国会の原発事故調査委員会(黒川清委員長)は5月27日の第15回会合に枝野幸男・経済産業相(前官房長官)を参考人として招き、事故当時の対応を中心に約2時間半にわたって事情聴取した。
各委員から、「炉心溶融」発表の遅れ、二転三転した「避難情報」の不手際などに厳しい追及が行われた。前回の海江田万里・前経産相は情報の混乱に振り回されたと証言していたが、枝野氏も「情報発信の不備」を率直に認め、反省の弁を繰り返した。
SPEEDIが働かず、避難指示に不手際
証言内容は28日朝刊各紙が詳報すると思われるので、質疑を傍聴して感じた幾つかの問題点を報告したい。
①「3・11事故」発生から15日ごろまでの情報が混乱。的確な情報をスピーディに流せなかった。放射性物質の拡散を予測するSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワーク)の試算公表の遅れが「住民の信頼を損なう大きな原因になった」と証言、「多くの皆さんが避難を余儀なくされ、申し訳なく思う」と陳謝した。避難区域が10㌔→,20㌔→30㌔圏と変わり、屋内退避要請も含め、避難指示に問題があったことを認めた。
「炉心溶融」公表が遅れる
②原子力安全・保安院の広報担当審議官が事故翌日の3月12日の記者会見で「炉心溶融」の可能性を認めた直後に担当を交代させられた点について、委員が「炉心溶融の言葉を使わないよう指示したのでは…」と追及。枝野氏は「こういう言葉を使うなと指示したことはない。翌日の私の会見でも『炉心溶融の可能性』と言っている」と否定したが、政府が炉心溶融を正式に認めたのは6月7日だった。この点を指摘されると、枝野氏は「3月13日の会見で、〝可能性〟に言及していた」と答えだけで言葉に窮した。
③3月15日未明に「東電全面撤退」の情報を耳にした枝野氏が第1原発の吉田昌郎所長(当時)に電話したことも明らかにした。「本社が全面撤退のようなことを言っているが、まだやれることはあるかと聞いたら、所長は『まだやれることがある。頑張ります』と答えた」のでホッとしたと証言。東電側は全面撤退を考えたことはないと説明しており、改めて政府中枢との認識の違いを露呈した。
④3月14日に米国から「米国人技術者の官邸駐在の要請」があったが、断った。その後もNRC(米国原子力規制委員会)からの情報が寄せられるなど、米国はかなり苛立っていた。外国への情報発信にも反省材料は多い。
「リスクコミュニケーション」の欠如を痛感
⑤東電と官邸間の情報の流れが悪いいうえ、保安院の説明も不適切。「直ちに人体に影響はない」との説明の仕方も反省している。「リスクコミュニケーション」の欠如を痛切に感じている。わが国にも有能な「政府広報官」を新設、リスク対策を充実させる必要がある。官房長官とは別な人材を育成して、広報態勢を整備しなければならないと思う。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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