2019年2月2日、西サハラの若者が自分の体に火を点けて、モロッコ税関の不法没収に抗議しました。 焼身抗議は、2010年にチュニジアで起こった屋台の果物売りを連想させます。 果物売りも大事な商品を不法没収され屋台許可書を不法没収され、焼身自殺を遂げてしまいました。 そして、彼の火の玉は「アラブの春」に飛び火し、瞬く間にアラブ世界に広がっていきました。 一方、モロッコでは、売り物の魚を警官に不法没収された屋台の魚売りが、魚を取り戻そうとゴミ収集車に飛び込み、圧殺されてしまいました。 みんな命をかけ生活のため、不法な権力の妨害と戦ってきました。
(1) サウジのアルアラビーヤTVが西サハラよりのドキュメンタリーを放映:
2019年2月の初め、MWN(モロッコ世界ニュース)が、「サウジが所有するアルアラビーヤTVが、ポリサリオ(西サハラ難民政府)支持を推し進める西サハラ・ドキュメンタリーを放映して、サウジアラビアとモロッコの関係を危ういものにした。アルアラビーヤは、<占領>だとか<植民地>だとか、ポリサリオ(西サハラ難民政府)の口癖を繰り返す一方で、スペイン撤退後の西サハラをモロッコが侵略したとか占領したとか、歴史を捻じ曲げて伝えている」と、伝えた。さらにMWN(モロッコ世界ニュース) は、「このドキュメンタリーは、国際社会がポリサリオを西サハラの代表と認め、SADR(サハラ・アラブ民主共和国)を国家承認していると、見なしている」と、言及している。
MWN(モロッコ世界ニュース)は、サウジがモロッコとの強い王室関係を無視して反モロッコキャンペーンを張るようになった理由を、三つ挙げている。一つ目はサウジが主導している2018年5月27日に始まったカタール・ボイコットでモロッコがカタールのかたを持っていること、二つ目は2018年6月13日のワールドカップ招致投票でサウジがモロッコに投票せず、モロッコがサウジに文句をつけたこと、 三つ目は2018年10月2日のカショーギ・サウジ記者暗殺事件で、モロッコがムハンマド・サウジ皇太子に批判的だったことなどを、列挙している。
サウジアラビアはカタールのテレビ局アルジャジーラに対抗して、ドバイに本拠を置くアルアラビーヤTVを2003年3月3日に立ち上げた。ヨルダンの元情報相の提言を受け、サウジ系アラブ国際紙<アッシャルクル・アウサト>の編集長が取締役に就任している。
アルアラビーヤはアルジャジーラより穏健で、湾岸首長諸国を支援している。
サウジの心変わりは、モロッコ一枚岩だったアラブ連盟も揺さぶった。そして、アラブ連盟がボイコットしていたシリアの連盟復帰が、さらに、モロッコ支持基盤であるアラブ連盟での立場を脆弱にしつつある。シリアはSADR(サハラ・アラブ民主共和国)を1980年4月15日に承認している。
(2)アハマド青年の焼身抗議:
2019年2月2日、モロッコ占領地・西サハラの南端にあるゲルゲラト・モロッコ検問所前で、モロッコ税関、モロッコ警察、そして仲間の西サハラ人商人たちが見守る中、アハマド・サレム・ワリド・レンゲイムスはガソリンを被って自らに火を点けた。彼は病院に運ばれたが、瀕死の重症を負っている。
ゲルゲラトという所は国連緩衝地帯を挟み、重装備をしたモロッコ正規軍とポリサリオ西サハラ国境警備隊が睨みあっている。モロッコ軍はゲルゲラトをモロッコラリーの通過点にしたり、何かとポリサリオ西サハラ難民警備隊に対して挑発を続けている。モロッコ軍は検問所を設けて、モロッコ占領地に住む西サハラ住民の通行を妨害してきた。
事件の発端は、2019年1月27日に起こった。この日、西サハラ商人たちは夫々、荷物を緩衝地帯に隣接しているモーリタニアに運ぼうとしていた。ところが、モロッコ軍はその荷物を理由もなく没収した。アハマドは約10㎏の茶を不法没収されたうえ、彼の通行証でもあるモロッコ被占領民パスポートを、モロッコ兵に目の前で破かれた。アハマドを含む西サハラ被占領民の商人たちは、モロッコ検問所の前で座り込みデモを始めた。モロッコ占領地で西サハラ被占領民のデモや集会は、モロッコ占領当局から禁止されている。そして、アハマドと仲間たちは、モロッコ兵たちによって、力ずくで排除された。
パスポートを破かれ商品のお茶を没収されたアハマドは、仲間やモロッコ兵の目の前で、21才の命を自ら火を放って断とうとした。
今もアハマドは意識不明だそうだ。なにとぞ、一命を取り止めますように、、
死んで花実は咲きません!
