はじめに
チェルノブイリ原発事故の真相は依然として闇のなかにある。事故が起きた4号炉を覆う石棺のなかに、どれだけの核燃料が残っているのか、だれにも分からない。その原発事故がもたらした被曝災害についても、原因と結果を関連づけて検証することはきわめて困難であった。その直接的な原因は、事故直後に原子炉から環境に放出された放射線量(ベクレル、Bq)や、その際に人体が浴びた被曝線量(シーベルト、Sv)を知る手がかりがないことにある。旧ソ連政府が情報を「極秘指定」したからである。それをいいことに、世界や各国の原子力ロビーやその研究者たちは事故に対して恣意的な過小評価を行い、謬論と欺瞞が大手を振って罷り通ることになった。
チェルノブイリから国境を越えて北半球全域に降り注いだ放射性降下物(死の灰)の量と範囲について、ある推計がなされている。2006年の国連科学委員会とアメリカ政府の推計を平均すると、地元旧ソ連地区(3ヵ国)に降り注いだ放射線量は全体の35.5%に過ぎない。残る3分の2近くは、ヨーロッパ諸国(57%)、アジア、アフリカ(7%)に降り注いだ。(注1)
このような広範囲にわたる核災害の実態を解明するためには、国の政治的意志や国家的規模の検証機能の作動が必要不可欠である。ところが、国際原子力ロビーは一貫して健康被害の事実を黙殺し、実態を歪め、被曝事実を闇のなかに葬り去ろうとした。
だが、チェルノブイリ事故がもたらした被曝事実を消し去ることはできなかった。原子力ロビーの虚構の本質は時間が経過するなかで、顕在化する被曝事実によって暴かれた。被曝住民の闘いと現地研究者の誠実な努力によって調査・研究・検証され、欺瞞は白日の下にさらされた。小児甲状腺ガン「多発」の事実を国際原子力機関が正式に認定したのは、事故発生10年後であった。その実態に関しては膨大な資料、論文、文献が被曝事実を裏付けた。このような被曝の詳細と真実を解明するには、事故後20~30年という歳月が必要であったのかも知れない。
福島事故も5年目を迎えることになった。にもかかわらず、チェルノブイリと同じような経過と悪夢を追体験しようとしている。怪しげに「事故無関係論」を強弁する研究者もいる。チェルノブイリの事例を持ち出してまことしやかに両者の違いを強調している。だが、福島小児甲状腺ガンの事故後3年間の年間平均罹患率(りかんりつ)は、事故前に比べて「数十倍」も多発している。小児甲状腺の多発事実はチェルノブイリと共通しているが、早期多発の事実はそれを越えている。
この事実を自ら疫学的に論証しておきながら、「事故の影響」を否定するという自己矛盾に陥っている。持ち出した論理は「(福島の多発の)原因が被曝なら、相当な大量被曝を意味する。福島事故の線量は低いから、事故の影響は考えにくい」というものである。(注2)
この立論は科学的手法の放棄に等しい。健康破壊の現実「結果」から出発して、「原因」を解明する立場ではない。逆に、眼前の事実を〈否定〉するために、後にみるような根拠のないチェルノブイリと福島の事例を持ち出して、被害を闇に葬るというあの使い古したやり方である。
では、チェルノブイリ事故大惨事とはどのようなものであったか。先にふれたが、チェルノブイリの事故発生直後の放出線量や被曝線量の詳細はいまだに分からないが、放射線の地上降下線量の3分の1の、さらにその一部を浴びたと思われるベラルーシ国内だけでも、「数十万人の甲状腺異常疾患」(後述)を記録している。この事実から福島の多発と事故影響を類推することは決して不可能ではない。事故初期の短半減期放射性ヨウ素による被曝線量を、小児甲状腺ガン「多発」事実から逆に推計して被曝影響を論じることは、十分に可能である。いずれにしても、福島の現在、未来を考えるうえで、チェルノブイリの実態を知ることは必要である。過去の事実から引き出す教訓は、苦い教訓を含めてきわめて示唆に富んでいる。
(1) 「機密指定」されたチェルノブイリ事故
チェルノブイリ事故は、まもなく30年目を迎えようとしている。この長い歳月を経て明かになったことは何か。それは人工放射能が人体に及ぼす深刻な被曝影響である。放射線は人体60兆個の細胞を傷つける。臓器細胞を破壊し、DNAの二重鎖を切断する。それはたんに人の気力・感情・思考を奪い去るとか、皮膚、頭髪、目、歯などを外形的に傷つけるだけではない。放射線は全人格・全存在を脅かす反生命体的な毒物である。ところが、チェルノブイリ核災害ひとつとっても、その実態や真相はいまなお十分に解明されているとはいえない。このような不条理の最大の元凶は先にみたように旧ソ連政府である。事故直後の3年間、事故に関連した情報を「極秘指定」した。もちろん、その背後には、広島・長崎以後の国際原子力ロビーによる、核災害に対する極端な矮小化や過小評価という欺瞞があることはいうまでもない。本稿ではまずチェルノブイリ「空白の3年間」に関する引用から始めることにしよう。
「ソ連崩壊にいたるまでの5年余、中央政治局秘密会議議事録をはじめとした、初期の被曝資料の多くは、組織的に隠蔽・改ざん・破棄された。事故が発生した直後の最初の3年間、資料・記録を『極秘指定』し、放射線関連資料や記録を秘匿し、医療統計資料などを『是正不能』なまでに改ざんし、廃棄した。」(注3)
「放射線による疾患に関してなんらかの結論を出すには疾患の発生数と放射線量の相関関係が必要だと、一部の専門家が考えている…。これは不可能だとわれわれは考える。最初の数日間、全く計測が行われなかったからだ。当初の放射線量は、数週間から数ヶ月たってやっと計測された値より1000倍も高かった可能性がある。…当初の3年間はすべてのデータが機密指定された。…被曝データは、そもそも存在しないか、もしくは非常に不十分である。」(注4)
