Global Headlines:ドイツ市民社会における陣取り合戦

<はじめに>
 ドイツの極右勢力は、この二十年間ほどで街頭行動やテロを主とする行動的な過激派から、市民社会でヘゲモニーを構築する組織政党へと進化し姿を変えてきた。そのことは特に近年伸長著しいAfD(ドイツのための選択肢)についていえることである。2013年設立のこの若い党は、メルケル政権以後の経済の不調や移民問題を糧に、旧東独に属する州で伸長著しい。本年2月の連邦議会選挙では、キリスト教民主同盟(CDU)164議席に続いて、ドイツのための選択肢(AfD)152議席で第二党に躍り出た――第三党は、社会民主党(SPD)120議席。昨年2024年でも、欧州議会選でドイツの第2党となったのを皮切りに、9月の地方選では、チューリンゲン州議会選挙で32.8%を獲得し(32/88議席)、第1党となった。ザクセン州選挙でも30.6%の票を獲得し(40/120議席)、第2党となり、ブランデンブルク州議会選挙でも得票率29%で第2党となった。AfD以外の政党が連携して、AfDの政権獲得を阻止しているが、このところの急上昇のトレンドから、旧東独地域のどこかの州で政権をとることも夢ではなくなりつつある。
 さらに連邦選挙を控えた1月、あのイーロン・マスクがAfDの集会でビデオ演説し、ナチスの過去にとらわれるな、「子どもたちに親の罪を背負う義務はない」と発言した。現代世界に絶大な影響力を持つビックテックのトップ・リーダーが、他国の極右勢力を励まし連帯を表明するという由々しき事態を迎えたのだ。連邦選挙でのAfDの躍進に一役買ったことはまちがいないであろう。これをモデルに各国の極右勢力が連携し、ファッショ統一戦線の形成に弾みをつける可能性もなくはない。ちなみに、本年8月5日、AfDの共同党首であるティノ・クルパラが、東京都内で参政党神谷代表と会談している。
 過激な行動の少数政党から地域に根を下ろす組織政党へ――AfDは思想は極右ながら意識的に国民政党へ脱皮しようとしている。ヨーロッパ近代のアソシエーションの歴史をたどった「市民結社と民主主義」(岩波書店 2009年)によれば、ナチズムが支配体制を固めるためには、まず地域のアソシエーション活動の息の根を止める必要があったとされている。全体主義運動の拡大のためには、まずはひとびとの精神から自主性自発性を摘み取り、考える力を奪って権威と権力に従順な人間類型を模範として示すことである。旧東独地域の状況は、まさしくファシズムの前段状況といえるもので、地域の市民社会の空間において陣取り合戦が繰り広げられているのである。
 しかし目を日本に転じれば、左翼・リベラルの現状はお寒い限りである。詳しくは他日を期したいが、かつては日本の組織政党の雄といえた日本共産党は、退潮著しく落日の感拭い難しである。自民党が周りを個人後援会に囲まれた議員個人や業界団体に出自を有する議員集団であり、また社会党も主に労働組合に支えられた議員集団であった。地域や職場に独自の足場を有しないこうした政党を議員政党といい、それに対し地域や職場に支部組織を有する政党を組織政党といった。日本共産党は、そういう組織政党であることを誇りにしていた。革命党としての矜持の源泉のひとつであったろう。
 レーニンが第一次ロシア革命の前に、メンシェビキと袂を分かつことになる論争点のひとつが、革命を目指す政党組織の在り方に関わる党員資格をどうするかということであった。メンシェビキ派の提案は、党の路線に賛同して党費を払えば、それで党員とするという、かなりルーズなものであった。ところがボリシェビキ派のリーダーであるレーニンは、党員は必ずどこかの党組織に所属し、そこで活動しなければならないとした。すべての党員が党の政策を念頭に置きながら地域や職場で生きた現実と接触し、人々の苦難や要求をくみ取って所属党組織に持ち帰り、それを党の上級機関にフィードバックして、最終的に党中央はそれ等を受けとめ集約して政策にまで仕上げて、ふたたび下部組織に下ろしていく――そういう往還運動が可能になる躍動的な党組織こそが、レーニンのめざしていたものであった。若きルカーチは、レーニンの組織論を扱った論文の中で、情勢に対する感受性の高さこそ、レーニン型組織の優れた点であるとした。
