13年目の伊勢神宮

私が「国家神道」をめぐる論文を雑誌『現代思想』に連載していったのは2003年の7月号からであった。この「国家神道」をめぐる論文の執筆は、当時の小泉首相による公然たる靖国参拝という自国民とアジアの隣人たちに対する挑発行為に思想史家としての私の回答というべき作業であった。これらの論文はやがて『国家と祭祀ー国家神道の現在』にまとめられ青土社から2004年7月に刊行された。この論文の準備のために靖国神社と伊勢神宮に何度か足を運んだ。
伊勢神宮に行ったのは03年の初夏のころであろう。「国家神道」論の準備調査を目的として私は伊勢を訪れ、外宮・内宮の境内と参道を歩いた。さらに門前町を歩き、徴古館を訪れ、神宮を内と外から、近代の中と前から見ようとした。この伊勢の調査旅行は、近代日本の最高の国家宗教的設営物たる「伊勢の皇大神宮」を発見するための大事な機会であった。
それから13年を経たこの3月の最後の日曜日である27日に、東京の昭和思想史研究会の仲間たちとともに伊勢神宮を訪れた。晴天に恵まれた3月最後の日曜日であったせいかもしれない。参拝者たちが次から次へと引きも切れずに長い参道を埋めながら進んでいく。「これはすごい」と私は思わず呻かざるをえなかった。
伊勢を訪れた時の私の眼は今まで、人びとの眼から隠され、蔽われている神聖な設営物に向けられていた。だが今回私の眼はあの隠された神聖に吸い寄せられるように訪れる参拝者に向けられた。そして私は驚いた。戦後70年という今日、なおここには「伊勢参宮」ということを心得た国民が引きも切らずに長い列をなして参道を埋めているのだ。かつてもそうであったかもしれない。だが2016年の今日、私は驚きをもってこの光景を見た。
お前の驚きは大げさすぎる、彼らは物見遊山のただの観光客にすぎないと人はいうかもしれない。だがそのようなことは百も承知だとこの参拝者を迎える神宮当局はいうかもしれない。この人びとを神宮はちゃんと包摂してみせますよとその当局者はいうだろう。その通りだ。神宮に来て見るがいい。あの物見遊山の観光客は五十鈴川を渡るとともに粛々として神宮参拝者になっていくことを。彼らはみな「参拝する国民」になっていくのである。
私は思わずいった。「伊勢神宮とは近代日本の最も成功した制作物ではないか」と。戦後70年の今日、私が伊勢神宮を前にしてこのようなことをつぶやくとは思いもしなかった。これが違憲的安保法制が施行されようとする日本の現実であるかもしれない。

初出:「子安宣邦のブログ・思想史の仕事場からのメッセージ」2016.03.29より許可を得て転載

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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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