バルセロナの童子丸開です。
日本でも少し報道されていたようですが、スペイン中央政府による「カタルーニャ処分」の実施が行われることとなりました。しかし日本に伝わる短い内容ではとうてい今起こっていることの中身まで知ることは無理でしょう。今後も事あるごとに状況をお知らせしたいと思っています。
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http://bcndoujimaru.web.fc2.com/spain-3/Suiciding_nationalism_in_Spain.html
自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(1)
これは10月18日にアップした『歯止めを失った二つのナショナリズム』の続きである。ついにカタルーニャとスペイン(カスティーリャ)の二つのナショナリズムが激突し合う段階にまで来てしまった。もう後戻りはできそうにない。スペインのナショナリズムはカタルーニャのそれを叩き潰し二度と声を上げないほどに屈服させる気でいる。しかし、私が見るところ、それがスペイン・ナショナリズム自身の破たんをもたらすものになるだろう。当面の間『自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム』をシリーズとして続けていきたいと思う。
2017年10月22日 バルセロナにて 童子丸開
●小見出し一覧
《互いに銃口を向けあった!》
《大混乱に向かうカタルーニャとスペインの経済》
《「調停者」にならなかった国王》
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【写真:10月4日、国民に向けてのメッセージでスペインの統一性を訴える国王フェリーペ6世:エル・ムンド紙】
《互いに銃口を向けあった!》
10月19日木曜日はスペイン中央政府がカタルーニャ州政府に対して独立計画断念の「最終期限」と定めた日だった。しかし午前10時にカルラス・プッチダモン州知事から中央政府首相マリアノ・ラホイに届けられた書簡には、先日までと同様の対話と交渉を求める言葉に添えて、もし中央政府が憲法155条を適用して州政府の機能を剥奪するというのなら、カタルーニャは効力を停止していた独立宣言を州議会で正式採択して分離独立州法を発動させるという、「逆‐最後通告」が書かれていた。そしてラホイは155条の発動と適用を決意した。
政府与党と閣外協力をするシウダダノスは早くから155条の適用を主張していたが、ラホイはあくまで慎重だった。このマリアノ・ラホイという人物は、自分からは決して動き始めず他人の動きをじっくりと待ってしぶとく粘る典型的なガリシア人である。彼はこの憲法の条項適用について社会労働党党首ペドロ・サンチェスと細かい打ち合わせをする時間を確保し協力を確実なものにした。そのうえでスペイン中央政府は、21日土曜日に上院の臨時総会を招集し、そこでこの条項適用についての政府案を提出した。ただこの条項を実際に発動するためには、一つ一つの技術的な問題や現実的な問題を審議しながら解決しながら審議を進めるため時間がかかる。上院が実際に155条発動の最終手続きを完了させるのは10月27日になるだろう。それほどに面倒な条項なのだ。ただ、上院は国民党が圧倒的多数を握っており反対勢力は微小なため、審議は極めてスムーズに運ばれていくものになるはずだ。
政府案の内容は次のようなものである。まず、カタルーニャ州政府知事および副知事と州政府の各委員会委員長の全員を罷免し、その機能は中欧政府の各省から派遣される係官によって直接に運営される。議会は存続するがその機能は極めて限られたものであり、知事の任命・罷免権を持たず中央政府の認めた法に沿って動くしかない。しかし議長のカルマ・フルカデイュは留める(実際には辞任するだろうが)。また詳細は明言されていないが、州政府の内務委員会と経済委員会、そして知事室の掌握と改変が行われる。また公営メディアであるTV3とカタルーニャ・ラジオも中央政府のコントロールを受けることになる。ラホイはこれについて、カタルーニャ州政府から分離主義者を取り除くだけの処置であるので「自治権の剥奪ではない」という、世にも素晴らしい詭弁を使った。どうやら、頭脳と心臓を停止させて他のものと入れ替え筋肉を動かなくさせるだけだから人格の剥奪にはあたらない…、ということらしい。
