尼崎連続変死事件の容疑者の顔写真を別の女性のものと取り違えた問題は、先にiPS細胞の臨床応用をめぐってメディアが演じた大誤報と同じジャーナリズムの病弊に起因するもののように思われる。いずれのケースも、どこか1社だけが間違いをしでかしたというのではなく、複数の新聞、テレビ、通信社などがそろって同じ過ちを犯していること、しかも、どちらの場合も、情報を確認するという報道の最も基本的な作業を怠りさえしなければ避けられた間違いだったこと、という二つの点で共通している。
顔写真を取り違えたのは、全国紙が3紙、共同通信の配信写真を使用した地方紙は多数、テレビ・キー局5局(NHK含む)、週刊誌2誌などとなっている(朝日新聞11月1日付)。iPS細胞に関する誤報は読売が10月11日付紙面で特ダネとして大々的に報道したほか、これを追いかけた産経、共同通信の配信記事を多くの地方紙がやはり大きく扱った。
iPS誤報についてはそれぞれの新聞、通信社が自社の検証の結果を公表し、取材する際の思い込みなどにより、情報の確認作業がきちんと行われなかったことなどを認めている。顔写真の誤報についても、なぜ他人の写真を容疑者のものとして公表したのか詳細な検証が必要だが、いまのところ間違いが生じた確かな経緯は伝えられていない。
読者の目で見ると、顔写真の誤報にはちょっと腑に落ちないところがある。10社に近い別々のメディアがどのような経緯で19年も前に撮影された同じ(別人の)写真を入手したのか、である。単なる偶然とは思えない。おそらく取材現場でどこかの社の記者が入手した情報と写真を他社も共有し、同じ判断に基づいて多くの社が間違った写真を公表することになったのではないか。1部の社は独自の検証をした結果、写真を使用しないとの判断に達したのだろう。
問題は、写真を入手したあと、各社が写真の真偽についてどのような確認の作業をしたのかである。共同通信は容疑者と「面識のある10人以上に写真の人物が(容疑者)本人かどうか尋ねたところ、わからない、覚えていないという回答はあったが、別人と指摘した人はおらず、配信に踏み切ったという」(前掲朝日新聞)。しかし共同は容疑者と「認めた人が何人いたかは明らかにしていない」と、朝日の記事は伝えている。読売は同じ写真について「違うのでは」と疑問視する関係者もいたが、間違いないと断言する人もいたため掲載に踏み切った、と同じ記事が伝えている。
共同の場合も読売の場合も、この程度の情報で当人との確認が取れたと判断するのは無謀だろう。NHKも放送の中で「本人かどうかの確認が不十分でした」と認めてお詫びしている。こうしたいきさつから読者として読み取れるのは、報道現場の確認作業が思いのほかずさんであること、そしてそれがもたらす結果(この場合重大な人権侵害)について深刻に受け止めている様子がないこと、である。「確認が不十分でした」と言って済まされる問題ではあるまい、と当事者でなくても言いたくなる。
この報道現場の確認作業の「ずさんさ」は先のiPS細胞誤報の背景にある「ずさんさ」とまったく同類のものと思われる。ニュース報道では、情報の正確さが命であることはあらためて言うまでもない。正確を期するために取材記者は通常、複数の情報源に当たって確認することを求められる。センシティブな情報であればあるだけ、慎重に二重、三重の確認が必要になる。少しでも疑いが生じれば、報道は控えられる。そんな報道の基本が、iPSの誤報でも、顔写真の間違いでも守られていなかった。
二つの誤報の背景にあると思われるもう一つの問題は、報道現場の横並びメンタリティである。顔写真の誤報で真っ先に紙面、あるいは放送で写真を公表したのがどの社であったかはわからないが、おそらく1社がずさんな判断を踏まえて公表したとたんに、公表するかどうかを迷っていた他社がそれまでの迷いを棚に上げて一斉にそれを追いかけて掲載、放送に踏み切った、というのが今回の事態につながったのではないか。自社だけ取り残されたくない、みんなで渡ればこわくない、というメンタリティである。読売のiPS特ダネ誤報を共同や産経が情報の念入りな確認を怠って追随して走ったのも、なんとか横並びで走りたいという競争心の結果だったに違いない。
朝日はいずれの誤報騒ぎにも巻き込まれずに済んだ。いずれについても情報を手にしていながらほんの初歩的なジャーナリズムの基本動作を守って誤報することを免れたようである。しかし朝日の報道現場も気を抜けば他社と同じ誤報に走っていたかもしれない状況があることは否めないだろう。他社の過ちを他人事と見なしてはいられないはずである。今回誤報をした社もしなかった社も、ともに日本のジャーナリズムが抱えている問題点をいま一度謙虚に振り返ってみる必要があるのではないか。
週刊朝日の橋下報道を含めて、最近相次ぐ報道の不祥事にジャーナリズムの劣化を嘆く人が少なくない。もしかすると、単なる「劣化」では済まない事態が進行しているのではないかという心配が頭をもたげてくる。
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