SJJA& WSJPO【西サハラ最新情報】381 サラー 西サハラ難民アスリート サラーにコロナ禍

「僕は、トレーニング・クラブがあるフランスにいるよ」と、サラーからメールが入りました。 2,020-年7月半ばの事です。 サラーと連絡が取れるようになったので、<サラーの話>を続けます。 サラーファンの方も、サラーに何か聞きたいことがあったら、ご一報ください。 それにしても、7月29日の段階で、まだフランスはアルジェリアに対して国際線を封鎖したままのようです。
アルジェリアの西サハラ難民キャンプにいたサラーは、どうやって地中海を越えて、フランスに戻ったのでしょうね?

西サハラ砂漠で横になっているサラー

⑪コロナ禍

西サハラ難民キャンプで足止めを食っていたサラー :
 「今、ブジュドウール難民キャンプの親戚のテントに居候している。難民政府があるラボニ難民センターじゃないから、電話が繋がりにくいんだ」と、3月の上旬、サラーから雑音混じりの電話が入った。電話回線の状況が悪いと、当然、インターネットも繋がりにくい。難民センターのあるラボニは,アルジェリアから電気も水も貰っているし、電話も繋がり易い。が、一般の難民は、ラボニ難民センターから砂漠に奥深く入った、五つある難民キャンプ群の一つで暮らしている。大部分の外国人訪問者は、ラボニ難民センターにある宿泊所に収容される。フランスから来たサラーも同様で、サハラマラソンのイベントが終わるまで、ラボニ難民センターで面倒をみてもらっていた。3月に入ってサラーは、親戚が住むブジュドウールという名の難民キャンプに移った。センターでもキャンプでも、訪問者から宿代や食事代は取らない。
 「3月半ばにはフランスに戻るから、そしたら連絡を取り合おう」と、サラーは電話を切った。例年通り3月の後半から、フランスでのトレーニング予定を組んでいたサラーは、航空券の予約も入れていた。万事順調だった。ところが、3月11日にWHO(世界保健機関)テドロス事務国鳥が、「新型コロナウィルスはパンデミック(世界的伝染疫病)だと、宣言した。3月15日にマクロン仏大統領が緊急事態宣言を出した。と同時に、フランスは国境閉鎖に入り、多くのフライトがキャンセルされた。サラーのアルジェ~パリの航空便もキャンセルされた。
 そして、3月24日、新型コロナウィルス感感染拡大を受けて、2020年7月24日から8月9日まで予定されていた2020東京オリンピックが延期された。3月30日には、東京オリンピックは2021年7月23日から8月8日までと決まった。多くのオリンピック参加選手や候補選手の頭の中は、真っ白になった。競技日程に合わせて、秒読みに近いスケジュールでトレーニングを積んできたのだから、、 が、オリンピック出場の可能性を探ってきたサラーにとって、一年の延期はありがたかった。サラーは、トレーニング・クラブがあるフランスに一日も早く戻って訓練を再開し、FOC(フランス・オリンピック委員会)と交渉してみようと決心した。
 4月の頭に、「今、フランス大使館からの連絡を待っている。フランスがアルジェ~パリ間に特別機を出すそうなので、それに乗せてもらう交渉をしているんだ」と、サラーから連絡が入った。「グッドラック!ボンボヤージュ!!(幸運を祈る!楽しい旅を!!)」と、筆者は弾んだ返事をした。一般のフランス国際便は3月29日から6月中旬まで欠航となっていたのを知っていたので、心からこの幸運に「グッドラック」と言いたかった。
 ところが、「大変だよ!砂漠の難民キャンプはとんでもなく暑い。そこへもってきて、ラマダン(断食月)だ。昼間は誰も働かないし、、」と、サラーから途切れ途切れの電話が、4月末に入った。「ええ~~!まだ難民キャンプにいるの?」筆者は問い返した。「結局、特別機は飛ばなかったんだ。フランスの通常国際便開通を待つしかないのかも、、」と、サラーは焦っていた。難民キャンプでもラマダン(断食月)が、4月25日から始まって5月25日まで続いていた。日中は50度に届く酷暑の中で、日の出から日没まで飲まず食わずという断食の行は、想像以上に苦しい。「ワオ~!熱い季節の断食は大変だね!練習はどうしているの?」と、質問したら、「週に3回ぐらい、、軽く体を動かしている」と、カスカスの声が返ってきた。