中央政府による「カタルーニャ処分」のうち経済局は最も容易かもしれない。住民投票の前にすでに政府財務相が州の財務行政の一部を直接に管理しているからである。しかも経済のど素人である副知事兼任のウリオル・ジュンケラスを経済局の職員が信頼しているとは到底考えられない。しかしその他のものは非常にやっかいだ。政府が派遣する係官による直接統治が逆に大混乱を招き、各部局の職員や労働者、州民の激しい反発を食らうばかりか、国際的な混乱や非難を招き、中央政府にとって命取りになりかねないのである。
知事室は州政府の情報収拾・発信の機能に繋がっており、技術面も含めて取り扱いが非常に面倒だろう。また州警察、特に州警察署長のジュゼップ・リュイス・トラペロは、当サイトこちらの記事にあるように8月17日のテロ事件を通してカタルーニャの英雄となっている。さらに10月1日の住民投票でも当サイトこちらの記事で書いたとおり、州警察は一般市民への暴力的な取り扱いを拒否し、独立派市民からの強い信頼を受けている。中央政府の介入には極度の慎重さが求められるだろう。また公営メディアの掌握も「言論弾圧」という国際的な非難を大々的に浴びる可能性が高い。さらに、中央政府直属となった教育委員会がもし公教育の仕組みや内容にまで手を出せば、いままで独立に反対だった人々まで敵に回しかねない。国民党やシウダダノス、社会労働党はこういったことを分かっているのだろうか。
現在、10月1日の住民投票の際に州警察に内務省命令への違反があったかどうかを裁判所とグアルディアシビルが捜査している。ただどうやら州警察を探ってもさしたる有力な証拠が集められなかったようで、彼らは20日になって州政府の情報機能の中枢であるテレコミュニケーション技術センターにまで立ち入ってその日の州警察の動きに関する情報を集め始めた。しかしそれはむしろ口実であって、実際には155条適用時の、内務委員会・州警察と知事室の接収作業をスムーズに進めるための情報収集と下準備だろう。また同種の捜査を名目にした公営メディアへの予備的な介入が行われる可能性がある。
憲法155条の適用が決定した21日には、バルセロナで、先の16日に逮捕・拘禁された二つの民族主義団体の代表、ANC(カタルーニャ民族会議)のジョルディ・サンチェスとオムニウム・クルチュラルのジョルディ・クシャールの即時釈放を求めて、45万人(バルセロナ市警察発表)のデモが行われた。その後、夜の9時にプッチダモン州政府知事は声明を発表し、ラホイ国民党とシウダダノス、社会労働党による155条適用決定をフランコ以後最大のカタルーニャ人に対する「攻撃」として口を極めて非難し、その対応を協議するに州議会を招集すると語った。また州議会議長のカルマ・フルカデイュは中央政府の決定を「事実上のクーデター」と糾弾した。おそらく来週早々に州議会を招集して、その場で正式な独立宣言を採択し、「共和国建設」のために分離独立法を発動させると思われる。
いまは、言ってみれば、二人のガンマンが腰から銃を抜き、引き金に指をかけながらお互いに銃口を向け合っている、どのタイミングでどこを狙って引き金を引くのか、双方の探り合いが始まったという状態だ。しかしそこに、賛成・反対両派の民間団体や、裁判所や検事局などによる見境のない突発的な動きすら起こりうる。そうなればどちらのシナリオも崩れてしまい、もはや成り行きに任せるしかなくなるだろう。これは実質的な「戦争」である。緊迫した状態が続きそうだが、こちらとしては慌てずに状況の変化を見ていくしかない。
《大混乱に向かうカタルーニャとスペインの経済》
当サイトこちらの記事で書いたように、カタルーニャにはすでに大銀行の本社が存在しない。必然的にだが、今までカタルーニャ経済を支えてきた地元の大企業も次々とその本社をマドリードやバレンシアなどに移転しつつある。10月5日に州政府副知事で経済委員長のウリオル・ジュンケラス(歴史学と哲学が専門分野)は、カタルーニャから企業が脱出するようなことは起こらないと断言した。しかし10日の「独立(未遂)宣言」の後、13日までに531もの企業が地元から去っていった。そして17日までに700に近い企業のカタルーニャ脱出が確認されており、翌18日には1日だけで105社が本社を州外に移転させた。
