大阪で万博、だそうです。 そうです、と言いますのも、府、市民には大した話題にもならず、維新の府知事と市長の二人のみがはしゃいでいる風情に見えるからです。 関西の経済界にも大した期待も無く、事前には反対の率が高い、と観測されていたからでもあります。
バブル崩壊後の今では、万博開催の経費負担が府、市民にも、経済界にも重く感じられるのです。 私の周囲では、国が大半の経費を負担してくれるならやれば良い、と何処か他人事のように言う人が多いようです。
それには理由があります。 何故かと言えば、今の時節、関西の経済を支えているのは、訪日客、との分析があります。 そして、それは、今年の台風襲来で裏付けられました。
関空の滑走路に海水が押し寄せ滑走路が浸水し、更に、関空への連絡橋にタンカーが衝突し、旅客機が発着出来ず、列車も車も往来が出来ず、大阪市内では訪日客が見当たらない日々が続いたのです。 これで大阪の街の灯が消えました。
大坂の街の灯、と言いましても、正確には、大阪の南の街の灯が消えた、と言うことです。
北(梅田)では無く南(難波)です。 この地は、大阪の歓楽街であり、その中心が道頓堀であり、心斎橋なのですが、訪日客から見れば、関空から直行便で南・難波を結ぶ南海線の終点駅がある処なのです。 そして、この地からは京都、奈良へ連絡される接点なのです。
処が、今回の万博は、大阪湾岸の夢洲が開催の中心地とされています。 と言うことは、現下の訪日客が大阪の中心地観光を捨てて敢えて夢洲へ出向くことに魅力を感じるか否か、です。 言い変えれば、夢洲での万博に誘因効果があるように演出しなければならない、と言うことであり、それは、現下の関西、就中、大阪の中心地が魅力的に映る訪日客を捨てて、万博観光に来る来日客を優待することに繋がる訳です。 それで良いのでしょうか。
そもそも、現在の大阪への訪日客の増大は、何も府と市の努力に依るものではありません。 その要因は、一つに大阪の地理的要因です。 中心地の南、難波からは、市内や京都、奈良の観光地に直行可能なのですし、夜遅くまで営業している店舗の多い処なので、観光後には、大阪の魅力である食を味わい、更にショッピングも可能なのです。
過去から現在まで、大阪の人々が先人から受け継いできた商いの手立てが今生きているのであって、何も行政が仕向けた訳ではありません。 行政のお好きな言葉で言えば、「民間活力」の賜物である訳です。
大阪では、東京を引き合いに出して、大阪湾岸開発を喧伝されるのですが、大阪周辺の自治体から廃棄物を集積し埋め立てて新規用地を作り、売り出そうとした行政の目論見は土地バブルの崩壊で雲散霧消しました。 バブル崩壊の後にも土地神話に引導を渡せずに、今も夢見る乙女のような府と市の目論見で、万博にカジノ、と言い募るのですが、今回は、本当に悪夢が現実となり万博開催地になってしまいました。
私の持論では、折角の訪日客を大切にもてなす施策を官と民で仕立てることが今後に継続する関西経済の持続的発展に繋がる、と思われ、万博のような一時的イベントに依るバブル時代の演出では折角の大阪の魅力が薄れる、と危惧しています。
東京や大阪を離れて地方を見れば、東京や大阪の未来が見えて来ます。 最近、私が行きました南紀の地では、休憩の度に空き家を見ました。 観光地では、ホテルや旅館が一軒丸ごとに空き家になっていました。 そして土産物屋では、日本語が聴こえずに中国語と韓国語が聴こえました。
少子高齢化への本質的対策を考究せず、場当たり的に時代錯誤の成功体験に頼る施策を継続すれば、如何になるのか。 後世には、廃墟になった万博開催地を見やりながら、老人達が「昔、昔、大阪で、二度も万博が開催されたそうな」と話すことになるのかも。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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