斉に)「何を言うとるんじゃ・・何が社会通念じゃ・・!」(ヤジと抗議の怒号)

[異議申し立てする反対住民の発言]:「絶対に安全であるということでなければですね、許可すべきものでは無いんではないですか?」

[科学技術庁職員の答弁]:「地元住民の納得が無くては許可出来ない、というような仕組みにはなっていないんです。これは申請がありますと、我々はそれを、法律に基づきまして審査すると言う立場にございますので・・」

[異議申し立てする反対住民の発言]:「もし今の言い方だったら、四国電力は手続きをしたからやりましたが、住民の皆さんのことは知りません・・ということになってしまうんだよ」

[科学技術庁職員の答弁]:「まぁ、申し訳ないですけど、もう時間ですから」

[異議申し立てする反対住民の発言]:(一斉に抗議と避難の怒号)

【画面】:「2号炉岩盤試掘調査」と書かれた看板

【解説】:住民の訴えは却下。2号炉建設は始まりました。この頃、全国の電力会社で作る電気事業連合会は、原発の理解、促進を図るPR活動に力を入れるようになっていました。

【画面】:「原子炉がもしも事故を起こしたとしたら原子力発電所とその周辺はどうなる・・」「原子力発電所から海へ出る放射能はどんな影響を与えるでしょうか」「原子力発電所の安全設計はどこまで信頼できるのでしょうか」

等のタイトルの付いた全国紙掲載の(意見)広告

【解説】:これは全国紙に掲載された広告です。紙面には専門家たちが次々に登場。原子力の可能性、そして安全性を説いていました。

【テロップ】:当時 電気事業連合会広報部 稲垣俊吉さん

[当時 電気事業連合会広報部 稲垣俊吉]:「新聞の広告っていうのは、彼らには非常に良い収入源だったからね。こぞって、こじ開けてねぇ・・我が社にも、我が社にもっていうふうに言って来られたんで・・・。だから、そういうことから、あの・・各新聞社の人もですねぇ、そんなに、あの・・(原発の安全性に疑問を抱くような)そんなに厳しい記事っていうのは、(新聞各社も)書かれなかったんじゃぁないかなぁ・・」[◆註:19]

[◆註:19]大手全国紙の新聞各社も、広告収入(カネ儲け)優先に走り、原発を推進する電力会社の「露払い」を果たす形で「世論誘導」の役割を担ったことが解るであろう。

【解説】:伊方原発に反対してきた住民たちは、徐々に焦燥感を深めていきました。原告の一人、近藤誠さん。原発反対に対する世間の眼差しが変わっていった、と言います。[◆註:20]

[◆註:20]CIAに正力松太郎を推薦した「プロパガンダの雄」カール・ムント米上院議員や、正力松太郎の懐刀と称された柴田秀利、かれらと連動していたアメリカ中央情報局(CIA)が、1950年代に、既に見抜いていた「日本の新聞とテレビ・ネットワークを最大限用いた、原発推進のための最も効果的な啓蒙プロパガンダ」が見事に効果を見せ始めた。

(NHKETV特集 シリーズ 原発事故への道程(前編)「置き去りにされた慎重論」参照)

我が国の一般市民、国民大衆が、その筋の「権威ある」(と思われているに過ぎない)情報に振り回され、流されてしまう傾向があるのは問題。自分自身の頭で、主体的・自主的に、現象の根底にまで遡って思考する力の希薄さをいかにして克服していくかは大きな課題。

【テロップ】:伊方原発訴訟原告 近藤誠さん

[伊方原発訴訟原告 近藤誠]:「あの・・本当に、当時、『そういった農民、漁民ごときが何を言うか』だとか、あるいは、『地域エゴだ・・』とか、『日本中のエネルギーのことも考えずに、これからは原子力の時代なのに、それに棹さす愚かな者たちだ・・』ということで、何処へ行っても跳ねつけられてしまう。住民が話し合いを求めても、その話し合いそのものが拒否されてしまう」

[伊方原発訴訟原告 近藤誠]:「そういう中でね、やはり、賛成だという人間と、反対だという人間の意見を、公平に叩き合わせることが出来る場所というものがね、当時(は)、やっぱり裁判しかないんじゃないかと・・」

【テロップ】:伊方原発 活断層

【画面】:関西以西の日本地図と伊方原発の位置を示す白丸。大阪平野から九州天草諸島付近にまで伸びる黄色線の「中央構造線」。この黄色い線は佐田岬と重なり、その中央部に伊方町[旧三崎町]が位置している

