フルシチョフ失脚のときだったろうか、テレビを見ながら朝食をとっているとき、父が母に向かってこう言った。「ソ連はちょっと前までは、トップの政治家は生きて辞めることはできなかった」そして母は「恐ろしい国よね」と答えた。それを聞いて私は少し反発した。安保闘争を通じて北教組の教師たちから強い影響を受けていた私は、やはり多少ソ連びいきだったのだ。
それから半世紀ほどして、ヤンゴンで暮らしてみて痛切に感じたのは、「法の支配」のないことの恐ろしさだった。民主主義といえば、「法の支配」と条件反射するほど頭脳に刷り込まれた。「法の支配」がなければ、すべて力がことを決する。暴力と金力が万能の社会は、だれをも幸せにしないことをまざまざと見せつけられた十二年間だった。
中国元首相死去:李克強氏を悼む
――北京の元首相は、現在の習近平国家主席とは正反対の人物だった。法の支配は、彼自身の過ちにもかかわらず、彼にとっての関心事だった。
原題:Chinesischer Ex-Premier gestorben:Trauer um Li Keqiang
https://taz.de/Chinesischer-Ex-Premier-gestorben/!5966543/
前回、国民が李克強の姿を目にしたとき、元首相はことのほか元気そうだった。68歳の彼は満面の笑みを浮かべながら、同国北西部にある莫高窟を訪れた。追放された党幹部は、当然の引退生活の中で、ようやく心の平穏を見つけたようだ。しかし、わずか数週間後、李は遺体で発見された。心臓発作だったと国営メディアは書いている。中国の指導者の突然の死は、中華人民共和国の社会的混乱を何度も引き起こしてきた。例えば、1989年にリベラル派の胡耀邦党書記が心臓発作で倒れた後、その後の葬儀行進は北京の天安門広場からの抗議運動を引き起こした。
李克強の死は習近平国家主席にとっても微妙な問題だ。国民の深い悲しみには暗黙のメッセージも伏在する。国民は、その人自身だけでなく、彼が支持していた政治的価値観をも喪っている。そして経済実利主義者の李克強は間違いなく、現状とは対照的な中国を体現していた。
李は国内で最も貧しい省のひとつである安徽省で生まれた。毛沢東の死後、ようやく大学が再開されると、李克強は有名な北京大学に入学した。そこで彼は、経済学に興味を持ち、物議を醸すような話題からも逃げない優秀な頭脳の持ち主として、すぐにその名を知られるようになった。さらに、同じ学生で弁護士の陶荊州の記憶によれば、彼は独学で英語も勉強したという。学習意欲旺盛な李は、コートのポケットに何十枚ものインデックスカードを入れておき、機会あるごとに取り出しては語彙を覚えていた。
李克強もまた、クローゼットの中に骸骨を抱えていた(隠し事があった)
実際、李克強は当時、海外で勉強を続けたいと考えていた。しかし、北京大学の党書記が介入し、聡明な李氏を共産主義青少年団に参加させ、そこで指導者としてのキャリアを積ませるようにした。李克強のその後のキャリアは、それ相応に険しいものだった。50歳になる前に、李克強はすでに中国の2つの省を治めていた彼の政治家としてのキャリアで最も暗黒の時期もまた、この時期だった。1990年代後半、中国中部の河南省で何千人もの農民が血漿を提供した後にHIVに感染したとき、李は若い頃の法治主義(法の支配)の理想を無視した。その代わりに、彼は共産党の抑圧的な戦術を利用した。ジャーナリストを検閲し、内部告発者を軟禁した。スキャンダルは何としてでも隠し通さなければならなかった※。
※筆者註:1990年代河南省で当時省トップだった李長春氏らが主導した「血漿経済」で、省内の多くの住民がHIVに感染したとした。・・・当時、李氏らは省内農村部の住民に対して、「小康(生活にやや余裕がある状態)になるには、早く血を売ろう」と促した。しかし、不衛生な採血設備を使ったため、大規模なHIV感染が起きた。問題が発覚した後、李長春らは隠ぺい工作や情報封鎖を行った。2001年、中国当局は河南省で「売血」によるHIV感染被害を認めた。FISCO/reuters
民主主義国家であれば、李克強氏がこのような恥ずべき事件から生き残ることはほとんどなかっただろう。しかし、中華人民共和国では、彼はますます昇進していった。この10年の初めには、党首のポストに向けた最も有望な候補とさえ考えられていた。しかし、そうならずに彼はナンバー2になっただけだった。李は首相として、以後国の経済的命運を握ることになった。彼が初めて公の場で発言したのはわずか10年前のことかもしれないが、急激な政治的変貌からみると、それは遠い過去の出来事のように思われる。例えば、李はある講演で、中国の企業は法律で禁止されていない限り何をやっても許されるべきだと述べた。しかし、政府は法律で義務づけられていることしかできない。一方、習近平は今、正反対のメッセージを広めている。習近平は法の支配を西側の誤りだと言っている。
“傷心の男”
李氏の死に対する政府の冷酷な対応は,まったく不愉快である。金曜日にはソーシャルメディア上のほぼすべてのユーザーのコメントが削除され、国営通信社は当初、6行の余白を設けてこのニュースをかわしていた。しかし、中国本土の外では、共感はより大きなものとなる。現在香港に住む伝説的なジャーナリスト、王香偉氏は、李克強氏の訃報に「傷ついた男」と、簡潔にタイトルを付けた。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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