6月末、パッタリ、サラーと連絡取れず:
 2020年の断食月は5月24日に終わった。筆者はイスラム教徒ではないけど、「ハピー・イード、フォ-・ユア・ファミリー(ご家族の皆さんに、断食明け祭りおめでとう)」と、サラーに断食明けのお祝いメールを送った。「家族に宛てたお祝いありがとう。僕の家族は男が3人、母を入れて女が5人。みんな結婚していて子供を抱えている。未婚は僕一人だ」とサラーから返事がきた。
 これまで様々なインタビューで、「僕には、西サハラとフランスの家族に責任がある」と、言ってきたので、筆者は、西サハラの家族とはモロッコ占領地に残した母親と兄弟たちのことで、フランスの家族とはサラー自身の家族を指すのだと思っていた。が、サラーの返事で、彼の言う家族とは、母と兄弟とその子供たちだと分かった。期せずして、みんなが知りたかったサラーの身元調査が、クリアーになった。
 断食が明けて6月に入り、世界の新型コロナウィルス感染者は益々、増えていった。飛行機の可否よりもコロナが心配で、アルジェリアの西サハラ難民キャンプに、何度も何度も電話をした。やっと、6月の頭と半ばにサラーと繋がった。「熱いよ~、まだ難民キャンプだよ、、」と、意外に元気なサラーの声が返ってきた。
サラーは、このまま西サハラ難民キャンプに定着するのではないか?と、思ったりした。
 そうなったら文字通り、<西サハラ難民キャンプアスリート>になる。そうすれば、最新サラー記録映画を作る時も、西サハラ難民キャンプで生活し練習する姿を撮影し、もしもオリンピックの出場が可能になったら、西サハラ国旗を振る難民の子供たちに見送られて出発する楽しい映像が撮れる、、と、勝手に想像を巡らせていた。そのほうが、観る人にとって分かりやすい。正確に言うと、サラーの身分は西サハラ難民キャンプの難民ではなく、フランスに亡命した西サハラ人で、フランスに居住する難民なのだ、、
6月末、サラーの難民キャンプの連絡先に電話を入れた、、フランスの電話連絡先にも入れてみた、、何度もメールを入れた。が、全くサラーからの返しがなかった。

7月7日、ヌアクショットでフライト待ち?:
 「僕は今、モーリタニアの首都・ヌアクショットの飛行場にいる。連絡を入れないでゴメン!ご了承ください。フランスに落ち着いたら報せるね、、」と、サラーから短いメールが入った。なんでモーリタニア? なんで難民キャンプから2,000キロメートル以上離れたヌアクショットに?限りなく?????が出てきたが、サラーの落ち着くのを待った。
そして、7月半ば、サラーが???に答えてくれた。ではこれから、サラーが語る砂漠縦断記をお伝えします。
「7月1日からフランスが国境を開く予定だというニュースをラボニ難民センターから聞いて、6月の半ばに、アルジェ発パリ着の飛行機の予約を取ろうとしたが、フランスは国際線を閉鎖したままだという理由で、アルジェリアの航空会社に断られた。僕は荷物をまとめて、ラボニ難民センターに引っ越した。そして、他にパリに飛ぶ方法がないかとラボニ難民センター長に相談した。<モーリタニアの首都ヌアクショットから国際便が飛んでるよ>と、嬉しい声が返ってきた。<それにするよ!>と、僕は即答した。<よし、明日の朝7時に出発だ。車とガスと食料は今晩中に準備しておく。ヌアクショット西サハラ大使館に行く4人に便乗すればいい>と、ラボニセンター長が快く承諾してくれた。ラボニセンター長は、外国から難民キャンプに来るNGO支援者やプレスの宿泊、食事、移動の車、要人とのインタビューなどなどの一切を取り仕切っている。その夜8時、モーリタニアに行く5人と一緒に夕食を撮った。実験農場でとれたニンジンとじゃがいもと援助物資の豆との煮込みに、砂混じりのパン、、これがラボニセンターでの<最後の晩餐>だと思い、スープの一滴まで飲み干した。<明日は7時に出発だ>と、旅のリーダーが念を押した。僕は、ラボニセンターの鉄のベッドに身を沈ませた。翌朝、僕は6時半に起こされラボニセンターの食堂で旅の仲間5人と、コーヒーとパンと支援物資のマーガリンやジャムで朝食を摂った。<夜まで食わないからしっかり食っとけ。全長2,000キロメートル以上の長旅だ>とリーダーに言われた。僕はその時まで砂漠を越えて全長2,000キロメートルを陸路で走破するとは、思ってもみなかった。多分、近場の地方飛行場からモーリタニアの首都ヌアクショットまで飛ぶものだと予想していた。が、僕以外は経験者と見えて、ケロッとしている。<サラー、お前は砂漠の長旅が初めてだったな。頭を天井にぶつけないように気を付けろ!>と、旅のリーダーは僕に気を使って、一番振動の少ない安全な助手席に座らせてくれた。トヨタのランドクルーザーは時速80キロで走り出した。15分ぐらいで舗装道路を外れ、砂漠に入った。道などない。轍の後を追うポリサリオ兵士の運転手は、鼻歌混じりでハンドルを切る。<どれぐらいかかるんですか?>と、運転手に聞いたら、<モーリタニア北端のヌアデイブまで、何も事故が無かったらマル四日だね。ヌアデイブからヌアクショットまでは道があるから楽だ。7、8時間でいける>と答えた。ええ~~!? 調子の悪い腰がますます酷くなるのでは、、とか、色んな心配事が次々と沸いてきたが、引き返すことはできない。腹をくくって車の揺れに身を任せ、運転手に命を預けた。運転手に僕の不安が伝わったのか、<ヌアクショットに着いたら、市場で子供の晴着を買ってやるんだ>と、えくぼを見せて僕にウィンクをした。4時間ほど走ったら車と運転手を休ませるために、タルハの木を見つけ、タルハの枯れ枝に火を点け、お茶っ葉と砂糖と水を小さい琺瑯びきのヤカンに入れ、甘茶を沸かした。砂埃と熱さで痛めつけられた喉を癒すには、西サハラ伝統の甘茶が一番だ。夕方には国連とポリサリオ戦線の基地があるテイファリティという寂れたオアシスに着いた。その夜はテイファリティのポリサリオ基地で夕食を摂り、基地の小部屋で雑魚寝をした。僕たちの無事な到着をラボニ難民センターに報せる、無線機の音が響いていた。この基地には電話回線などないから、未だに無線で交信しているのだ。
翌6月23日の早朝、ランドクルーザーにはガスを、人間には水を補給して、僕たちはテイファリティ基地を出発した。テイファリティを出ると、対向車には全く出くわさず轍の跡も殆どなく、運転手の経験と土地勘だけが頼りだ。4時間ほど走って甘茶タイムを取ったら、ひたすら西サハラの難民政府解放区を南に向けて走り続けた。その日の夜、国連の小さい駐屯所があるミゼクに着いた。その夜は国連駐屯所の傍で薪を焚いて少量の水を沸かし、鍋にふたをしてスパゲッティを蒸かした。スパゲッティが柔らかくなったら、大きいツナ缶を二つ開けて鍋にぶち込みかき回す。ツナの油と塩が混ざったら、数個のトマトを丸のまま入れさらに煮こむ。焚火に気付いたのか、国連駐屯所の中で人の気配がした。が、出てこなかった。<国連は西サハラ人に声をかけたり宿を貸すような親切心はない。事故った時には助けてもらうさ>と、旅のリーダーは僕に囁いた。その日は寝袋で野宿をした。
 6月24日も早朝出発し約350キロメートル南下し、遊牧民のテント集落があるザグには日暮れ前に着いた。野宿の最後となる晩餐も、ツナ・トマト・スパゲッティを作り、甘茶で乾杯した。この頃になると、僕は腰の痛みなどすっかり忘れて、砂漠のラリーに夢中になっていた。
6月25日は夜明け前にエンジンをかけ、約400キロメートル離れたヌアディブへ日没前に着くことを目指して、甘茶タイムを短縮しひたすら西へ急いだ。そして、午後4時半過ぎにモーリタニア第二の街ヌアデイブに着いた。砂まみれの僕ら6人は、まるでパリ・ダカール・ラリーに優勝したかのように抱き合って、シャンペン代わりにペットボトルの水を掛け合った。
 ヌアデイブの国境検問所で数時間もかかったのは、モーリタニア入国ビザ取得のためではない。西サハラ難民政府が発行する<SADRサハラウィ・アラブ民主共和国>のパスポートを持っていれば、モロッコを除くアフリカ諸国にビザなしで入れる。僕たちを煩わせたのは、新型コロナウィルスの検査だった。人間だけでなく積み荷から車体に至るまで検査し、消毒させられた。
 ヌアデイブの国境検問所を出た時には、夜になっていた。その夜はポリサリオ戦線ヌアデイブ出張所で、大西洋の波音を聞きながらグッスリ眠った」
 「僕は、その週が明けてから、ヌアディブにあるフランス領事館でヌアクショット発パリ着の飛行機便を確認した。ポリサリオ戦線ヌアデイブ出張所で一番早い便の予約を入れてもらい、返事を待ちつつ、砂漠のラリー仲間と約500キロメートル離れたモーリタニアの首都ヌアクショットに向かった」と、サラーは話を続けた。
 