「被曝災害の実態解明に必要不可欠な公式記録や初動基礎資料の多くは残っていない。全身の被曝線量と内部被曝線量についてごまかすよう医師等に命令が下されていた。」(注5)
「現場に近いゴメリ州ホイニキ地区(人口3万2000人)中央病院記録保管室からは1万2000
件の入院カルテが盗難にあい、別な建物の屋根裏からわずか82件が見つかった。… 政府は、医師が放射線と被曝疾患を関連付けて診断することを禁止した。大惨事発生当初から3年半にわたって、ソ連邦政府が診療記録の隠蔽ないし改ざんを行った…。」(注6)
(2) 推定被曝死者数は最小「4000人」から、最大「150万人」まで
上記の引用から分かるように、チェルノブイリ事故がもたらした被曝被害の実態解明は、はじめから厚い壁に阻まれ、困難をきわめた。そのなかで放射線被曝という「原因」から、被曝死という事故災害の究極の「結果」を推計するには、3つの推計前提条件が必要である。
① 集団被曝線量 ② 被曝感受性に基づく危険度係数(尺度) ③ 推計対象期間
① 「集団被曝線量」とは、ある集団全体が浴びた被曝線量の総量である。だが、チェルノブイリ原発事故がもたらした被曝総線量を知ることは不可能である。その理由は、原子炉から放出された放射線量(ベクレル)の測定や、生体が浴びた被曝線量(シーベルト)の計測は、はじめから行われなかったからである。しかも、「大惨事に続く数日間あるいは数週間の放射能汚染値は、2、3年後に記録したものよりも数千倍も高かった。」(注7)とされている。それに加えて、意図的な隠蔽、記録の破棄、測定や計測のサボタージュなど、初動の立ち後れ、改ざんなど、あらゆる詭計を策した。そのために、「基礎資料」「公式記録」「測定記録」は残っていない。「集団被曝線量」を概算することさえも困難にしている。そこには底知れない〈チェルノブイリの闇〉が広がっていた。
② 「危険度係数」(リスクの評価基準)については、年齢別被曝感受性に対する評価の違いがあり、共通の尺度は存在していない。推定測定値や推定計則値は独自に行った。災害評価も独自の物差しを用いた。
③ 死亡「推計期間」は、期間を限定したものから、生涯にわたるものまである。この点に、推定死者数を一律に比較し、論じることができない理由もある。
これらの点を含めて、「極秘指定」にはじまった初期資料の不在は、事故災害評価を根底から混乱させることになった。次項でみるように「推定被曝死者一覧表」から取りだした数字は、桁違いに大きなちがいをみせている。なんと、推定被曝死者数の最小値と最大値の間には、「4千人:150万人」(1:350)のひらきがある。この著しい数字の違いは、事故災害における最大の暗部であり、評価のゆがみを意味している。また、過小評価という最悪の事態がつけ入るスキを与えることになった。
とくに、国際原子力ロビー(旧ソ連政府も呉越同舟)がつくり出した〈通説のゆがみ〉は、たんに数字上の問題に止まらない。実態解明を困難にし、初期の事故対策工程に深刻な影響を及ぼした。しかも、その数字はなんら訂正されることなく、現在に至っている。今後も被曝の真実の解明を含めて、適正な補足・訂正がなされるという期待はもてない。政治的バイアス(偏り)が、平然と〈科学〉を僭称し、公式見解とされるかも知れない。
(3) チェルノブイリ事故被曝死者数推定一覧
次に掲げる推定被曝死者数は、過去に、さまざまな研究機関や個人が発表したチェルノブイリ事故推定被曝死者数を、本稿筆者が文献やNETからとりだし、それを少ない順に列挙したものである。なお、推計対象地域が明示されていない場合は全世界、推計期間は生涯である。ただし一部例外もある。
① 「4000人」:IAEA主導、事故の年の非公開会議「国際専門家会議1986年報告」。国際チェルノブイリ・フォーラム2005年報告」でも訂正せず。日本政府官邸HP(2011年3月)、お抱え専門家の報告書冒頭(2013年)(注8)の引用も、いまだに、これを基調としている。
② 「9000人」:「国連WHO、放射能の影響に関する国連科学委(UNSCEAR・通称アンスケア)2006年報告」、推計被曝対象人口=740万人、集団被曝線量=60万人・Sv(6000万人の集団が、10mSv浴びた集団の被曝総線量に相当)。
③ 「1.6万人」:国連ガン研究機関(IARC)2006年推計(カルディス論文)。
④ 「2.8万人」:「アメリカ・エネルギー省2006年報告」、50年間、全世界、集団被曝線量=93万人・Sv(9300万人の集団が、10mSv浴びた集団被曝線量に相当)。
⑤ 「3万人~6万人」:キエフ会議(2006年)発表、全世界。
⑥ 「3~6万人」:欧州緑の党。
⑦ 「5万人」:1985年国際専門家会議(事故直後)、旧ソ連代表(ヴァレリー・レガソフ)推計。
⑧ 「10~20万人」:半数は事故の間接的影響、今中哲二(CNIC、2011/4)、旧ソ連圏。
⑨ 「21.2万人」:ロシア科学アカデミー。
⑩ 「23.3万人」:グリーンピース、生涯にわたるガン死者数、全世界、2006年。
⑪ 「47.5万人」:アメリカ人研究者・ジョン・ゴフマン、生涯にわたる白血病と固形ガン死、全世界、『人間と放射線』日本語版への序(1990年)、集団被曝線量=130万人・Sv(1億3000万人が、10mSv浴びた集団の被曝総線量に相当)。
⑫ 「46万人」:アレクセイ・ヤブロコフ他、非ガンを含めると「81.5万人」、70年間、全世界。
⑬ 「50万人」:ウクライナ一国、過去18年間、ホリッシナ推計(文献)。
⑭ 「73.4万人」:チェルノブイリ連合(ウクライナNGO)。
⑮ 「98万人」欧州放射線リスク委員会(ECRR)報告。
⑯ 「98.5万人」:ロシア医学アカデミー「2007年報告」、ニューヨーク科学アカデミー採用。
