SJJA& WPO【西サハラ最新情報】592 ろくでなしパリ・オリンピック

 「不快になった方がいたとしたら当然、本当に申し訳なく思う」と、7月28日にパリ・オリンピック委員会が物議をかもした猟奇的オリンピック開会式に関して、謝罪しました。
 マリー・アントワネット女王が1789年のフランス革命後に投獄された牢獄<コンシェルジュリー>の窓々に、切断された自身の頭を抱え登場する血なまぐさい場面もありました。
 パリ・オリンピック5日目には、ガザ停戦合意交渉者で、ガザを実効支配するハマスの最高指導者イスマイル・ハニヤ氏が、イスラエルに暗殺されました。 パリ・オリンピック閉会式には、シャンソン・ろくでなし(Mauvais Garçon )をバックに、殺された4万人ガザ市民の頭を抱えて、追悼行進をしてください。

① 障害だらけのパリ・オリンピック:
 パリ・オリンピックが始まる前、開会式に出演予定の300人近いダンサーたちが、他のダンサーたちよりギャラが安いと、ストを予告した。さらにパリ空港労働組合もボーナスなどの値上げを要求してストを予告した。パリ・オリンピックは出鼻を挫かれた。
 7月26日、開幕当日、パリと北部や東部などを結ぶ高速鉄道TGVの3路線で沿線の設備が放火され、多くの列車が運休してオリンピックの開会式に向かう人などに大きな影響が出た。事件の翌日7月27日、オリンピック開催を批判し犯行を正当化する極左の活動家からの電子メールが、複数のメディアに送られた。7月28日、フランス北西部ルーアン近郊で、鉄道の線路敷地内にある電気設備付近に数人の姿があるのを列車の運転士が通報し、かけつけた警察は、現場に置かれた車を取りに戻った男1人の身柄を拘束した。
 7月26日、開会式では、オリンピック旗を逆さまにつけたり、韓国と北朝鮮を間違えて紹介したり、、パリ・オリンピックのトラブルが続出、、
 7月28日夜から29日未明にかけて、パリ北方約30キロ・メートルに位置するオワーズ県はじめ仏北部や南部などの6県で、複数の通信事業者の光ファイバーケーブルが切断され、一部地域でインターネット回線に影響が出たと報告された。通信大手オレンジは、パリへの通信接続に影響はなく、五輪の運営にも支障はないと、発表した。が?(AFP参照)
 7月28日、パリ・オリンピック選手村で、ラグビー7人制男子の日本代表選手が、外出している間に、寝室に置いてあった結婚指輪や首飾り、現金を盗まれた。その他、宿泊先の食事や移動バスの苦情など、、毎度のことながら、もめごとの後が絶たない。
 7月30日、セーヌ川の汚染が解消せず、男子トライアスロン・スイムが延期された。雨が降ったので生活排水が流れ込み水質が悪化し、28日と29日の公式練習も中止されていた。

② サド侯爵、クーベルタン男爵:
 あえて生首演出などしなくても、パリは十分に猟奇的でいかがわしく血なまぐさい。
 パリ・オリンピックで、マリー・アントワネットの生首を何個も登場させたコンセルジュリー牢獄には、パリで生まれたフランス革命期の小説家マルキ・ド・サド侯爵(1740年6月2日 – 1814年12月2日)も収監されていた。サドの作品は暴力的で淫乱で、非道徳的、非宗教的、非合法的。「究極の自由を求めた革命的作家」などと、高邁な文学評論家諸先生方が絶賛している。が、実存のサドは、虐待と性的暴行のなどの血まみれ事件で、パリの刑務所と精神病院を出たり入ったりした異常性格のスケベ―貴族だった。バスティーユ牢獄に11年、コンシェルジュリーに1か月、ビセートル病院(刑務所)に3年、要塞に2年、サン・ラザール監獄に1年、そしてシャラントン精神病院に13年入れられた。サドの作品のほとんどは、獄中で書かれたそうだ。
 サドは革命直前の1789年7月2日、バスティーユから「彼ら(王制派)はここで囚人を殺している!」と叫び、革命のきっかけの一つを作ったとおだてられた。その後間もなくシャラントン精神病院に移され、1790年に解放された。当初共和制を支持したが、彼の財産が没収されると、反共和制になった。サド侯爵は、結局、王制の貴族だった。
 フランスが都合よくパンダに起用する、近代オリンピック創立者のピエール・ド・クーベルタン男爵(1863年1月1日 – 1937年9月2日)も、パリに生まれた。彼は、事務局長と第2代国際オリンピック委員会会長を務めた。五輪マークも考案した。ただし、彼の言葉とされる「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」が、タルボット・ペンシルベニア大主教が1908年のロンドンオリンピックの際にアメリカ選手たちに対して送ったエールの引用で、彼自身の考えでなかったことは、知る人ぞ知る、、
 クーベルタン男爵が、「女性のオリンピアードは興味を引くものではなく、美的でもない」と、女性の参加に反対し続けていたことに、フランスはあまり触れたがらない。1896年第1回アテネ大会は<女人禁制>。1900年第2回パリ大会で初めて女性が出場したが、テニスなどごく一部の競技に限られ、選手約1000人のうち女性は約20人だけだった。124年後の2024パリ・オリンピックは選手数が初めて男女同数になった。規律と団結が大好きなクーベルタン男爵は、ナチス・ドイツ独裁者ヒトラーがプロパガンダに利用した1936年ベルリン・オリンピックを大絶賛した。ナチスとクーベルタンの関係も、パリ・オリンピックは触れないようにしている。