【解説】:提訴から3年、伊方裁判では大地震の可能性についても議論が及びました。この頃、地震の原因となる活断層の存在が注目されるようになっていました。伊方原発の近くには巨大な活断層、中央構造線が走っています。

【画面】:「四国電力(株)伊方発電所の原子炉の設置に係る安全性について 昭和47年11月17日 原子炉安全専門審査会」の表題の冊子

【解説】:これは伊方原発の設置に当たり、国の安全専門審査会が作成した報告書です。

1.3 地震

過去約1,200年の記録によると、伊方地点周辺に影響をおよぼす地震として、豊後水道および伊予灘を震源とするタイプ-Aの地震と日向灘沖および安芸灘を震源とするタイプ-Bの地震に大別される。

このうち、日向灘沖の地震活動性は比較的盛んであるがタイプ-Aの地震の地域および安芸灘地域の地震活動性はやや不活発である。A、B2つのタイプの地震による敷地周辺での建物被害の記録はほとんどない。

【解説】:ここでは活断層や中央構造線については触れられていません。何故、安全性に係わる報告書に、活断層や中央構造線について記載が無いのか?原告側は問い質します。

【テロップ】:原告側弁護士 新谷勇人

[原告側弁護士 新谷勇人]:「活断層かどうかということは、非常に大切なことだと思いますけれども。そうじゃないんですか?」

[国側証人 大崎順彦]:「それがはっきり活断層として地震を起こす証拠があるならば、それは報告書にとどめるのは当然だと思いますが、そうでないという報告を受けておりますので、報告書にはとどめておりません」

[原告側弁護士 新谷勇人]:「本当に調べられたんですか?」

[国側証人 大崎順彦]:「調べられたと思います」

[原告側弁護士 新谷勇人]:「あなたは正確にはご存じないんですか?」

[国側証人 大崎順彦]:「ただ、そういう報告を受けていませんので、そういう事実がなかったものだと思います。もし、はっきりした活断層があるならば、そのことを松田委員らは、私に報告してくれると思いますが・・そういう報告はなかったということです」[◆註:21]

[◆註:21]「報告がなかった」ことが即「そういう事実がない」とは、必ずしも直結しない。ここでは「(確率論的有無も含めての)事実の有無」と「情報伝達の状況如何」の混同がある。

事実、以下に語られている通り、国側証人大崎順彦氏の証言がウソであったことが証明された!

【解説】:証言記録に名前が登場する松田委員を尋ねました。日本の活断層研究の第一人者で、当時、国の調査に当たった松田時彦さんです。

【テロップ】:当時原子炉安全専門審査会調査委員 松田時彦さん

[NHK記者の質問]:「ここに地震を起こす証拠があるならば、活断層として。それを報告書に留めるのは当然だと思いますが、そうでないという報告を受けておりますので・・」

[当時 原子炉安全専門審査会調査委員 松田時彦]:「あぁ・・それは・・あぁ・・それはウソですよ。それは・・ひどいですねぇ・・。あの、われわれが、周りの方が飽き飽きする程、あんなに時間を要したのは、なかなか中央構造線、あれが活断層であるっていうことを(証明する)その為に時間を取っていたのに・・。そのことが無かったと・・」

(絶句する松田時彦氏)

【テロップ】:「地質学論集」第12号

【解説】:当時、松田さんが作成した活断層の地図です。伊方近くには、活断層の存在が推定できるとしています。

【画面】:今治から佐田岬を経て豊後水道から大分県の臼杵にまで伸びる、活断層が赤の実線、及び赤の破線で書き込まれた愛媛県西部から大分県東部の白地図

【解説】:地震の可能性に触れる報告は、何故か封印されていました。後半の終盤になって、関係者に衝撃を与える出来事が起きます。裁判長が突然、移動になったのです。証人調べの殆どに立ち会い、現地にも足を運んでいた判事です。[◆註:22]

[◆註:22]政府の息のかかった司法当局(最高裁)による政治的左遷人事。こうした判事の移動は珍しくない。1959年3月30日の東京地方裁判所裁判長判事伊達秋雄の下した「駐留在日米軍は違憲」の東京地裁判決(いわゆる伊達判決)を、検察の飛越上告を受けた最高裁大法廷判決(裁判長・田中耕太郎最高裁長官)が同年12月16日、「駐留在日米軍は合憲」の逆転判決を下した際も、最高裁判事の「総入れ替え」が行われたことを彷彿とさせる。

