人類最大のトレードオフ
6月30日に行われた「BISの年次総会」は、内容的に、きわめて貧困な状況だったが、一方で、「これから、どのような変化が発生するのか?」を考えた時には、実に大きな意味が存在したようにも感じている。つまり、今回は、「時間的なトレードオフ」について、いろいろな説明がなされていたが、この時に浮かんだのが「人類最大のトレードオフ」というアイデアだったからである。
具体的には、聖書に書かれている「人は神と富に兼ね仕えることができない」という言葉のことだが、実際には、「文明法則史学」が教えるとおりに、「西洋の時代」は「富に仕える時代」であり、この時には、「唯物論」が基本的な価値観になるものと考えられるのである。また、「東洋の時代」は「神に仕える時代」であり、基本的な価値観は「唯心論」になるものと想定されるが、この時の問題点は、「西暦1200年から800年間も続いた西洋の時代」により、私自身も含めて、「唯心論」が、完全に忘れ去られた可能性とも言えるようである。
つまり、「明治維新以降の日本人」については、「廃仏毀釈」などにより、「仏教」に対する興味や関心が、ほとんど失われ、「目に見える現実」と「お金」だけに邁進している状況となっているのである。別の言葉では、「100万人もの引きこもり」が存在しようとも、あるいは、「多くの人々に、心の闇が存在している状況」であろうとも、「我関せず」という態度で「お金儲けに邁進する姿」については、やはり、「富に仕える時代」の最終段階を意味しているようにも感じられるのである。
そして、今後は、世界中の人々が驚くような事件をキッカケにして、「東洋の時代」が幕を開けるものと考えている。具体的には、「1600年前の状況」が、再度、形を変えて繰り広げられる可能性、すなわち、「西ローマ帝国が崩壊し、東洋の文明が勃興した状況」のことだが、今回は、「ケプラーからニュートンへ」という言葉のとおりに、「過去300年間に発展した科学技術文明の存在により、違った展開になる可能性」も考慮している。
また、このような「文明の大転換」に際して、最も注目している点は、「お金の変化」であり、実際には、「唯物論」や「物質」を代表するものが「通貨(お金)」でありながら、現在では、「通貨そのものが、目に見えない数字に変化した状況」である。そして、このことは、「1971年のニクソンショックから、すでに、唯心論や目に見えないものを求める動きが始まっていたのではないか?」とも感じられるのである。(2019.7.12)
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稲森和夫氏の「心。」を読んで
現在では、「唯物論から唯心論への時代変化」を象徴するように、「心や行動学の研究」が盛んに行われているが、この点に関して気になったのが、過去の歴史が繰り返される可能性だった。具体的には、「1600年前の西ローマ帝国時代」の末期に、同様の展開が繰り広げられ、結果としては、「聖アウグスティヌス」などが主張するとおりに「神様が絶対的な信仰の対象となる時代」が始まったのである。
つまり、「西暦400年から西暦1200年」までの期間は、「神の国」という著書などが、きわめて大きな影響力を持っており、この結果として発生した最も重要な変化が「地動説の放棄」と「天動説の復活」だったのである。別の言葉では、「ギリシャやローマ文明」における「戦争と物欲の時代」の反省として「神が絶対視された状況」となり、その結果として、ギリシャ時代に確立された「地動説」が放棄され、「コペルニクス」が再発見するまでに、千数百年もの時間が必要とされたのである。
このように、偉大な人物の言葉については、決して、鵜呑みにしてはいけないものと考えているが、特に、「心の謎」については、「お金の謎」と同様に、「人類史上、誰も解いた人がいない状況」となっているのである。そして、「唯識論」や「稲森和夫氏」が説明するとおりに、「心が全てを決める」という理解が正しいものと信じられているが、今回、私自身は、この点に関して、きわめて大きな違和感を覚えた次第である。
具体的には、「心の謎」が解けていない状況下で、「心が、どのようにして全てを決めるのか?」ということであり、この点については、現代人が、「お金の謎」が解けていない状況下で、「お金さえあれば、人生は大丈夫だ」と考えることと、同じようなものにも感じられたのである。また、「利他」についても、私の「心の仮説」である「人間の本性は心だけであり、決して、肉体や頭脳ではない」という観点からは、きわめて曖昧な説明となっているようにも思われた次第である。
つまり、人生の目的は、その人の「霊性」を高めることにあり、この点に関して、単純な「利他の思想」では、前述の「神の国」と同様の間違いを犯す可能性が存在するのである。別の言葉では、「梅原猛氏」が主張するとおりに、「命の思想」と「心の思想」を詳しく研究する必要性が存在し、この点に関する「試金石」となるのは、今回の「心。」という著書、あるいは、「心を分析する行動学」などに対して、「世界中の人々が、どのような反応を見せるのか?」だと感じている。(2019.7.16)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion8896:190813〕