半澤健市氏が、「日高六郎の『国策転換に関する所見』は、安倍思想に比べ数周回も進んだ『戦争レジームからの脱却』論であり、真の『積極的平和主義』であり、誠の『政治的正当性』の表現だったと私は考える。」とは、危ない、危ない。
そもそも、如何に考えても、15年戦争が先進帝国主義諸国に追いつき、追い越せを合言葉にした侵略戦争と植民地獲得の歴史であったのは歴然とした事実であり、その過程において、先進帝国主義を真似て、自身の行為の合理化に努める宣撫工作に励んだのも、これまた先進帝国主義諸国を真似た行為に過ぎません。
その比較論で言えば、大英帝国の実施した各種工作を観れば、遥かに宣撫効果が上がる手法に巧みであっただけでしょう。 例証としては、第一次大戦時の「アラビアのロレンス」を挙げれば十分でしょうし、その結末は書くまでもありません。 ロレンス自身も悲劇的な死を遂げました。
日高六郎氏の主張された欺瞞工作の手法等は、ナチス・ドイツでも実施されていました。
東欧諸国をスターリンの赤色全体主義から解放すると称して、武装親衛隊(SS)に東欧の青年を勧誘し、旧ソ連侵略の尖兵に仕立てたのがその例証です。 大日本帝国でもインド独立等を似非看板に英印軍との闘いに駆り立てたのと同様です。
日高氏の論調も同じこと。 特段に感心する値打ちがあるとは思えません。
「嘱託の職を解かれた」程度で済んだのは、宣撫工作の程度が過ぎた主張であった程度のものでしょう。
真に、当時の帝国主義戦争に抗した魁は、日本共産党員を始めとして虐殺されるか、獄に繋がれていたのです。
「『戦後民主主義』を生きながらえ、今も一縷の望みをつないでいる高齢者として、ここに記録しておく。」とされるならば、真にその値打ちのある存在を選ばれることを望みます。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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