⑰ 「80万人~103万人」:(そのうち、旧ソ連23.7万人)『被害の全貌』、過去15年間、全世界、全疾患。
⑱ 「90万人~178万人」:カナダ研究者ベルテル、期間限定なし、全核種、全世界。
⑲ 「150万人」:ロシア環境研究者達の調査結果(ノーベル文学賞アレクシエービッチ)(注9)
なお、上記一覧はたんなる数字の羅列とみなすべきではない。問題は別なところにある。
原発事故現場に直接動員されて作業者(リクビダートル)だけでも86万人を数える。事故直後の「消火作業」(暴走阻止作業)で致死的な線量を浴びた作業者も数万人を越えている。その事実を踏まえると、国際原子力ロビーが推計する「死者4000人」「9000人」「1.6万人」は問題外である。推計の名に値しない。また、これとは別に「推定一覧項目」のなかには、有力な示唆的な手がかりを与えてくれるものがある。
それは、17番目「旧ソ連3ヵ国『23.7万人』(ウクライナ、ベラルーシ、ヨーロッパ側ロシア)」の統計である。これは国内「人口動態統計」(国勢調査)から求めたものであり、事故後15年間の死因別統計による死者数である。他の推計が用いた「集団被曝線量」「危険度係数」によって推計したものではない。その点で、この統計は推計死者数を考えるうえできわめて重要な判断基準となる。このほかにも見落とせないことがある。
① 「遅発性・晩発性被曝疾患死」は今後数十年間累積する。
② 「遺伝性被曝疾患死」も発現する。
③ 遺伝疾患死まで統計集積期間を延ばせば、「150万人」は上限かどうかわからない。
(4) 「非ガン性被曝疾患」死者数
20年を経てようやく明らかになった重要な事実がある。上記のチェルノブイリ原発事故による被曝死者といえば、これまでほとんど「ガン死者」を意味していた。推計当時の専門家の認識(知見)も、被曝疾患死=ガン死であった。それ以外の疾患死は考えていなかった。ところが、チェルノブイリ20年間の研究成果によって、「循環器系被曝疾患死等の多発」という知見がはじめて明らかにされた。この欠落事項を考慮すると、先に事故直後から20年間にわたって推計された被曝死者数は、その数字をさらに上積みし、倍増するという計算になる。少なくとも、既述したように原発推進の国際諸機関による低い推計数が過少にすぎることは明白である。
さらに、放射線被曝による発ガン「潜伏期間」(臨床的にガン疾患が認定されるまで期間)の想定についても、被曝死者数と同じような見当違いや誤りの事実が明らかになった。これまで、広島・長崎の原爆資料は歪んだ情報を世界に向けて発信してきた。その典型的な例は、甲状腺ガンの潜伏期間「10~15年」、その他の臓器「20年、30年」というものであった。これに対して、現地研究者たちはチェルノブイリ事故の検証を経て、通説の誤りを指摘した。原爆資料は「偽造され」「不完全なもの」と断定した(注10)。なお、付記すれば、日米共同研究機関「放影研」は本稿筆者の問い合わせに対する回答のなかで「臓器別の潜伏期間という考え方を用いないで、一律10年としている」(2013年8月)という主旨の訂正を行った。だが、この訂正も不十分である。
潜伏期間については、福島小児甲状腺ガン発症によっても裏付けられている。発症はすでに事故の翌年8月(集計、事故発生1年7ヶ月後)からはじまり、3年後には事故前平均罹患率の40~50倍(一巡目112人。二巡目累計は153人)も多発している。この事実も、訂正後も含めて原爆資料に基づく通説の誤りを裏付けている。(関連論文、近日発表予定)。
(5) チェルノブイリ事故の大惨事
以上みたように推定被曝死者数に体現されるチェルノブイリ事故災害の事実は、独自の論拠の下に独り歩きをしてきた。では、実際の被曝災害の実態とはどのようなものか。チェルノブイリ事故処理作業現場の実態からみていくことにしよう。
その光景はこれまで伝えられてきた状況をはるかに超えて、生と死の壮絶な格闘であった。わずか一基の原発事故がもたらした惨劇の意味は、想像力さえも越えていた。これから詳細をみるが、そのTVドキュメントによると、チェルノブイリ事故直後の現場周辺の線量は、ところによっては「毎時2080レントゲン」(2万800mSv=20.8Sv、即発性致死量の約4倍)を記録した。この空間線量の下で核暴走を阻止するためには、作業者1人当たりの許容作業時間は、わずか40秒~数分間しか与えられていなかった。そのために、通常作業量1時間・1人分をこなすには、延べ人数は毎時20~90人が必要であった。だが、いっさいの記録は残されていない。
このような過酷な作業現場に動員された事故処理作業者(リクビダートル・後片づけをする人・兵士、消防士、警察官、労働者)は、最初の数日間だけでも数万人という。全体ではどのくらいの作業者が動員されたか、その総数に関しては、これまで諸説が入り乱れていた。「40万人」「延べ60万人」「数十万人」「80万人」という数字が残されてきた。
この議論に終止符が打たれたのは、多分2000年ではないかと思われる。モスクワで開催された事故14周年追悼式典でKhristenkoロシア副首相は、正式に「リクビダートル86万人」と発表した。この数字は公式記録としては過去最高の推計であり、確度の高い数字といえる。(注11)
事故処理作業者は「2次爆発阻止」「地下水汚染阻止」「石棺完成」まで7ヶ月間にわたって、空・陸・地下から事故処理にあたった。その現場を撮影したフィルムや証言記録が事故現場の迫真を伝えている。『チェルノブイリ連鎖爆発阻止2006年版』(製作イギリス・BBC、監督トーマス・ジョンソン、日本国内放送、2013年5月25日、ディスカバリー・チャンネル)がそれである。