 しかし現在の日本共産党は、どうしたものであろう。まるで意固地な老人のように、新しい現実にはひどく鈍感で、昔身に着けた生き様に固執する。要するに、組織政党の機構は残しているが、党員の高齢化ともあいまって官僚制化により議員政党との差異がなくなってしまっている状態ではなかろうか。議員政党の最大の欠陥は、議員が特権化し、一般党員や地域の人々の声に耳を傾けなっていくことである。共産党の場合は、専従役員の優位が組織原則になっているので、問題は議会活動だけでなく、党勢拡大や担当地域の課題への対応など過重な任務を背負わされて、疲弊していくことがより問題かもしれない。いずれにせよ、これでは参政党のような極右勢力が、SNSを駆使した巧みな戦術も用いて、本格的に市民社会での陣取り合戦に乗り出してきたときには、全く太刀打ちできないであろう。
 右傾化が進む日本の政治状況においては、共産党の力を必要としていることに誰しも異存はなかろう。しかし共産党の再活性化の可能性はあるのであろうか。最大のネックは、ここ数十年、党内の異論を封じてきたので、オールタナティブ(選択肢)が存在しないことである。現状の路線や活動の在り方が行き詰り危機に陥ったとしても、別のアイデアが生まれる余地はほとんどない。とことん落ちるところまで落ちて、初めて目覚めるのかもしれないが、その時は手遅れになっている可能性が高いであろう。
 だとすれば、新しい政党の立ち上げが望ましいであろうが、それも共産党の内部改革と同様、相当な難事であろう。とりあえず、高市政権によって次々に繰り出されるであろう、反動的な施策や法案に抵抗する運動の全国的センターの設立くらいは展望すべきなのであろう。

ドイツの右傾化:民主主義を敵視
――右派は民主主義の推進そのものに疑問を呈し、国会質問で攻撃している。これは民主的な市民社会にとって脅威となっている。
出典:taz.24.10.2025 Kommentar von  Benno Hafeneger
原題:Rechtsruck in Deutschland:Feindbild Demokratie
https://taz.de/Rechtsruck-in-Deutschland/!6118186
 民主主義だけが圧力にさらされているわけではない。ここしばらくの間、民主的な市民社会の一部、ひいては政治文化全体も圧力にさらされている。このことはドイツ連邦共和国だけでなく、他の民主主義国家にも当てはまる。市民社会団体、組織、NGO は、保守派の一部、そしてとりわけ権威主義的・ポピュリスト的、そして極右勢力から批判的に扱われ、標的にされている。AfDが州議会に議席を獲得して以来、同党は州政府に対して、市民社会組織や団体、青少年団体、社会文化センターについて、細かな質問を繰り返し行っている。これらには、とりわけ、自然の友、SJD(ファルコンズ)、労働組合青年部、州の青年団体などが含まれる。彼らは、それらの組織の助成金、活動、人員、協力パートナーについて情報を求めている。それは、多数派と行政権力を持つ者が彼らを監視しており、彼らに何が待ち受けているかを彼らに知らせるものである。
 AfDが地方自治体レベルで多数派政党、つまり郡長(ゾンネベルク郡)、市長(ピルナ市)、または町長(ラグーン・イェスニッツおよびモクサ町)を擁する地域では、同党は民主主義促進プロジェクトを妨害している。例えば、最近ザクセン州ヴルツェンでCDU(キリスト教民主同盟)と共同で行った活動などである。地方自治体レベルでは、AfD党がドイツ全土で、社会文化センター、民主主義促進イニシアチブやプロジェクト、そしてオルタナティブシーンに対する資金削減や停止を求める動議を提出している。
 2025年2月、当時まだ野党だったCDU/CSU連合は、赤緑連合の連邦政府に対し、民間社会NGO、協会、組織への資金提供について551の質問をした(文書20/15035)。「国から資金提供を受ける組織は政治的中立性を維持しなければならない」という表現は、中立性、公益性、資金提供の適格性について問うという趣旨であった。

