SJJA& WSJPO【西サハラ最新情報】362 追悼ハッダドMINURSO担当西サハラ大使逝去

 2020年4月1日、ムハマド・ハッダドMINURSOミヌルソ(国連西サハラ人民投票監視団)担当大使が急逝されました。 <長の患い>という死因が発表されました。が、2年前の4月3日に<長の患い>で急逝されたアハマド・ブハリ国連西サハラ代表大使と同様に、その死因に疑問が残ります。 お二人とも、国連を相手に大奮闘された真摯で優秀な外交官です。 悔やまれてなりません!

ムハマド・ハッダドMINURSOミヌルソ
(国連西サハラ人民投票監視団)西サハラ担当大使

① ムハマド・ハッダドMINURSO西サハラ担当大使逝去:
ハマダ・サルマ西サハラ情報大臣による、追悼文を紹介する。
「偉大な同志で革命闘士の優秀な外交官ムハマド・ハッダド兄は1954年に生まれた。アル
ジェリアの技術学校を中退し、若くして西サハラ革命運動に参加。西サハラ民族解放運動組織の中で、彼はたちまち頭角を現し重要な役割を果たし、西サハラ政府の主要なポストに抜擢される。ポリサリオ戦線の有能な革命戦士の一人として、1978年にマリのバマコで開かれた最初のモロッコとの直接交渉代表団の一員になった。その後彼はアルジェリアの
SADR(サハラウィ・アラブ民主共和国)大使に就任し、同時にポリサリオのヨーロ
ッパ責任者を兼任した。そして、スマラ難民キャンプの長を務めた。1991年に国連が<
国連西サハラ人民投票>という和平案を提案し、1975年から16年間続いていた西サハ
ラ・ポリサリオとモロッコの両戦争当事者は国連案を呑み、停戦した。この人民投票は、
西サハラ人民が自ら<西サハラ独立かモロッコ帰属かを選択する>二者択一の投票で、
ハッダド兄は投票人認定作業という重要な役割を担うことになった。この国連が約束した
西サハラ民族自決権に基づく西サハラ人民投票は、モロッコの拒否で29年を経た現在に
至るまで施行されていない。モロッコはこの国連の空白を悪用し、モロッコ占領地・西サハラの領海を侵略し、西サハラの鉱物資源を略奪し続けている。ハッダド兄は、ヨーロッパ法廷にモロッコの不法な侵犯を訴え、法的な闘争を率いてきた。偉大な革命闘士だ。
 私(ハマダ・サルマ西サハラ情報大臣)は、難民キャンプや占領地や国を離れて暮らす仲間たちに、我らが兄ムハマド・ハッダドの哀しい逝去を報せる。心からの哀悼を。。」

② MINURSOミヌルソ(国連西サハラ人民投票監視団):
デ・クエヤル国連事務総長(当時)が、長期にわたる砂漠の消耗戦争に停戦を提案した時、ホッとして受け入れたのは西サハラ独立運動の指導組織ポリサリオ戦線よりもモロッコだと言われている。基幹産業が観光という資源に乏しいモロッコは、広大で不毛の砂漠に注ぎ込む軍事費を賄いきれなくなっていた。さらに、祖国西サハラの独立という神聖な信念に燃えるポリサリオ戦線の兵士とは違って、モロッコ兵には大義名分がない。士気に欠けるモロッコ兵の間で厭戦気分が蔓延していた。
かくして、モロッコと西サハラ・ポリサリオ戦線の戦争両当事者はデ・クエヤル国連事務総長(当時)の下で銃を置き、ジョン・ボルトンなどの外交官や政治家たちが具体的な和平案を作成した。そして、1991年4月29日に国連安保理決議690が採決され、西サハラの最終地位を決定するため西サハラ人民投票が設定され、その施行のためにMINURSOミヌルソ(国連西サハラ民族投票監視団)が結成された。MINURSOミヌルソの目的は、① 停戦の監視および両軍の配置の確認、② 政治犯の釈放、③ 難民などの故郷帰還の支援、④ 人民投票の有権者の確定および人民投票の実施、とある。当初、国連人民投票は1992年に予定されていたが、モロッコが投票者認定作業に文句をつけ、延期された。さらに、1990年半ばになると、西サハラ砂漠の下に石油や天然ガスなどが確認され、鉱物資源が乏しいモロッコは西サハラ地下資源の確保、すなわち西サハラの領有に執念を燃やすようになる。モロッコは、国連人民投票でモロッコ帰属票を獲得するため、モロッコ兵やモロッコ入植者をモロッコ占領地・西サハラに送り込んだ。1997年にジェームズ・ベイカー元米国務長官が国連事務総長西サハラ個人特使に任命され、参謀にMINURSOミヌルソ草案に携わったジョン・ボルトンが就任し、1998年から本格的に国連主導の投票人認定作業を始めた。筆者はその認定作業を取材した。その作業現場で、ハッダド西サハラMINURSOミヌルソ担当の活躍を撮影している。2018年制作の13分ドキュメンタリー「人民投票」には登場しなかったが、「ラストコロニー」では、真摯な彼に会える。(写真参照)
結局、モロッコの主張するモロッコ入植者やモロッコ兵は投票人と認定されず、モロッコはベイカーとボルトンの国連人民投票を拒否し、二人の努力は実らなかった。
 ジョン・ボルトンは米国連大使(2005年~2006年)になった時も、人民投票実現に向け尽力した。が、モロッコの妨害で頓挫。国連西サハラ人民投票は現在まで行われていない。

