『長い間準備を進めていた自分のHPをやっと開設。
三層60ページもある、中身の濃いものとなりました。ぜひご覧ください。
https://www.hirokokumagai.com/
いやー、大変だった。
これまでの全作品を網羅。その中を、「三池」「作兵衛」「戦争と原爆」「まちづ
くりと子育て」「女性と映画」という
5つのジャンルに分け、 それぞれ代表作と関連作品を丁寧に紹介。制作中も。
アーカイブには、これまの写真や文章も収めた。
雑誌等の掲載分から、特に大事だと思った<炭鉱で闘った女性><女性国際戦犯法
廷傍聴記><子どもへの性暴力>
<アフガニスタン・パキスタン国境の見えない戦争><右翼を追ったルポ>。東京新
聞夕刊に連載したコラム「放射線(現在は紙つぶて)」。
夏の間は、ただひたすら、写真の整理とデータ化に追われた。古いライトボックス
の上に膨大な数のスライドを並べ、
ルーペで覗き込む日々。
写真をきちんと撮り始めたのは、大学3年の時だ。独立を1年後にひかえたパプア
ニューギニアを歩いたが、何しろ
50年近く前のこと。スライドボックスを開けたら、ツーンと酸っぱいにおいがし、ポ
ジフィルムは退色。あーあ。
これらの写真は、当時大判の写真雑誌であったアサヒグラフに、文とともに7頁も
載り、私の初めての仕事となった。
この時の巻頭グラビアが、一ノ瀬泰造の『銃声下の結婚式 カンボジア・アンコール
ワット付近で』。73年12月14日号。
文には、11月初旬の撮影とある。
実は今回、久しぶりにそのグラフ誌を手にとった。彼が「地雷を踏んだらサヨウナ
ラ」の言葉を残し、アンコールワットへ
向かったのは11月22日か23日。そして消息をたち、数日後にクメールルージュ
の手で処刑されていたことが、後でわかる。
発売時にはもう亡くなっていたわけで、今頃こんなことに気づくなんてと、頭をガー
ンと殴られた感じであった。
写真は他に、モロッコやタイ・バンコクのスラム。ここは、私がフリーの映像
ジャーナリストとして再出発をした場所だ。
父親の国籍がすべて違う5人の子どもたち(日本人の子も)を懸命に育てている、人
のいい元売春婦の一家を中心に
撮っていた。世間では下に見られる存在であったが、私には彼女が天使に見えた。そ
してアフガニスタン、パキスタン、ルワンダ、
沖縄・読谷村や東京・向島。
それらを見ながら頭をよぎったのは、私は撮らせてもらったけれど、果たしてその
方たちの役に立つことを
伝えてきたのだろうか、という思いだ。マスコミは“取材泥棒”になりがちだ。
コロナで先の見えない厳しい日々が続いている。意思をもって伝えていくために
は、改めて持続力、
瞬発力の鍛えなおしが必要だなと感じている。』
まだ先の見えない日々が続きそうですが、どうぞ健康で新しい年をお迎えくださ
い。