この証言記録の確かさは証言や資料の直接性にある。とくに、事故の責任を感じて自死した原発推進物理学者・最高責任者レガソフの遺書や生存者の生の証言など、さまざまな関係者の証言をもとに構成されたTVドキュメントとして貴重である。また、この作品は事故発生後20年間にわたる調査研究の成果を反映して作成されたものである。ドキュメントが描くチェルノブイリ事故現場の惨状は、この世の地獄を彷彿させる。以下、いくつかの衝撃的な事実をあげてみよう。(なお、大統領エリチンは物理学者レガソフに「英雄」の称号を与えた。また、当時の共産党キエフ書記長(市長)も自死によって事後対策の遅れの責任をとった)。
(6) チェルノブイリ事故の真実
① 爆発によって重さ1200トンの4号炉原子炉容器の上蓋が一瞬に吹き飛んだ。虹のような閃光と火花は上空を突き抜け、破片は周囲数百メートルに散乱した。メルトダウン(炉心溶融)によって放射性物質を含んだ粉塵は、数千メートル上空に舞い上がった。北西の風と雲に運ばれてヨーロッパ大陸、北半球を覆い尽くした。「死の灰」(放射性降下物)が広範囲に降り注ぐという大惨事であった。
② 事故直後はたんに「一般火災」とされた。当時の大統領ゴルバチョフは「事故処理は1~2ヵ月で終る」という報告を受けた。被曝には無防備で駆けつけた消防士は、放射線事故とは知らされないまま、強烈な放射線と高熱にさらされながら「消火活動」をした。作業者うち「28人」は、即死に近い最初の犠牲者であった。中性子線、α線、β線、γ線によって、造血機能、体内細胞、血管内壁細胞など、細胞再生・維持機能が瞬時に破壊され、代謝不能に陥った。体内臓器は組織の内側から溶けはじめ、酷い激痛のうちに、即発性被曝死を遂げた。その作業者「28人」は鉛の棺に入れられ、英雄としてモスクワ郊外の墓地に埋葬されている。
③ 毎時数千mSvという高レベル放射線を浴びたときに最初に体感するのは「金属臭」(放射性セシウムなどの金属)であった。それに次ぐ知覚症状は、初期被曝症状(悪心、めまい、吐き気、*鼻血、下痢など)さまざまな被曝症状をみせた。作業現場では鼻血が出たら病院へ、外見の被曝症状がなくても、ぐったりと倒れたら自宅に帰された。このような高線量被曝と熱気がもたらした作業者への生体破壊は、事故現場に着いた瞬間からはじまった。
*この鼻血も『美味しんぼ』の鼻血と何ら変わらない。むしろ、事故初期の放射能雲(プルーム)がもたらした高線量被曝症状と重なっていると解釈すべきである。
④ 現場上空では、2400トンの遮蔽用の鉛を空中から投下した。その決死の任務にあたったのは、アフガン帰りのヘリコプター・パイロットであった。彼ら「600人」は、事故発生後から20年以内に全員が死亡した。
⑤ 原子炉メルトダウン→地下水汚染阻止→炉心直下の遮蔽壁設置のために、横穴150m(掘削、13m/日)の地下トンネルを掘った。その作業には、全員20歳代の炭鉱労働者が全国から動員された。被曝した主な場所はトンネル外であった。作業者1万人中2500人(4分の1)が、40歳未満でその生涯を閉じた。
⑥ 事故発生18日後の5月14日、大統領ゴルバチョフは本格的な事故処理作業開始の声明を発表した。この事故処理作戦には予備役兵士10万人、労働者40万人が動員された。このときの現場取材を許された5人の記者のうち、20年後の生存者は2人であった。この他にも、初期の事故処理作業現場を地上・空中で取材した多くの記者は、20年以内にほとんど亡くなったという。
(7) 『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』の意義
このようなチェルノブイリ事故現場の凄まじい実態は、事故後の歳月の経過とともに酷い相貌をあらわにした。それは身を挺して事故処理にあたったリクビダートルの20年後の無残な生涯にもあらわれている。また、重度汚染地域の住民が被った被曝の真相の一端を知るためにも、20年という長い歳月、膨大な研究、調査、統計資料の積み重ねが必要であったことを物語っている。
そのチェルノブイリ原発事故は、ヒロシマ・ナガサキ後に人類が経験した最大の核惨事である。それをできる限り克明に記録した書が『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』(以下『被害の全貌』という)である。その調査報告にはおびただしい被曝疾患の事実が示されている。だが、その調査報告では被曝による疾患を裏付ける被曝線量が特定されているわけではない。国際原子力ロビーの専門家はその数字の不十分さを指摘・強調する。だが、被曝線量を数字で示すことはできないが、被曝という損傷事実を消し去ることはできない。それは決して地中からわき出したものではない。生きとし生ける生命体の全存在が、空から降り注いだ死の灰によって破壊され抹殺されたのである。その爪痕が被曝の事実を雄弁に告げている。その事実が厳存しているにもかかわらず、歪められた〈科学〉の名においてそれを認定しないだけである。
『被害の全貌』の最初の1ページには次のような序が寄せられている
「特に衝撃的だったのは、被曝者に多種多様ながん以外の疾患が多発していること、放射線障害の特徴は老化に似ていること、子どもの健康に与える深刻な影響等であった。『汚染地に住む子どものうち健康な子どもは20%以下である』という報告は、いまだに信じがたい思いもある一方、あり得ることだろうとも思えた。…チェルノブイリ事故による健康被害の実態が世に紹介され、被曝リスクを軽視すれば25年後にどうなるのか、学ぶべきデータが示されていることの意味は大きい。」(崎山比早子、出典『被害の全貌』p. v、以下出典省略)
◇文献リスト1000点、情報5000点を網羅
「チェルノブイリ大惨事の影響に関する文献は、現在、スラブ系言語で書かれたものを中心に3万点以上の出版物がある。数百万もの文書/資料が、さまざまなインターネット情報空間に叙述、回想、地図、写真などの形で存在している。たとえば、Googleでは1450万点、YANDEXでは187万点、RAMBELERでは125万点が検索できる」。(p. xi)