本年2月、ベルリンでの移民排斥への抗議デモ    Reuter

批判的なNGOや団体への誹謗中傷
                    ――(中略)――
 テューリンゲン州では、AfDの州副議長で州議会議員のウーヴェ・トゥルム氏が、自身のポッドキャスト「Vereinnahmet」で、望ましくない団体に対して措置を講じる意向を表明した。AfD内でリストを作成し、税務当局に非営利団体としてのステータス(公益性)を確認するよう要請すべきだというのである。AfD は、民主主義政策の推進という方向性全体に反対しており、(AfDの) ビョルン・ヘッケ氏によれば、一般的に「税金で賄われる市民社会」は、彼の誹謗中傷的な表現によれば、もはや存在してはならないという。
 テューリンゲン州ズールでは、元NPD(極右政党「ドイツ国家民主党」)幹部が最近、民主主義委員会に選出された。おそらくCDUの票によるものと思われる。彼は現在、連邦プログラム「民主主義を生きる!」の資金使途について決定権を有している。地方レベルでの他の数多くの例は、大いに自慢されていたファイアウォール(N-右傾化の防波堤)が崩壊し、穴だらけになっていることを示している。
 現在、連邦教育・家族・高齢者・女性・青年大臣(CDU)は、CDU/CSU連邦議会会派からの介入を受けて、連邦プログラム「民主主義を生きる!」の助成制度を見直し、申請者を憲法保護庁による審査の対象とすることを発表した。民主主義と開かれた社会を守り、維持しようとする人々は、民主主義への取り組みを実証する必要がある。
非営利団体としての地位が疑問視される
 オーストリアでは現在、FPÖ(自由党)が連邦政府に対して、700のNGOに関する2,000以上の質問を含む質問書を提出しています。質問事項は「数百万ドルの税収の使途」「税金で運営されている市民社会」「中立性」に関するものだ。首相はこれらのNGOの「公益性」について調査することを約束している。 
 これらの指摘には共通したパターンがある。それらは、右派保守、右派ポピュリスト、そして極右勢力から、公益セクター、民主主義に関与し介入する市民社会は、一般的に疑惑が持たれていることを示している。権威主義的で右派ポピュリスト/極右陣営は、それらを助成対象から外し、廃止しようとしているようである。あるいは、政治的中立性についての誤解――自由な担い手の場合、その独立性、とりわけ憲法、人間の尊厳、平等の原則を考慮すると、政治的中立性は存在し得ない――に関連して言えば、右派保守陣営によれば、批判的で干渉的な市民社会ではなく、行儀がよく非政治的な市民社会による政治文化が求められるのである。
致命的な結果
 これが意図され現実となった場合、多様な自主的な取り組みを行う成熟した市民たちの伝統、テーマ、活動、文化、環境、生活圏が政治的、道徳的、参加的な力となっている、活気ある民主主義と開かれた社会にとっては、致命的な結果をもたらすであろう。誹謗中傷や攻撃が、徐々に進行する侵食プロセスを示しているかどうかは、まだわからない。もしAfDが2026年にザクセン=アンハルト州とメクレンブルク=フォアポンメルン州の州議会選挙で勝利し、行政権を獲得することになった場合、それは恐ろしいシナリオとなるだろう。それは州レベルでは、権威主義的な社会と独裁国家への一歩となるだろう。
 しかし、もう一つの側面もある。それは、政治文化の成熟した構成要素として、活発で幅広く多様な市民社会である。市民社会は、自らの問題、プロジェクト、そして街頭活動を通して、共和国の本来の姿を再び主張し、脅迫に屈することなく抵抗する。私たちは現在、国民全体が、この社会の持つ大きな可能性を何度も実感している。
(機械翻訳を用い、適宜修正した)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
〔opinion14492:251028〕