ブルマンさん。私の言いたいことは以下のように単純なことです。
1「あれっ。お米が余っているな。食べてしまおうかな」
2「いや。みんなお米を欲しがっているから、これで、他のものと交換しよう」
3「どこでもうまく交換が成功したな。これからは、交換のためにお米をなるべく食べないで残しておこう」
この段階では、この人がお米を欲する理由には、①使用価値あるいは消費財として欲している、②交換の手段として欲しているという二つのものがあります。これはまだ貨幣ではない。
これが、まったく⓶の理由だけになるには、呪物や金に固定化される、または「お上」が決めるなどの契機が必要なわけです。つまり、私が分析したいのは、「貨幣国定説」か「貨幣商品説」かということではなく、それに至る前段階の話のわけです。
「このような話は無駄である」とおっしゃるなら、仕方がありませんね。そうであれば、論争ではなく、分析対象の選択の問題ですから。