日本国内でも、チェルノブイリ事故関連文献は、国立国会図書館に月刊誌、週刊誌数点を含めて1351冊(2013年末現在)が所蔵されている。
「おそらく、本書はチェルノブイリが人々の健康と環境に及ぼした悪影響に関するデータを、最も多く広く包括的に集めたものである。…取り上げた文献リストは1000本にのぼり、スラブ系言語で書かれたものを中心に5000点以上の印刷物やインターネットの出版物の内容を反映している。…本書の著作目的は、事実の学術的な分析ではない。分析するには数多くの学術論文が必要である。ここでは、知られている限りの、事故の影響による傷害の規模や範囲を明らかにすることにある。実態解明には、この先も長い時間がかかるだろう。…今こそ、一方にはテクノクラシー(科学技術:引用者注)の信奉者、もう一方にはチェルノブイリの放射性降下物に被曝した人びとに対する悪影響のリスクを判定する客観的かつ科学的手法の支持者、という対立に終止符を打つときがきている。リスクが小さくないと信じる根拠には強い説得力がある。」(p. ix、p. xi)
『被害の全貌』が発表されたのは2007年、事故発生21年後である。露・独語版刊行は2008年、続いて2009年、英語版がニューヨーク科学アカデミー紀要として刊行された。さらに、日本語版刊行は4年後(事故発生27年後)の2013年、監訳星川淳、訳「チェルノブイリ被害レポート翻訳チーム」、B5版、296ページ、5000円、岩波書店刊である。原題は『チェルノブイリ:大惨事による人びとと環境への影響』(Chernobyl: Consequences of Catastrophe for People and the Environment)である。
◇ 著者
アレクセイ・V・ヤブロコフ、バシリー・V・ネステレンコ、アレクセイ・B・ネステレンコ、ナタリヤ・E・プレオブラジェンスカヤ。
◇ 構成
第1部、放射能汚染の程度と特性の推定。
第2部、住民の健康への影響を分析。
第3部、環境への影響を実証。
第4部、事故影響の最小化と対策。
◇ 『被害の全貌』を読むに際して
現地の人たちが、ウクライナ・オレンジ革命を経てチェルノブイリ法を勝ちとったのは事故5年後の1991年である。そのなかで、次のように厳格な居住制限線量を定めた。下記の強制移住区域「年間5mSv以上」とは、日本の「放射線管理区域」の線量基準に相当する。この管理区域から外に出る際は、シャワーを浴び、着衣や作業器具などを持ち出すことは法的に禁止している。また、福島では事故4年後時点において、年間被曝線量限度は「20mSv」が適用されていることを念頭に置いて、以下を読み進めていく必要がある。
放射線監視区域(年間0.5~1mSv)
移住権利区域(年間1~5mSv)
強制移住区域(年間5mSv以上)
(8) 『被害の全貌』にみるチェルノブイリ事故による健康破壊の実態
「1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原子力発電所4号炉の爆発は、地球上の何百万、何千万もの人びとにとって、人生を二分するものになった。『事故前』と『事故後』である。チェルノブイリ大惨事では『リクビダートル』すなわち現場で放射能漏出を食い止めようとした事故処理作業員が危険を顧みず未曾有の技術的危機に徒手空拳で立ち向かった。一方、われわれのみるかぎり公職者は卑怯な臆病ぶりを露呈し、何の落ち度もない住民が想像を絶する害を被るおそれがあることを警告しなかった。チェルノブイリは人間の苦しみと同義になり、われわれの生きる世界にあたらしい言葉を付け加えた。チェルノブイリのリクビダートル、チェルノブイリの子どもたち、チェルノブイリ・エイズ、チェルノブイリ放射能汚染、チェルノブイリ・ハート、チェルノブイリ・ダスト、そして、チェルノブイリの首飾り(甲状腺外科手術跡)などである。」(P. xiv)
「この25年間で、原子力には核兵器より大きな危険が潜んでいることが明らかになった。チェルノブイリのたったひとつの原子炉からの放射性物質の放出は、広島と長崎に投下された爆弾による放射能汚染を数百倍も上回った、どこの国の市民もだれ1人として、自分を放射能汚染から守れるという確証をえられなかった。ひとつの原子炉だけでも、地球の半分を汚染できるのだ。チェルノブイリ由来の放射性降下物は北半球全体を覆った。
いまだにわからないことがある。どれほど多くの放射性核種が世界に拡散したのか。『石棺』すなわち原子炉を覆うドームの中に、依然としてどれぐらいの放射能が残留しているのか ――だれもはっきりと分からないが、大気中の放出された放射性核種の推定量は5000万~100億キュリー(1キュリー=370億Bq)の幅がある。」(p. xiv)
◇ 小児甲状腺疾患
検査項目:甲状腺ガン、甲状腺腫、結節、機能亢進症、機能低下症、ATC陽性・抗体検査、AMC陽性・抗体検査など。検査内容:チェルノブイリ現地、事故後5~10年間、被曝時0~10歳集団、検査対象12万人、上記「甲状腺異常者総数」:39%、「甲状腺ガン」罹患者数:10万人当たり42人。(注12)
① 「メルトダウン直後の10日間、鼻咽頭や気管支などの上部呼吸器疾患が広がっていたことは多くの人が知っていた。どれほどの量あるいは線量のホットパーティクル(放射性粒子)が鼻咽頭の上皮に付着して、この症候群を引き起こしたか分からない。おそらく、一般に認められている数字よりも高かったのだろう。…小児甲状腺ガン発症時期は、これまで認められていた発症期間よりも早かった。」(p. viii)