そしてラホイ首相が憲法155条の発動と適用を決めた19日には1日で268社が州外に出ていった。また翌20日に報道された調査によると10月1日以降にカタルーニャの中小企業のうち約1300社の本社がすでに州外に移されたとされている。これは州内にある従業員250人以下の中小企業の1%にあたり、さらに2.2%にあたる2860社が今後の移転を検討している。中小企業はカタルーニャ経済の実体を形作っているのだが、この数字は州政府が本格的な独立宣言を発して二重権力状態が作られる可能性が高くなると爆発的に増大することが考えられる。企業は「カタルーニャ共和国財務省」の税金徴収を、つまり税金が二重に取られることを恐れているのだ。これは今年5月に私が知り合いの行政書士と話をした際に、すでに商店主や中小企業経営者の間で大きな不安になっていると聞いたことである。
もし「カタルーニャ共和国」が長続きするようなら、中期的には従来大企業の下請けで生きてきた企業の多くが、本社の住所だけでなく人員まで含めて、去らざるを得なくなるかもしれない。しかし、残されている中小企業の中には地元の農業や商店街に頼るしかないものや、個人商店のような家族で営業する、あるいは極めて小人数の零細な組織で「州外に本社移転」などという芸当ができないものも多いだろう。その多くがやはり大きな不安を抱えながら状況を見守っていると思われる。カタルーニャからの「経済難民」発生という異常な事態すら起こりかねないだろう。独立派は従来このような起こりうる事態について考えることすらしてこなかったのだ。
この「独立騒動」に大きな影響を受けている分野に観光業がある。10月1日から15日までの間にカタルーニャの観光産業の収入が15%も下落したと言われている。これは、不安定な政治状況のために旅行を控える人々が増えていること、また日常的になっている巨大なデモのために観光客の行動や商店街の営業が妨げられていることが原因だろう。商店街では、特に巨大なデモの場であるグラシア通りやアラゴ通り、グランビア中心部などのバルセロナの商業活動の中心部が大きな影響を受けているはずだ。今年9月にグラシアとグランビアの角に開店したばかりのユニクロなど「想定外」の激しい損失を被っていると思われる。今後はその傾向がますます強くなるだろう。中央政府経済大臣のルイス・デ・ギンドスは19日に議会で、カタルーニャの大規模店舗での売り上げが10月以降で20%も落ちていることを明らかにした。
しかしこういったカタルーニャの経済的な混乱が長引く場合、結局はスペイン全体の経済に極めて重大な影響を与える可能性が高い。財務省の付属機関 AIReFの試算によると、カタルーニャ独立運動の激化はスペイン経済に130億ユーロ(約2兆円)の損失を与えうるということである。10月13日にデ・ギンドスは2018年度のスペイン経済の成長見通しが2.6%よりも0.1%小さくなるだろうと語ったが、その程度で済むのかどうか。このスペイン経済相の語った数字はIMFと世界銀行の総会で出されたもので、少々「遠慮気味」だった可能性がある。今後もう少し下方修正が必要になるのではないか。
スペイン経済がつまずいて困るのは結局IMFと欧州中銀だろう。それらにとっては、たとえ見せかけでも一時的なものでも、とにかくスペイン経済が「順調な」回復と成長を続けてくれなければ再び金融危機の原因になりかねない。ただでさえドル崩壊の危機がいつ訪れるのか分からない状態なのだ。それらの機関にとってもカタルーニャの件は軽視できる問題ではない。
《「調停者」にならなかった国王》
今回の最後に、スペイン・ナショナリズムの旗手として立ち上がった国王フェリーペ6世について触れておきたい。
現国王フェリーペ6世の父親であるフアン・カルロス1世は、20世紀後半の偉大な「調停者」としてヨーロッパと世界に登場した。私が当サイト『スペイン現代史の不整合面』で書いたように、フランコ死後のスペインで、政治的な局面で守旧派と進歩派、右派と左派の間を調停し、国家としての統一を保ったままで独裁国家から民主主義国家への変身を導いた。文化的にも国王夫妻は当時ニューヨークのメトロポリタン美術館に預けられていたピカソの名画「ゲルニカ」をマドリードに呼び寄せて、それを王妃ソフィアの名を冠した美術館に収め、スペインからフランコ色を消し去ることに成功した。そして1981年の軍とグアルディアシビルの一部による「クーデター未遂事件」解決でも決定的な役割を果たし、西欧型民主主義の定着にとって巨大な働きをした。
もちろん彼の言動の裏側にはオプス・デイの「名を捨てて実を取る」作戦があったことに間違いはないだろう。独裁型の政治は冷戦中の米欧資本主義体制にとって危険極まりないものであり、スペインは、サナギの殻を脱ぐ蝶のように、本質的な中身を入れ替えることなくその容貌を取り換える必要に迫られていたのだ。そしてその変身の過程でフアン・カルロスの果たした役割について、どれほど声を大にしても言いつくされるものではあるまい。当サイト『《地に堕ちた王家の権威と求心力》』にあるような近年の惨めな姿は不当であるように思える。