(3)モロッコ人平和活動家は、今も檻の中:
2019年1月28日、モロッコの現地紙が、「リーフ地域平和運動の指導者ナセル・ゼフザフィ政治囚が、土曜日(2月2日)午後6時に自ら足を傷つけて、痛いから治療しろと看守に喚いた。カサブランカのアイン・セッバ第一刑務所で看護師が治療を始めようとすると、ゼフザフィは治療器具を投げつけ、彼の腕を机の角や壁に自ら打ち付け、傷つけようとした」と、ゼフザフィの刑務所内抵抗運動を伝えた。
ナセル・ゼフザフィが指導する<ヒラク・リーフ(リーフ運動)>は、2016年10月28日、アル・ホセイマでムフシン・フィクリ(31)という名の魚売りがモロッコ警察に惨殺された時、数千の住民が訴えて蜂起したデモに始まった。魚売りは没収された彼の魚と共に、モロッコ警官の命令一下、ゴミ処理ダンプの中で圧殺されたのだ。彼の死は、2010年に<アラブの春>を巻き起こしたチュニジアの果物売りに例えられた。それ以来、アル・ホセイマではモロッコ王政の<汚職、独裁、不正>を非難するデモが続き、デモの波紋はナドール、タンジェ、カサブランカ、そして首都ラバトにまで広がっていった。アル・ホセイマの人口は現在58097で、住人の20%近くがデモに参加したことになる。モロッコでも官製デモ以外のデモは禁じられている。
2017年5月29日、デモ指導者ゼフザフィとその仲間20人以上を、国家の治安を脅かしたという罪で、モロッコ機動隊が逮捕した。以来、デモ指導者のゼフザフィは、モロッコ刑務所に繋がれている。モロッコ北部のリーフ地方に住むリーフ人の反骨精神は、突然爆発したのではない。この地域は歴史的にモロッコ太守(後のモロッコ国王)から疎まれ、<リーフ人>は貧しく差別されてきた。1920年にリーフ人のアブド・アルカリームがリーフ地方で反乱をおこし、1923年にリーフ共和国を建国したが、1925年にリーフ共和国は太守とフランスに潰された。1956年3月2日にモロッコは独立し、フランスやスペインの援助を受けて経済再建を進めた。が、モロッコ国王は反抗心と独立心が旺盛な<リーフ人>の粛清を続けた。
2011年の人民による運動は、<アラブの春>と仇名をつけ悪用したフランス大統領・サルコジ(当時)とアメリカ・クリントン米国務長官(当時)の狙い通り、リビアを崩壊させシリアを窮地に追いつめる<アラブの春嵐>になってしまいました。 <西サハラの春>にその二の舞を踏ませないよう、国連と国際社会はしっかり<人民の人民による人民のための運動>を援護射撃してください。
春よ来い、早く来い、、
Youtubeにアップした「人民投票」(Referendum)のご案内です。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いいたします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之 2019年2月6日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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