Die Einleitung zur Rouletten Lehre ~ カジノ導入は格差解消のチャンスだ!

世上言うところのカジノ法案が国会で承認されようとしている。与党の強行採決に

野党が憤るといういつもながらの絵面が繰り広げられているわけだが、ちきゅう座の

読者も野党諸君と並んでギャンブル依存症を危険視してこの法案についてはゼッテー

反対でしょう。すでに世にある公営ギャンブルやパチンコに入れあげて金銭的に破産状態

に陥る人々はもちろん少なからずいるのだから、カジノ導入によってギャンブル依存症が

一層蔓延すると危惧するのはもっともなことのように見える。

しかしこうした論調は、カジノと既存ギャンブルとの違いを見ようとしていないというか

無知から出てきているように思えてならない。

まず公営ギャンブルは何といってもテラ銭率が高すぎて理論的には賭け手には掛け金を

大幅に下回った配当しか回ってこないので頻繁に通いつめればたちまちにして破滅への道にはまり込むことになる上、人や馬が走る以上そこに賭け手のスキルが入り込む余地が極めて限られている。XX必勝法などどいうは間違いなくカルト宗教と変わるところがない代物なのだ。

パチンコに至ってはコンピュータで制御されて必ず店側が勝つようにロムにプログラムされている始末。

実もふたもないことを言えば、既存ギャンブルとは体のいい搾取マシーンなのだ。

その点カジノはどうだろうか?

カジノ三大ゲームは、ルーレット、ブラックジャック、スロットマシンだと思われるがそれぞれ次のような特徴がある。

まず、ルーレットだが1~36までの数字が円盤上にランダムに配列されて、赤黒が交互に

配色されているのだが、ヨーロピアンはそこに“0”、アメリカンだと“0”“00”が赤黒でもなく偶数奇数でもない中立地帯として割り込んいる。細かい計算は省くが配当率はヨーロピアンが36/37アメリカンが36/38で少しずつ賭け手は負けていく確率となっている。赤黒、EVEN/ODDも同じ。

その上あの小さい球を投げるディーラーは専門学校で必ず狙ったところに球を落とせるよう訓練されている。

なので、普通にやったら絶対負ける。がここに賭け手の側の懐具合と頭の回り方の不均等が加わると、ゲームの様相は全く異なってくる。煎じ詰めると、お金持ちでこのゲームを単なる運の巡り会わせだと思っている甘い客(=旦ベエという)がチップをドッカンと張り込んだ目をディーラーは外してくるから、その目を外たディーラーの投げ込みやすい地帯を素早く見抜いて、こじんまり逆張りをすると一気に勝ちのチャンスが巡ってくるという塩梅だ。おつむの弱いお金持ちが負けて、目端の利くプロレタリアギャンブラーが価値を得るという寸法だ。

ブラックジャックはお金持ち対プロレタリアートの構図は成立しておらず、あくまで店側のカードディーラー対賭け手の戦いなのだが、使われるカードは2セットでゲームが進むと残りのカードがなんであるか記憶力がよければわかってきて、ゲームの流れが読めるようになる。

そこに賭け手の勝つチャンスがあるといわれている。お店を中間項として、お金持ちの懐から頭脳明晰なプロレタリアートへの貨幣の流通が生じることとなる。

スロットマシンはロムでコントロールされているのはパチンコと変わりないので、こいつだけには近づかないことだが、残念ながら誰でも簡単に操作できるその点で大衆搾取マシーンであるといって差し支えない。

ここまで言えばお分かりだろう。そうカジノが出来たら、原理的に搾取マシーンである公営ギャンブルやパチンコから手を引いて、そこにお金持ちを喰いに雪崩れ込もうではないか。

プロレタリア・ギャンブル戦線を結成しともに戦わん!

ただし、カジノの喧伝されているような海外観光客を呼び込んでの経済効果は極めて限定的だろう。

海外には数多くあるそれは基本財政規模の小さな地方行政体の副収入としての位置づけで、

東京や横浜、大阪などに施設するのはいかがなものか。発想があまりにも安易であって、

インバウンドとやらを狙うなら日本らしい美点を打ち出すべきで、カジノに惹かれる観光客は断じて日本なんぞに来ない。その手のテクノロジーに関してはアジア圏に限ってもマカオやウォーカーヒル、済州島に及びもつかないのだから。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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