しかし息子フェリーペに与えられた政治的役割は近年の父親の姿以上に惨めなものかもしれない。10月1日の血塗られたカタルーニャ「独立住民投票」の3日後、10月4日に国民に対するメッセージを発表した国王は、対立する二つの勢力の「調停者」としてではなく、スペイン(カスティーリャ)ナショナリズムの側に立ってスペイン国家の分裂を決定的にするかもしれない役割を果たすことになった。
彼はカタルーニャの現状について次のように語った。「カタルーニャの社会自体にあった調和と共生は崩され、不幸なことに分裂がもたらされつつある。いま傷付き反目が起こっている」と。近代以降のスペインとカタルーニャの歴史、特にスペイン内戦と独裁時代を知っているカタルーニャ人が聞いたら鼻でせせら笑うだろう。続いて「この極度に重大な状況を前に、全国民の利益のために、国家の合法的な権力の責任で、憲法による秩序、体制の正常な機能、主権国家の効力、そして憲法に基づいたカタルーニャの自治を確保するという強固な決意が求められる。」と、まるで宣戦布告をする国家元首のような厳しい顔で述べた。さらに、各界の功労者に贈られる10月20日のアストゥリアス王女賞の授賞式で演壇に立ったフェリーペは「スペインは国家の分裂という受容できない企てを…憲法を介して解消するだろう」と激しい調子で語った。ラホイが10月21日を憲法155条の上院上程の日としたのは、この国王の発言を得てからにするつもりだったのだろう。
しかしこれはとうてい、分裂しそうになっている国と国民を懸命に和解させようとする国王の姿ではない。国際的に非難を浴びた武装警官隊によるカタルーニャの一般市民への暴力についての言及は、これらの発言の中でついに一単語も発せられなかった。まあ、8月17日のバルセロナでのテロの後で凄まじい赤恥をかかされ(当サイト『《「政府・王室吊るし上げデモ」と化した反テロ大デモ》』参照)、カタルーニャ独立運動にフランコ顔負けの敵対心を抱いたとしても無理からぬところはある。しかしそれにしても、これでは王室の存在する意味があるまい。
彼の父であるフアン・カルロスは1946年に両親の亡命地スイスを出てフランコの後継者となる約束の下でスペインに入ったが、フランコの死後、彼は独裁体制を終了させることによって分裂しつつある国のまとめ役となった。ところがその息子のフェリーペは逆に、あたかもフランコの後継者ででもあるかのように登場して国家権力による統一を語る。そしてそのことが逆に離反と分裂を促進することについては何の考慮も払っていない。ひび割れた器を締め付けるならどうなるのか…、彼は自国の歴史から何一つ学んでいない。もしも今後、カタルーニャで新たな流血と混乱が続き深刻な政治的・社会的・経済的危機を欧州全体に広げるようなときが来たならば、彼はその危機を拡大させた責任の重大な一端を負わされることになるだろう。
スペインは元々から、言語や習慣だけではなく、歴史的な成り立ちの異なる様々な地域が寄せ集まったものだった。ナポレオンの侵略以降にはそこに近代思想が流れ込んで政治的な党派も生まれ、各集団同士の激しい内紛と分裂がうち続いた。また1898年の米西戦争(当サイトこちらの記事参照)に敗れ、なけなしの植民地をほとんど失う深刻な危機を迎えた。そして、1923年に誕生したプリモ・デ・リベラの軍事独裁がスペインの強固な統一というねらいとは裏腹にカタルーニャの共和主義を鍛えて育て上げ、リュイス・クンパニィスによる1934年のカタルーニャの独立宣言を導いた。
フェリーペ6世はその歴史の意味が全く分かっていないようである。彼は、父親フアン・カルロスが偉大な調停者として「78年体制(当サイト記事『《国民党は崩壊に向かう?》』参照)」によってようやく確保したスペイン国家の緩やかな統一性を、最終的な解体に追いやる運命を背負っているのかもしれない。この10月20日にバルセロナ市はフェリーペ6世をペルソナ・ノン・グラータ(歓迎されざる人物)に指定した。残念ながら、もはやほころびを縫い合わせることは不可能だろう。
【『自滅しつつあるスペインの二つのナショナリズム(1)』 ここまで】
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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