② ベラルーシでは、2000年(事故14年後)までに数十万人が甲状腺の病変(甲状腺がん、結節性甲状腺腫、甲状腺炎)が正式に記録された。年間3000人が甲状腺の外科手術を必要としている。…診察した5万1412人の子どもに、甲状腺ガン1例につき1125例の比率で甲状腺の病変がみられた。(p. 77、p. 88)
③ 「今日までに得られた重要な知見の1つは、甲状腺がんの症例が1例あれば、他の種類の甲状腺疾患が約1.000例存在することである。これにより、ベラルーシだけでも150万人近い人々が甲状腺疾患を発症する恐れがあると専門家はみている。」(p. 82、2004年)
④ 2009年(事故23年後)までにウクライナ全土で、合計6.049人の成人と子どもが甲状腺がんの手術を受けた。子どものときに甲状腺がんを発症した人の60%以上が、汚染度の高い地域に住んでいた。2001年から2006年(事故後15~20年)にかけて年平均400例の(新たな)登録があり、チェルノブイリ事故前の33倍(0歳から14歳までの小児では60倍)にまで増加している。(P. 144)
⑤ 臨床的には、漸進的な徴候がないにもかかわらず、早期に、また高頻度にリンパ節転移が見られる。約46.9%の患者で腫瘍が甲状腺外に及んでいる。患者の55.0%に頸部リンパ節への局所転移が生じており、初回手術後もまもなく切除しきれなかった転移巣が発現し、その切除のために繰り返し手術を要した。(p. 144)
◇ 1986~2056年(70年間)までの甲状腺ガン発生予想数、予測死者数
ベラルーシ発症予想数 3万1.400人 予想死亡数 9.012人
ウクライナ 同 1万8.805人 同 5.397人
ロシア 同 8.626人 同 2.476人
ヨーロッパ 同 9万2.627人 同 2万6584人 (p. 151)
◇ 血液がんと白血病
被曝後から白血病を発症するまでの期間は数ヶ月から数年で、発生率は被曝後6年目以降8年目までに最大になる。(p. 152)
◇ 小児悪性新生物(ベラルーシ国立小児腫瘍学・血液学研究センター、1989~2003年、各種疾患症例4.950) 内訳:血液・造血器のがん、中枢神経系がん、甲状腺がん、交感神経系がん、腎臓がん、リンパ腫、肝臓がん、骨肉腫、軟部肉腫、網膜芽細胞腫、胚細胞腫瘍、栄養膜腫瘍、性腺腫瘍。(p. 157)
◇ 中枢神経系損傷
子どもと成人の両方で中枢神経系の疾患が懸念材料である。(感情抑制機能低下によるD
Vの増加という研究もある。東北大医学部報告:引用者注)。目の病気、とくに白内障の発
生数が急増している。強い懸念材料として、妊娠の合併症がある。(p. viii)
◇ 脳や臓器の損傷
「脳の損傷がリクビダートルや汚染地域の住民とその子供たちなど、放射線に直接さらされた人びとにみられた。若年性白内障、歯と口の異常、血液、リンパ、心臓、肺、消化器、泌尿器、骨、および皮膚の疾患によって、人々は老弱を問わず苦しめられ、健康を損なっている。遺伝的損傷と先天的異常が、…高濃度の汚染された地域で生まれた子どもに認められる。…総罹病率は20年以上にわたり依然として高い。」(p. 49)
◇ 「突然死」
ゴメリ州で突然死した285人の大多数(98%)の遺体において、心臓、腎臓、および肝臓に沈着した放射性核種の濃度が、有意に高かった(p. 176、バンダジェフスキー、1999)
◇ 健康でない子ども
「ベラルーシ保健省のデータによれば、大惨事直前(1985年)には90%の子どもが『健康といえる状態』にあった。ところが2000年にはそのような子どもは20%以下となり、もっとも汚染のひどいゴメリ州では、健康な子どもは10%以下になっていた。」(p. 35)
「子どもの罹病率全体が高まり、『健康といえる子ども』の割合が減り続けている。たとえばウクライナの首都キエフ(130~150km圏:引用者注)では、メルトダウン前は90%の子どもが健康とみなされていたが、現在(事故約20年後、事故後に生まれた子ども:引用者注)その数は20%である。ウクライナ領内にあるポレーシェ(湿地帯、自給自足か:引用者注)のいくつかの地域には、もはや健康な子どもは存在せず、事実上すべての年齢層で罹病率が上がっている。」(p. viii)
◇ 固形ガンを上回る「循環器系疾患」(非ガン性疾患)の多発
「疾病の発生頻度は、チェルノブイリ事故以来、数倍になっている。心臓発作や虚血性疾患が増え、心血管疾患(血管内皮細胞の放射線損傷による心筋梗塞、狭心症、脳梗塞、血管老化)などの非ガン性疾患が増加していることは明らかだ。これに伴って平均寿命が短くなっている。眼の病気、とくに白内障の発生数が増加している。」(p. viii)(ウクライナ総人口約4500万人、全体の寿命71歳、男性66歳、女性76歳。死因別死亡率、循環器系多発66%、ガン13%、外因性6%、消化器系4%:引用者注)。(注13)
◇ 死因別死亡率
ウクライナの事故発生20年後の一般的な「人口動態統計」による死因別死亡率では、被曝疾患をふくめた循環器系疾患の死亡率が、ガン疾患全体の死亡率の5倍に達している。さらに、事故処理作業者(リクビダートル)においては、循環器系死亡率はガン疾患死亡率の8倍である。これに対して、日本の国内「人口動態統計」では逆な傾向をみせている。ガン死因率が循環器系死因率の3倍である。
◇ その他問題点
① 「チェルノブイリ事故の降下物に汚染された地域で活動する住民、医療関係者」に対して、以下のような兆候を指摘している。
1、低レベル汚染地域に住む人々の集団被曝線量(累積被曝線量か・引用者注)が目に見えて増え続けており、注視すべきである。
2、汚染にさらされた地域に住む多くの人々の個人被曝線量が(論理的には低下するとされているにもかかわらず)上昇している。
