Global Headlines:ドイツAfDの抬頭と政党禁止への動き

<はじめに>
 予想されたこととはいえ、今秋のドイツの三つの州議会選挙での極右政党AfDの抬頭は衝撃的であった。いずれも旧東独地域であるが、チューリンゲン州では1位、ザクセン州とブランデンブルク州では2位という大躍進ぶりであった。他方、国政ではSPD(社会民主党)と連立内閣を組む、環境政党「緑の党」の惨敗もまた衝撃的であった。遠く68年世代に淵源する政党であるが、近年の気候変動危機に触発された環境意識の高まりを背景に影響力を保持してきていた。しかしコロナ・パンデミックやロシアのウクライナ侵攻の影響によるドイツの経済危機は、環境への配慮は二の次三の次とし――脱炭素化は古い産業構造の地域にとって背負いきれない負荷を課す――、直面する生活危機への対処を優先的な政治課題とするように人々の意識を変えつつあった。ましてや旧西独地域との経済格差の拡大やイスラム諸国からの移民増大による生活基盤喪失への不安・不満を募らせている旧東独地域の選挙民たちであった。
 作用があれば反作用あり、極右勢力の拡大に対し危機感を募らせ、AfDに対する政党禁止の憲法適用をめざす動きも顕在化してきている。本日紹介するのは、そうしたリベラル派の論攷である。(日本での旧統一教会の解散命令請求を連想させるが、実際に請求が憲法裁判所で認可されるまでには、立証と反証に膨大な審理作業が必要であり、決定にはかなり長い時間を要すると思われる)
 政党の解散命令という憲法に関わる重大問題について、民主主義の一般的な原則との関連で若干コメントしておきたい。
 民主主義のさまざまな条項のなかでも、その重要度のトップにあげられるのは、言論の自由であることに異論はなかろう。フランスの啓蒙主義哲学者であるヴォルテールは、「私はあなたの意見には反対だが、あなたがそれを主張する権利はあくまで擁護する」とした。またドイツ革命の政論家であったローザ・ルクセンブルグの「自由とは常に異論を持つ者の自由である」という言明も、ロシア革命のボリシェビズムの非寛容政策への批判をこめて、民主主義の精髄を指摘したものとして忘れてはならないであろう。
 しかしローザ・ルクセンブルグの言葉は、人類がナチズムの抬頭と支配をまだ知らなかった時期の自由論、民主主義論ではなかったか。1920~30年代のヨーロッパの政治体験をもとに、自らの歴史・政治哲学を築いた分析哲学の祖カール・ポパーは、「寛容な社会を維持するためには、寛容な社会は不寛容に不寛容であらねばならない」という、ローザ的自由論とは真逆の結論を導き出した(「開かれた社会とその敵」)。有名なポパーのパラドックスといわれるものである。たしかにナチス党は、ワイマール憲法下、結社と言論の自由を余すところなく利用して合法的に権力を獲得し、それ以後徹底的に自由を蹂躙した。ワイマール憲法に反対する自由を野放しにした結果、憲法体制そのものがくつがえされてしまったという苦い経験を踏まえて、ドイツ基本法(憲法)の政党条項がある。伝家の宝刀を抜くべきときなのか、まだ他にやるべきことがあるのではないか――反日本国憲法の勢力が年々勢いを増す日本からみて、到底対岸の火事とはいえないドイツの現状況である。

AfD禁止手続きの審査―禁止は必須である
――もし AfD が政権を握れば、民主主義は窒息し、その制度は破壊されるだろう。したがって、同党を禁止することを検討するのは適切である。
出典:17.10.2024 taz. von Gareth Joswig
原題:Prüfung des AfD-Verbotsverfahrens Verbot ist Gebot
https://taz.de/Pruefung-des-AfD-Verbotsverfahrens/!6040223/Kommentar

勝利に酔いしれる極右政党:ポツダムでの選挙パーティーにて、ブランデンブルク州の極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」のヘッケ党首とハンス=クリストフ・ベルント副党首  DPA

 連邦憲法裁判所は、2017年の最後の禁止訴訟における判決で非常に明確だった。NPD(ドイツ国民民主党)は明らかに反憲法であるが、それを禁止するにはあまりにも無関係だった。しかしAfDの場合は、話は別である。ブランデンブルク州とチューリンゲン州の州議会選挙以来、同党は「阻止少数派」として憲法改正、司法官任命、議会解散を阻止することが可能となった。その阻止少数派を悪用することで言論を毒し、すでに最初の市長地区行政官を任命している。そしてまたもやチューリンゲン州議会成立を阻止することで、州を統治不能にするためにあらゆる手段を講じるという姿勢を示した。
 AfDが被害者神話を助長しているため、あるいは政治や市民社会が責任を回避しているため、AfDが強い場合には禁止請願が政治的に難しいという主張は、部分的には正しい。しかし、彼らは最も重要なことを無視している。すなわち、違憲政党の禁止は、政治的判断や政治的計算に基づいて決定されるべき政治問題ではないということだ。むしろ、それはナチス独裁政権からの直接的な教訓として、私たちの憲法が持つ基本的な防衛メカニズムなのである。
 この保護メカニズムは、何の理由もなく基本法に盛り込まれているわけではない。これは必須の要件なのである。人間の尊厳は不可侵であり、人権は普遍的であり、ドイツ連邦共和国は立憲国家である。 もし一方の当事者が民主主義の基盤を組織的に破壊している場合、その当事者がそのやり方を貫徹する可能性があるならば、その当事者は禁止されるべきである。連邦憲法裁判所には、これがAfDに当てはまるかどうかをチェックする責務がある。
 権力を掌握した後では、多くのことが手遅れになる可能性があることを示す例は数多くある。ハンガリーはオルバンに合わせた権威主義的で非自由主義的な民主主義となっており、ポーランドは現在、破壊された民主主義の仕組みを修復することがいかに複雑かを示している。ドイツの立憲国家も、権威主義的な再編成に対する免疫があるわけではない。
 AfDはひとたび政権を握ると、徐々に民主主義を抑圧し、その制度を解体することを確実にするだろう。 さらに、憲法国家には、AfDの世界観に適合しない人々や、すでに右翼による暴力の増大に苦しんでいるすべての人々を保護する責任がある。ちなみに、公表された閉鎖を求める申請は、権威主義的な民族主義政党自身にその責任がある。その政党はますます過激化している。今日では、民族排外主義völkisch(フェルキッシュ=ナチス用語―N)と人種差別的な考え方が中心的な要素となっている。党の綱領では、あまり明確でない表現が用いられているが、その政治家たちはNPD*と大差ないほど極端である。
*2017年1月17日、連邦憲法裁判所は、極右政党NPD(国民民主党)について違憲性を認めたが、違憲に当たる目的を達成するほどの勢力を確認できないとして、政党禁止としなかった。
(機械翻訳を用い、適宜修正した)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
〔opinion13921:241020〕