SJJA& WSJPO【西サハラ最新情報】308 怒涛のアルジェリア

 怒涛のデモに洗われるアルジェリアの首都アルジェは、アルジェリア・イスラム主義組織が町を支配した20年前の激動のアルジェに似ています。 その頃のある金曜日、イスラム主義組織が根城にしていたカスバ(旧市街)の取材を終え階段を下りて、200メートル先にある宿泊ホテル・アレッティ(現在サフィール)に向かう通りに出ました。 ところが、来る時、デモの人で埋まっていた通りには人っ子一人いず、気味悪く静まり返っている、、 通りを50メートルほど歩いた時、「ヤ―バーニー(日本人)だ!」「撃つな!」と、通りの両サイドを囲む数階建てのビルの上から叫び声が降ってきました。 見上げると、ビルの窓は鈴なりの人で溢れかえっています。 行き先には政府軍の戦車が、ビルの陰には手製のダイナマイトやこうもり傘に仕込んだ銃を構えるイスラム主義組織の兵士とで、、まさに、戦闘が開始される寸前だったのです。 戦闘を見物する人々の声に助けられて、日本の取材陣は手を振りながら、まっすぐひたすら200メートルを歩きました。 
1990年代にアルジェリアを襲った怒涛のデモは、初代駐日アルジェリア大使ベン・ハビレスなどが率いる憲法評議会が鎮めたそうです。

(1)アルジェリアの反ブーテフリカ大統領デモ:
 2019年2月15日金曜日、アルジェリアの首都アルジェで、アブデル・アジズ・ブーテフリカ現大統領5期目の大統領選挙出馬声明に反発して、数千人のデモがまき起こった。他のイスラム教国と同様にアルジェリアでも、昔から休日の金曜日にデモが計画される。
デモ隊は、中央郵便局からホテル・アレッティ(現在サフィール)そして、日本の取材班が九死に一生を得た通りを経て、革命広場に向かった。
 2月22日、3月1日、3月8日と、ブーテフリカ大統領再出馬に反対するデモは、首都アルジェを中心に他の都市にも広がっていった。その間、脳梗塞を患う車椅子のブーテフリカ大統領(82)は、スイスで健康診断を受けた。そして、帰国後の3月11日、ブーテフリカ大統領は、彼にとって5期目となる大統領選挙に出馬しないことを表明した。さらに、4月18日に予定されていた大統領選挙の延期を発表し、ヌール・ディーン・ベドウィを新首相に任命した。新首相はアルジェリアの若者を含む実務的な政府を組閣すると、発表した。

元気なころのブーテフリカ・アルジェリア大統領と筆者

 しかし、3月15日の金曜日、デモは依然として勢いが止まらなかった。しかも、「マクロン出ていけ!」と書かれた、反マクロン仏大統領の横断幕も加わった。「他国に干渉するな!」「自国の火を消せ!」と、デモ隊は叫んだ。マクロン仏大統領はアルジェリア大統領ブーテフリカの退陣表明を歓迎する一方で、穏やかな政権移行を指示した、元植民地宗主国フランス大統領マクロンのおせっかいな忠告に、アルジェリアの人々は反発した。デモ隊を見下ろすカスバは、1954年から1962年までフランス植民地軍に抵抗する人民のアジトだった。このアルジェリア独立戦争で、150万人のアルジェリア人民が犠牲になった。
 そして翌3月16日、パリに火が点いた。「黄色いベストがハンマーでウィンドウを割り、高級品を略奪しあちこちに火を点けた。有名なカフェも燃えてる!」と、パリに住むアレックスから電話が入った。黄色いベストが仕切る<反政府デモ>は連続18週になり、パリのみならずマルセイユやボルドーなどでも行われ、約4万人が参加したという。