3、ガン(皮膚ガン、乳ガン、肺ガン等)の進行には20年の潜伏期間を要するという予断を捨てる必要がある。発ガン物質によって、発症の潜伏期間が異なるからである。子どもの被害者が好例である。
4、免疫系が長期間にわたって抑制された結果、多くの疾患が増加する。中枢神経系全般、とくに側頭葉・辺縁系が被曝によって破壊されたために、ますます多くの人々の知的発 達に問題が生じ、国民全体の知的水準を低下させる可能性がある。
5、放射能に誘発された染色体突然変異の結果、さまざまな様相、形の先天性疾患が汚染地域だけでなく、人々の移住にともなって多くの地域に、また何世代にもわたって拡散するだろう。
② ある地域における複数の放射性核種をすべて把握することは不可能。ストロンチウム90だけに汚染されたはずの牛乳から、セシウム137が検出された例などいくつもある。
③ 土壌から動・植物を介した食物連鎖による放射性核種の移行、汚染程度の把握、年ごとの土壌汚染は変化し、季節や気象条件の変動による測定は困難。
④ 汚染地域からの転出は事故後14年間で150万人(人口の15%、チェルノブイリか)、ベラルーシをあとにした人は10年間(90~00年)で67万人(人口の7%)に達した。
⑤ 被曝疾患(甲状腺ガンその他)の発症増加を隠し切れなくなると、
1、放射線恐怖症(ヒステリー)という心理的要因説が登場。
2、「しきい値のない直線的効果モデル」(人口放射線被曝は少なければ少ないほどよい
という考え方)を否定するキャンペーンを開始。
3、低線量放射線は生き物に有益だと主張をする(ホルミシス効果信奉学者、ラドンガス
吸入による免疫力向上説)も登場。
4、被曝傷害の要因を他の要因にすり替えようとした。
5、汚染分布はまだら状であり、均一ではない。個々人の被曝線量は、その地域の平均
値を上下する可能性が高い。土壌汚染分布も年ごとに増減が変動する。
⑥ 災害事実を隠蔽したのは旧ソ連だけではない。フランス、アメリカも事実を隠蔽した。フランス政府は、汚染雲の上空通過の事実を否定した。アメリカ農務省は、輸入食品から危険レベルの放射線が検出された事実を隠した。はじめて公表したのは事故8年後であった。たとえば、ソ連厚生省は秘密通達で、放射能で汚染された牛肉は「10:1」に混ぜ合わせて加工するよう指示した(参照注3)。アメリカ政府は国内の輸入食品の在庫がなくなるまで、その事実を発表しなかった。
(9) 補足1 英語版刊行への悪質なデマ
『被害の全貌』の英語版について、あるネットサイトでは「英語版は内容に問題があり、再版されなかった」とあるが、これは悪質な「デマ」である。刊行したニューヨークアカデミーは英語版を学術論文(紀要)として定期刊行したことを明記している。ネット検索は可能である。(注14)
同アカデミーは出版の際に、IAEA(国際原子力機関)に対して、資料公開を申し入れた。IAEAが旧ソ連政府から受け取った事故関連資料を学術的資料として刊行したいというものであった。だが、いまだに公開は実現していない。推定するに、IAEAの非公開の理由は、崩壊した旧ソ連政府と結んだ秘密保護条項「一方が、他方の同意を得ない限り、公表できない」を口実にしているものと思われる。IAEAは同じ取り決めを日本政府、福島県、福島県立医大と締結している。秘密保護法とも関連している。
◇ 補足2 福島が学んだ〈黒の教訓〉
福島事故における被曝・避難対策について論じないわけにはいかない。果たして、チェルノブイリの教訓は福島事故において生かされたのか? 答えは「否」である。これからみていくように、チェルノブイリ事故から学んだものは、結果からさかのぼると〈黒の教訓〉でしかなかった、といえるだろう。チェルノブイリと同じことが福島で起きている。3つの問題点をあげておくことにしよう。
① 事故直後における初動の測定や計測の放置は、作為的サボタージュといわざるをえない。事故直後の福島県移動測定車への文科省による撤収の指示、スピーディ(SPEEDI、緊急時迅速放射能影響予測ネットワーク)の情報隠し、情報の後出しなどは、チェルノブイリ事故に学んだ〈黒の教訓〉の存在を裏付けるに十分な物的証拠である。事故直後に緊急避難する住民にとって不可欠な「危険情報」を知らせないで、これを秘匿、隠蔽、情報操作したものとしかいいようがない。この事実の背後には、何があるか。そこには、事故被害の処理や被曝疾患の原因に対して責任を負う側にとっての、責任逃れと保身策がある。そのためには、あらゆる被曝の痕跡や被曝傷害の裏付けになる情報や記録を少しでも消し去ことであった。この状況証拠と重ね合わせて考えると、〈黒の教訓〉の存在が鮮明に浮かび上がる。チェルノブイリ事故から真の教訓を学んだのではなかった。
② 放射性ヨウ素131(半減期は8日)の放出・被曝線量の記録はほとんど存在していない。そのために、被曝傷害の実態解明を困難にし、行政の言い逃れに口実を与えている。福島県KKKは初期被曝を裏付ける資料がないことを隠れ蓑にして、事故の被曝影響を否定し続けている。だが、福島小児甲状腺ガン罹患率は、事故前の自然発ガン率に比べて「数十倍」も多発し多発し、疫学的に論証されている。
せいぜい1080人足らずの初期被曝線量の資料が、言い訳程度に残されているに過ぎない。
いま、その不十分さを補うために、福島県「県民健康調査」検討委員会(福島県KKK)は、受診者の各家庭に「問診票」を送付し、当時の行動パターンを16~18通りに分けて聞き取り調査をしている。だが、回収率(15年11/30現在)は36%に過ぎない。事故初期の数日間、短期集中的に浴びたと思われる多量の吸入被曝、外部被曝、経口被曝の線量の把握は、このようなあいまいな記憶に頼るしかない。正確な検証は困難である。このような被曝影響の否定やあいまいさは、被曝傷害の進行・拡大につながる。小児甲状腺ガンと同じように、多発が確実視されている被曝時年齢19~34歳の若年成人集団の成人甲状腺ガン検診を放置すべきではない。他県への検診対象地域も拡大するべきである。
