アベノミクスとは何だったのか?4

 前回に議論の前提としたポイントから始めよう。
 先進工業諸国と形容される諸国の経済成長(GDPの増加率)が嘗てのような勢いがないのは明らかだ。浜矩子(同志社大学教授)さんは「(アベノミクスの)最大の眼目が成長戦略だというのも時代錯誤です。」(「朝日新聞」12月2日朝刊)と指摘している。いわゆるGDPの成長率を日本・アメリカ・ドイツでみると、1980~90年、1990~2000年、2000~10年、2010~14年(10月数値)の各期間のGDP拡大率は、日本=58、
12、8、4の各%、アメリカ=39、41、18、9の各%、ドイツ=26、21、10、7の各%である(計算は、各期初のGDP数値で期末のGDP数値で割るというごく単純な方式。直接に依拠した資料は「世界経済のネタ帳」というネット上に掲載されたもの。これはIMF:WORLD ECONOMIC DATABASESに拠るとされている。また、2014年10月の数値はIMFの同誌の10月号数値という。これはさらに「国民計算マニュアル」に基づいたデータ連鎖方式により、基準年との相対的格差を是正している、とされる。但し、私はIMFの原資料で確認はしていない)。
 問題は、このような成長率低下の理由だ。よく知られているように、第二次大戦後の資本主義諸国は、戦前にアメリカで既に確立していた重化学工業(これについては戦後の先進工業諸国とそれを主要構成要素とする世界経済の特質と密接に関わる。後に改めて触れなければならない)の導入が課題であった。それは経済発展の主要な担い手となり、各国の労働者にアメリカの労働者階級に類似した生活と雇用を保証しつつ国際的にアメリカと共存しうる競争力を確保する狙いもあった。日本を含む資本主義諸国はそれぞれに違いを伴いながらも国家の多様で強力な支援のもとにアメリカ型重化学工業の導入を進め、1970年代初めにはほぼそれに「成功」する。それはつまりそれまでの過程が、強大な経済の建設を通しての急激な経済規模の拡大と完全雇用・持続的賃金上昇を実現したのである。このことは、世界的に見ればアメリカとほぼ同質の経済を擁する国々が並立し競合するようになったことを意味する。いいかえれば、第一次大戦後以来のアメリカ経済の圧倒的強大さが大きく翳ったということになろう。1960年以降のドル危機の発生・深刻化とその結果としての1971年の
金・ドル交換停止(=戦後のアメリカ主導の国際通貨制度=IMF体制の崩壊)はその一つの顕著な現れであろう。アメリカ型重化学工業が担う矛盾の発現の始まりなのだ。