この最高裁の砂川判決でも、忘れてならないことは、「日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限りその内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」とする、いわゆる「統治行為論」を法理論として適用し。原判決破棄し、地裁へ差し戻した点である。

(最高裁大法廷判決昭和34.12.16 最高裁判所刑事判例集13・13・3225)

【テロップ】:伊方原発訴訟一審判決 1978年4月25日

【解説】:1978年4月25日。松山地裁。伊方原発訴訟の判決の日です。提訴から4年、原発の安全性について科学的な論争が繰り広げられてきました。

【テロップ】:原告らの請求を棄却する

[松山地裁裁判長]:「原告らの請求を棄却する」

【解説】:万一の事故の場合でも、住民の安全は維持出来るとし、原発設置許可の取り消しを求める住民たちの要求は退けられました。更に判決では、原発の設置を誰が決めるのかまで、踏み込んでいます。

[松山地裁裁判長]:「原子炉の安全性の判断には、特に高度の専門的知識が必要であること。原子炉の設置は、国の高度の政策的判断と密接に関連することから、原子炉の設置許可は、周辺住民との関係でも、国の裁量行為に属するものと考えられる」[◆註:23]

[◆註:23]「砂川裁判最高裁判決」での「統治行為論」の、まさに再現!「原発版・統治行為論」である。

http://www.asyura2.com/11/senkyo113/msg/205.html

この後、伊方原発の2号機増設許可取消提訴(2号機訴訟)も、2000年12月15日の松山地裁豊永多門裁判長によって、許可の違法性は否定され、原告住民の請求棄却判決を下した。(原発訴訟史上初めて国の安全審査の問題点を指摘したという僅かな”おまけ”はあったが)

これら一連の伊方原発訴訟判決により、国の設置は絶対であり、地元が将来被りうる可能性のある人身被害、経済的被害は全く考慮する必要は無しとされた。この伊方原発訴訟以後、原発訴訟では原告勝訴の例がない。

【画面】:「辛酸入佳境」[◆註:24]の旗を持った敗訴した原告側の人々の姿

[◆註:24]足尾鉱山鉱毒事件で東奔西走した故田中正造が残した言葉。「何事もすべてを打ち込んで事にあたれば、苦労もかえってよろこびとなる」の意。

【解説】:裁量行為。つまり原発の設置許可は住民の合意に拘わらず、国の判断で行えるとするものでした。

【テロップ】:原告側弁護団長 藤田一良さん

[原告側弁護団長 藤田一良]:「あの・・専門家裁量と・・・ねぇ・・・だけど、そんな事ねぇ・・科学的な専門家がどうして、人のいのちとか財産とかを、そういうようなものを巻き込んで起こるような事故の審査をする(というような)ときに、その連中が裁量出来るっていうものは、どこ探しても、そういうようなものは、どこにもありません。世界中ないです。

【解説】:一方、国側の証人村主進さんは、そもそも原発の安全性を法廷で争う事自体、疑問を感じていた、と言います。

【テロップ】:国側証人 村主進さん

[国側証人 村主進]:「伊方裁判について。僕は、裁判する問題じゃないと思うんですよ。それを裁判で、良い、悪い、を言うべき問題じゃないと僕は思っているんですけどね。争う場はですね、やっぱしその・・何ですよ、論文で、その・・・ちゃんと書いたものを残して、それで、そのこれはこうだ、あれはああだって・・あんたの主張はここがおかしいんじゃないかって・・こんだ、こちら側は、こういう考え方で、こう主張しているんだって・・そういうことで、噛み合わせればね、自然現象っていうもん、科学っていうものは一点に収束するんですよ。

【テロップ】:愛媛県 伊方町

【解説】:判決が出た時、伊方原発は既に運転を開始していました。

【解説】:地元には、深い対立だけが残されました。

[NHK記者]:「おはようございます。宜しくお願いします。こんにちは」。

[伊方町住民 松田文治郎氏の家族]:「はい、はい。おはようございます」

【解説】:伊方町で原発推進派だった松田文治郎さんです。

[伊方町住民 松田文治郎]:「この地区は反対者が多かったんです。ちょうど、ここが、ぶおう(?)部落という部落じゃったんです。ところが、私の叔父とか従兄弟とかの親戚関係は、もう、ほとんど反対だったんです。