それだけではない。すでに浴びてしまった過去の被曝線量を排除し、不問にすることは許し難い。あらたな累積被曝を加重する危険性の黙殺であり、加重被曝の強制という深刻な問題をはらんでいる。偽りの安全の強制は、危険の強制である。チェルノブイリはいまも過去と現在の汚染と被曝に苦しんでいる。福島が学ぶべき最大の教訓はそこにある。
③ 福島事故が起きたその直後の数日間に、安定ヨウ素剤を飲ませなかったこと(不指示、不投与)は、間違いなくチェルノブイリに次いで〈2度目の失敗〉であった。そこには反論の余地はひとかけらもない。〈行政側になんらの作為もなかった。パニックを避けたのでもない〉といえるわけがない。明白な根拠がある。それ自体は妥当な措置といえるが、福島県立医科大学の教職員・学生、家族は、配付地域50km圏外でありながら、40歳以下は全員投与・服用した。これに反して、県からの指示がなかったために服用しなかった該当福島県民は99%(筆者取材・検証)が服用しなかった。この行政責任は重い。それは未必の故意というに等しい。また、福島事故が起きる前から、多くの在日外国人にとって原発事故発生直後の安定ヨウ素剤の投与・服用は常識であった。彼らはそれを即刻実行した。日本の官僚や専門家たちも、事故発生以前から、その必要性・緊急性・重要性を熟知していた。参考までに、下記の引用論文は事故2年前のものである。
「ポーランドにも、同じような放射性降下物が降り注いだが、環境モニタリングの成果を生かし、あらかじめ安定ヨウ素剤をすばやく飲ませたために、小児甲状腺がんの発症はゼロであった。安定ヨウ素剤の服用は甲状腺を放射性ヨウ素からブロックしてくれる。」(福島県アドバイサー山下俊一)。(注15)
なお、ここでは上記引用のなかの「ポーランドの発症ゼロ」は間違いであることだけ付記しよう。いずれにしても、福島事故発生の際に投与・服用を指示しなかったことは社会的な犯罪である。被曝防護の初歩的な常識さえも「安全神話」のなかに封印したことになる。
④ ウクライナ医学アカデミー責任者は、福島事故の25年前に起きたチェルノブイリ事故について、次のような教訓と警告を日本の研究者に語っている。2013年時点の発言とはいえ、その教訓は、世界や日本でも福島事故前から広く共有されていたはずである。にもかかわらず、安全策を講じないばかりか、危険情報を握りつぶし、被曝危険性を熟知していながら偽りの「安心デマ」を流した専門家の責任を厳しく問うべきである。
「甲状腺ガンに関するウクライナの失敗とは、事故直後にヨウ素剤を配付、投与することが出来なかったことであった。これが最大の失敗であった。」(注16)
参考文献
(注1) ヤブロコフ他『チェルノブイリ被害の全貌』(以下『被害の全貌』という)、p. 22、(本書は本文の中で詳解)。 出典:「Fairlie and Sumner 2006」、国連科学委:旧ソ連36%、ヨーロッパ52%、アメリカ・エネ省:同35%、同62%、表記数字は両者の平均。
(注2) 『朝日新聞』2015年11月19日
(注3) アラ・ヤロリンスカヤ『チェルノブイリ極秘』、p. 91,訳・和田あき子、平凡社、1994年。
(注4) 前出『被害の全貌』序論p. xv。
(注5) ウラジミール・ルパンディン『チェルノブイリ事故による放射能災害』p. 141、「国際共同研究報告書」、今中哲二編、技術と人間、1998年。
(注6) 前出『被害の全貌』序論xvi、同第2章 p. 27。
(注7) 前出『被害の全貌』 p. 27
(注8) 文科省委託研究報告書『チェルノブイリ事故の健康影響に関する調査報告書』(長瀧重信他11名)冒頭1ページ「はじめに」4行目以下の引用文、日本エヌ・ユーエス株式会社、国会図書館所蔵、PDFなし、コピーのみ、請求番号、SC781-L41。
(注9) ロシア環境研究者達の推計、引用:スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリから福島へ」(東
京外語大教授沼野恭子宛)2011年4月、掲載『東京新聞』2015年10/10。
(注10) ホリシュナ論文、出典:『衆議院チェルノブイリ原子力発電所事故等調査議員団報告書』平成23年
2月に添付、p. 99。 同:オリハ・V・ホリシュナ『チェルノブイリの長い影』、p. 77新泉社。
(注11) 「事故14周年追悼式典でKhristenkoロシア副首相」
(注12) チェルノブイリ笹川医療協力プロジェクト、山下俊一他『チェルノブイリ原発事故被災児の検診成
績』第Ⅱ部、p.338、表4(「放射線科学」Vol.42 No.11)。
(http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/1999/00198/contents/009.htm)
(注13) 前出(注8)、p. 363
(注14) 検索、15年11月、Chernobyl | The New York Academy of Sciences。
(注15) 山下俊一「放射線の光と影」(第22回日本臨床医内科学会特別講演)、『日本臨床内科医会会誌』第23巻第5号、p. 532~p. 544、2009年3月。
(注16) ウクライナ医学アカデミー・放射線医学研究センター、引用、前出:『チェルノブイリ事故の健康影響に関する調査報告書』、長瀧重信等11人、p. 363)。
2016年1月記
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study698:160116〕