野上俊明氏の「研究ノート/「人権と国情」-ロヒンギャ危機に即して考える(2)」を拝読した。ノート内容は小生の理解能力をはるかに越えるが,ジョセフ・ニーダムの指摘「中国史には市民社会が欠けていた」という一文を読んで加藤周一を思い出した。
野上氏の紹介は以下のようである;
>中国は科学技術文明の程度においては、16世紀までは西欧と比べても遜色なかったにもかかわらず、ガリレオ=ニュートンを嚆矢とするヨーロッパの科学技術革命と同様なものは中国では起こらなかった。ニーダムは自らなぜ中国それが達成できなかったのかと問うて,中国史には市民社会が欠けていたからだと答えています。
加藤周一は「ニーダム・湯川・素人の科学」(『夕陽妄語』Ⅶ,pp147-152)で野上氏の紹介した同じ内容を扱っている。しかし加藤はダイソン教授の論文を引用して,中国の「市民社会欠如」ではなく,素人の科学者が近代的な科学を生み出したことを付け加えている(「素人科学者」の存在を指摘したのはフリーマン・ダイソン教授である)。
また加藤は「私は今ニーダムが提出して決定的な答えをあたえなかった問題について湯川博士と話し合ったことを想い出す。」・・・と書いている。
ところが,野上氏はすでに紹介したように,ニーダムの「中国史には市民社会が欠けていた」からだと断定的な答えを紹介されている。したがって問題はニーダムが決定的な答えを与えなかったのか,与えたのかということになる。
加藤周一の研究家を自認する小生としては大いに困った。もはやニーダムの著書を読んで判断するほかに術はないのだろうが,ライプニッツやダーウィンあるいはメンデルのような素人学者がどうして生まれたのかは,市民社会が存在したからではないのかと仮定すれば問題が解決される。
17・18世紀のヨーロッパは(人権において)自由な個人が存在した市民社会であったのか,どうか。ご教示願えれば幸いである。