(2)アルジェリア政府の対応:
 2019年3月14日、国営通信APS(アルジェリア・プレス・サービス)が、「3月14日アルジェで、副首相兼外務大臣のラムタネ・ラマムラが、この国内問題に対する外国の干渉は絶対に許さないと、断言した」と、発表した。
 アルジェリア大統領ブーテフリカによる大統領不出馬と大統領選挙延期の声明を受けて、
BBC英国TVが、「ベテラン外交官ラハダ―ル・ブラヒミが指導するアルジェリア未来の政治を討議する憲法評議会を開催する。日時は決まってないが、会合は国家政治移行の予定と新憲法と選挙日程を検討する。2014年5月14日まで国連事務総長シリア特使を務めたブラヒム氏は、月曜日3月11日に大統領と会った。ブラヒム氏は大統領に、この難事を建設的な新体制創りへの礎にしなければならないと語った」と、報道した。ロイター通信は3月15日に、「アルジェリア軍は移行期間で、重要な役目を担っている。現時点で軍は、大統領に忠誠を誓っている」と、伝えた。
 3月16日、APS(アルジェリア・プレス・サービス)が、「リアダホテルで全国組合連合と民間団体が主催して、<新時代のアルジェリア、、>のスローガンの下に、100以上の団体が送った代表が、人民の抗議運動を分析し、アルジェリア人民の要求を満たすことが可能な組織作りの枠組みを、2時間にわたって討論した」と、発表した。
 3月17日、APS(アルジェリア・プレス・サービス)は、「ヌール・ディーン・ベドウィ新首相とラムタネ・ラマムラ副首相兼外務大臣が、ブーテフリカ大統領の指導の下に新政権の組閣作りを開始した。信頼すべき筋によると、新政府は政治経験を問わないとし、広く国民一般の意見が反映される形で構成されるとある」と、報じた。
 
(3)国際社会の怒涛に揉まれるアルジェリア:
アルジェリア・デモを称賛し煽りアルジェリア政府を酷評してきたモロッコのメデイアが、3月11日のブーテフリカ大統領の辞意表明後、ピタッと口を閉ざした。アルジェリア・デモ関係、最後のMWNモロッコ世界ニュースは、「どうして、西サハラ難民政府はアルジェリア政府の大危機に、何も言わないんだ?」との、西サハラに対する挑発だった。が、モロッコは、アルジェリア現政権の混乱に乗じて西サハラを排除し、AUアフリカ連合を牛耳ろうという企みを中断させた。モロッコは、アルジェリアのデモが燻り続けているモロッコ反政府デモに飛び火するのを恐れたのかもしれない。「20年間のブーテフリカ大統領長期独裁」というモロッコの反アルジェリア・スローガンは、「1956年以降63年間の長期王政独裁」に取って代わられると、危惧したのかもしれない、、
 3月16日、ムーサ・ファキAUアフリカ連合委員会議長は、「アルジェリアの変革を目指して、建設的な話し合いをして欲しい」と、呼びかけた。
 石油と天然ガスに恵まれているアルジェリアは、地下資源を狙う外国勢力と戦ってきた。
アルジェリアの不幸につけ込み、アルジェリア政府を破壊し天然資源を乗っ取ろうすると、フランスに気を許したことはない。アメリカに石油を狙われ、崩壊寸前のベネズエラの例がある。アメリカはネオコン(ネオ・コンサーバティブ)残党のエリオット・エブラム(72)をベネズエラ政権壊滅作戦の担当にした。エブラムは父ブッシュ大統領の下で、「大統領のすげ替えでパナマ潰し・ジャストコーズ作戦」を学んだ。子ブッシュの下ではイラクを潰した。そして今、ベネズエラだ!ジョン・ボルトン米国連大使(2006年当時)が実施しようとした国連西サハラ人民投票を潰したのは、この潰し屋エブラムだった。ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官(70)は、ネオコンではない。
 
世の中には、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトという車椅子の凄い世界的指導者がいました。 93才のマレーシア首相マハティ―ル・ビン・モハマドなど、高齢の指導者もいます。 指導者の激務が可能だったら、ハンディキャップはハンディーになりません。 だけど、アブデル・アジズ・ブーテフリカ大統領殿(82)、やっぱり、ちょっと無理があるように思われます、、 
 ブーテフリカ大統領殿、外務大臣時代も含め43年間、西サハラ難民の面倒をみてくださって、本当にご苦労様でした。 後を継がれるアルジェリアの指導者の方々に、申し送りをよろしくお願いいたします。
 アルジェリアに居候し支援を受けている西サハラ難民政府は、アルジェリア政変に関してこれまでのところ、発言を控えています。 一日も早く国連西サハラ住民投票を国連に実施してもらって、祖国西サハラへの帰還を果たし、独り立ちするのが一番です。

Youtubeに2018年7月にアップした「人民投票」(Referendum)をご案内します。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU

Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いいたします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa]  英語版URL:   https://youtu.be/au5p6mxvheo

WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之     2019年3月18日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion8494:190318〕