前回の報告を続ける。ヘルマンはアメリカ人をこう評価する(訳書125頁)。
われわれ[アメリカ人──引用者]は過去を記憶に留めておこうとしない民族だ。アメリカでは、過ちを覚えているのは不健康、それについて考えるのはノイローゼであり、ずっと考えつづけたりすれば精神異常とみなされる。
「過去を記憶に留めておこうとしない民族は」太平洋の西側にもいるが、アメリカ人もそうだったのかと感心する。
邦訳は「眠れない時代」となっているが、原題を素直に訳せば「ならず者の時代」である。前回に紹介した俳優クリフォード・オデッツもそのならず者の一人であろう。しかし、「ならず者たちの退場」と題する、ギャリー・ウィルズの長文の「解説」が紹介する、元イギリス首相の「ならず者」の度合いもすさまじい(訳書143頁)。
ウィンストン・チャーチルは神妙な顔をして「ドイツ人は血を流しやけただれさせ、ひとまとめに壊滅させてしまわなければならぬ」と演説した。日本人については「かれらを一掃してしまおう。ひとり残らず、国も女も子供もだ」と言っている。
ウィルズはこの演説の出典を明らかにしていないが、あのチャーチルがこういうことを言っていたとは知らなかった。事実であれば、我々は(少なくとも私は)チャーチルという人物を少し誤解していた。
翻訳は小池美佐子。ウィルズの「解説」のあとに長い「訳者あとがき」が続く。
…誰でも、会社や団体など自分が属する組織が、どう考え直しても不正としか思えない方向を取ろうとする場面に立ち会うことがあるものだ。そのときにどう身を処すか。組織の命じるところに従い、自分に課された役割を全うするか。それともあくまで自己に忠実に、不正に荷担することを拒み、組織との関係を断ち切るか。人はそのとき、二つにひとつの選択を迫られる。そして、真実と信じるもののために命を投げ出すことにためらいがあり、さりとて真実に背を向けることもできない人間にとっては、その決断は苦渋にみちたものとなるだろう。いずれを選ぶにせよ、人は裏切り者になることを避けられない──裏切るのが自己か組織かのちがいがあるとしても。ヘルマンが「ならず者」と呼び、「眠れない」のは、そのような時代なのだ、とは考えられないだろうか。 (187-8頁)
自己を裏切ることに何のためらいも持たない人間がいかに多いかを我々は目の当たりにしてきた。そしてこの文章で、「ならず者の時代」が「眠れない時代」であることを納得する。
本文は150ページにも満たないが、実に内容豊かな本であった。とっくの昔に絶版になっているから、入手は簡単ではないかもしれないが、時間をかけても、探し出して読むに値する本ではないかと思う。
リリアン・ヘルマン『眠れない時代』(サンリオ文庫、1985年)
(Original: Lillian Hellman, Scoundrel Time, 1976)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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