[松田文治郎氏の奥さん]:「うん。反対だった。やっぱりいろいろな考えの人が・・」

[伊方町住民 松田文治郎]:「親父が賛成で、息子のげぞう(?)が『町のためにならん。妙なもの作るってる・・』っていうようなこと言いましてね、えらい批判の・・何を言ってましたよ」

【解説】:原発建設に反対した大沢肇さんです。

【テロップ】:伊方町住民 大沢肇さん

[伊方町住民 大沢肇]:「わしんところには1000万円もろてやるけん、原発反対やめよ・・って言うてきた人あります。その人ん名は言われんけんどなぁ・・じゃけんど、私は『俺ぁ、カネで動くような人間じゃないわい!』って言うて、わっと断りましたけんど・・・」

[NHK記者の質問]:「それはカネより大切なものがあると思うから(ですか)・・?」

[伊方町住民 大沢肇]:「はい・・」

[NHK記者の質問]:「それは何ですか?」

[伊方町住民 大沢肇]:「・・・カネたっていうようなもんではない・・そりゃぁいのちよ・・」

[NHK記者の質問]:「うん・・」

[伊方町住民 大沢肇]:「ひとのいのちより大事なもんはないもの・・」[◆註:25]

[◆註:25]蝉時雨の中で、口ごもりながら、ポツン、ポツンと、つぶやき語る大沢肇氏の言葉の奥にあるものを感じ取って欲しい。遠く先祖から伝えられてきた、ふるさとの海や山を守りはぐくんできた貧しい佐田崎の一寒村(旧三崎町)の一老人の、いのちの叫びを、私たちは再度聴き取る必要がある。

【テロップ】:茨城県 東海村

【解説】:日本で最初に原発を受け入れた茨城県東海村。原子力関係の施設が多く集まっています。村上村長村上達也さんは、若い頃から変わっていく村の姿を見てきました。

【テロップ】:東海村村長村上達也さん

[東海村村長村上達也]:「いや、まぁ・・原発はだなぁ・・圧倒的な力を持っていますから、そこには皆働いて職を得る、(村の)財源もそこに頼ると・・いうことになりますからねぇ。ものが言えなくなりますよねぇ・・。原発立地市町村、それに対しては(国は)特別待遇をしてくるね、っていう感じの大変な世界だなぁ・・っていう感じがありますよねぇ・・。うん・・そういう面じゃ、いわゆる、こう国に取り込まれている世界だと・・。うん、うん、うん・・国に抱え込まれている世界だなぁ・・っていう感じがしますよねぇ」

【解説】:原発推進を国策として推進する行政。[◆註:26]

[◆註:26]戦前、戦中の満蒙開拓移民国策の戦後版、これが原発推進国策である。昭和農村大恐慌で生活難に喘ぐ貧農を大量に満州、朝鮮へ送り込み、「王道楽土」「五族協和」の旗印を掲げ、満州人や朝鮮人の土地や生命財産を侵略し、奪い尽くし、いのちまでも殺傷して武装開拓移民を送り込んできた満州開拓移民の国家を挙げての国策と、戦後1950年代半ばから始まった国内過疎地での原発建設の一大国策は、ピッタリ重なっている。

かつての「守れ満蒙生命線!」の、国策キャンペーンが、戦後は「守れ原発生命線!」に置き換えられただけだ。こうした国策に酔わされ「王道楽土の新天地」を夢見て、大陸に、満州に、朝鮮へと移住していった開拓移民たちが、昭和農村恐慌の嵐の吹き狂う内地の貧しい貧農生活では得られなかった「快適な生活」は、イコール、現代の原発立地を受け入れ、原発補助金で潤い、原発関連に就職できる生活を享受し、疑問も危険も感じない原発誘致自治体地域住民の「豊かさ感覚」とピッタリ重なっている。

(以上、後編(その1)終わり、(その2)へつづく)

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**転送転載歓迎**

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真の文明は

山を荒らさず

海を荒らさず

村を荒らさず

人を殺さざるべし (田中正造)

社会が激動している今この時

歴史に残る最大の悲劇は

「悪しき人々」の過激な言葉や暴力ではなく「善良な人々」の沈黙と無関心である

我々の世代が後世に恥ずべきは

「暗闇の子」の言動ではなく

「光の子」が抱く恐怖と無関心である (M.L.キング牧師)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0699:111128〕