③ 王制に限りないノスタルジーを感じているマクロン大統領がモロッコ国王に跪く
 7月30日は、ムハンマド六世モロッコ国王が父ハサン二世の跡を継いで即位した、
 <王位の日>で、モロッコ外務省は国王陛下がお気に召すような祝辞を各国に求めた。
 その中でもモロッコ国王が飛び上がって喜ばれたのが、ムハンマド六世国王陛下に宛てたフランス大統領、エマニュエル・マクロンのメッセージだった。「西サハラの現在と未来はモロッコの主権の枠組み内にあると考えている」と、マクロンは述べたそうだ。。  
王立事務所は火曜日7月30日に、以下の声明を発表した。
 声明―「即位25周年の記念日と重なるメッセージで、フランス共和国大統領は国王陛下に<王国の国家安全保障問題に関するフランスの立場の不可侵性>を保証し、彼の国は<国内および国際レベルでこの立場と首尾一貫して行動するつもりである>と保証した。エマニュエル・マクロン大統領は、<フランスにとって、モロッコの主権の下での自治は、この問題を解決しなければならない枠組みである。2007年にモロッコが提案した自治計画に対する我々の支持は明確かつ不変である>と述べ、この計画は<今や、国連安全保障理事会の決議に従って、公正で永続的かつ交渉による政治的解決を達成するための唯一の基盤を構成している>と付け加えた。<前進する時が来た。私は、すべての当事者が政治的解決のために団結することを奨励する。それは手の届くところにある>とマクロン仏大統領はメッセージで述べた。」―
 モロッコ王立事務所は、「国王ムハンマド6世陛下 (神が彼を守ってくださいますように) によって推進され、世界のさまざまな地域の多くの国々によって推進され、モロッコの領土保全とこの地域紛争の解決のための排他的な枠組みとしての自治計画をフランスは支持している」と、マクロン仏大統領の声明を結んでいる。
 皇帝ナポレオンが好きなマクロンは、「私は独立戦争など知らない世代だ」と嘯き、西サハラ植民地支配者モロッコ国王に跪き、パレスチナ占領支配者ネタニヤフ・イスラエルシオニスト・殺人狂を公然と支持している。
 「不快になった方がいたとしたら当然、本当に申し訳なく思う」という謝罪の言葉は、マクロン仏大統領からパレスチナと西サハラの人々にあって然るべきかと思われます。

 2024年7月30日、ガザを実効支配するハマスのイスマイル・ハニヤ最高指導者は、訪問中のイラン・テヘランでイスラエルにより暗殺されました。
 4月10日、ガザに住むハニヤの息子3人と孫4人がイスラエルの爆撃で殺されました。
 6月25日、ガザのビーチ難民キャンプで、ハニヤの親族10人がイスラエルの空爆で殺されました。
 イスマイル・ハニヤ・ハマス最高指導者で元パレスチナ首相は、ガザのビーチ難民キャンプで、1963年5月8日に生まれました。 享年62才。 心からお悔やみ申しあげます。     
 

2024年7月30日、イスラエルに暗殺された、イスマイル・ハニヤ元パレスチナ首相、
ガザを実効支配するハマスの最高指導者、ガザ停戦合意の交渉者

 
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「サラー西サハラ難民アスリート」の出版情報です。
著者:平田伊都子、写真構成:川名生十、画像提供:アマイダン・サラー、SPS、
定価:本体1,800円+税、
発行人:松田健二、
発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、電話:03-3814-3861

同じ「社会評論社」が出版してくださった「ラストコロニー西サハラ(2015年)」、「アリ 西サハラの難民と被占領民(2020年2月)」にも、お目を通してください。
 
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Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)もご案内。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU

Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa]  英語版URL:   https://youtu.be/au5p6mxvheo
 
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名生十  2024年8月3日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
 
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye5308:240803〕