③ MINURSOを国連安保理で取り上げる予定?:
 4月2日、CORCAS(モロッコ王立サハラ問題諮問評議会)が、「国連安保理が2020年4月9日(木)にMINURSOミヌルソに関する会合をすると、4月1日のCOVID19ビデオ会議の中で、非公式計画として触れた。プレス発表によると、国連事務総長と4月安保理議長国ドミニカとの共通認識として、今月中に一度だけ、非公開のMINURSOミヌルソ検証をやる計画と、あるそうだ。さらにこのプレスは、2020年7月から2021年6月までのMINURSOミヌルソ予算に関する国連事務総長報告を公開した。この予算は、約6,335,263,000円になり、自発的な献金推定額約57,090,000円は含まれない。218人のPKO兵士と27の派遣兵士と12人のUN 警察官と、82人の世界から選ばれた文民と、163人の現地被雇用者と、18人の国連ボランティアと、10人の職員たちの、雇用料も、この予算内から支払われる」と、報じた。
 4月6日、西サハラ国連担当大使オマル博士はAFP通信に、4月9日国連安保理の議題を明かした。それによると、「①国連事務総長西サハラ個人特使指名の放置問題、②MINURSOトップの現状報告、③未確定地域のモロッコ占領地・西サハラで、不法モロッコ不法に新設したアフリカ数か国の領事館問題、」が、議題に上っているそうだ。

 事務総長はMINURSOの予算だけがお目あてで、国連事務総長西サハラ個人特使の指名など1年近くほったらかしにしたままです。 <国連西サハラ人民投票>をやっても、自分の得にならないと、モロッコとフランスに忖度して放置しているように、お見受けします。 ノーベル平和賞を狙ったGG(グテーレスとグレタ)コンビのイベントは、失敗しました。 2020年4月1日、英国政府は国際的な地球温暖化問題を話し合う、11月予定の第26回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)も主催国イギリスが延期を申し出ました。 空振りが続いています。 連帯を連発して、COVID19をネタに募金をかけたり、、GGコンビで再度ノーベル平和賞を狙ったり、、 
僭越ではございますが、アントニオ・グテーレス国連事務総長殿、国連憲章と国連決議に今ひとたび、お目を通して頂くことをお願いします。
もしアフリカ最後の植民地を、平和的に<国連西サハラ人民投票>で解決したら、間違いなく貴殿のお好きなノーベル平和賞を入手できると思います。
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*「アリ 西サハラの難民と被占領民」の只今発売中です。
著者:平田伊都子、写真:川名生十、画像提供:李憲彦、川上リュウ、SPS、
造本:A5判横組みソフトカバー、4頁のカラー口絵、本文144頁
発行人:松田健二、
発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、TEL:03-3814-3861
2020年2月3日 初版第一刷発行  定価 税抜き2,000円

*1月22日、「ニューズ・オプエド」で#1323<アフリカ最後の植民地>を放映しました。
YouTube オプエド平田伊都子 URL https://www.youtube.com/watch?v=citQy4EpU-I

Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)をご案内。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU

Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa]  英語版URL:   https://youtu.be/au5p6mxvheo

WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之     2020年4月7日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion9622:200407〕