サラーは、地中海ではなく大西洋を越えて、亡命先のフランスに戻りました。 4か月間の留守で支払いは溜まるし収入はないしで、財政ピンチだそうです。 練習そっちのけで、アルバイトの毎日を送っているとか、、コロナのおかげで、世界中のピンチもまだまだ続きそうですね、、
参考までに、モーリタニアのミニ情報を記しておきます。 モーリタニアは西サハラと
長い国境を接するアフリカ北西部の共和制イスラム国家です。 2015年の統計によると、全人口が4,067,564人、首都ヌヌアクショット人口が約945,000人、ヌアデイブ人口が118,167人となっています。

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*難民アスリート・サラーの最新ドキュメンタリーがYoutubeにアップしました。
https://youtu.be/jz7lFr2c_Jk スペイン語ですが、西サハラ難民キャンプが見られます。

*占領地からの脱出―「アリ 西サハラの難民と被占領民の物語」只今発売中です。
著者:平田伊都子、写真:川名生十、画像提供:李憲彦、川上リュウ、SPS、
造本:A5判横組みソフトカバー、4頁のカラー口絵、本文144頁
発行人:松田健二、
発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、TEL:03-3814-3861
2020年2月3日 初版第一刷発行  定価 税抜き2,000円

*1月22日、「ニューズ・オプエド」で#1323<アフリカ最後の植民地>を放映しました。
YouTube オプエド平田伊都子 URL https://www.youtube.com/watch?v=citQy4EpU-I

Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)をご案内。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU

Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa]  英語版URL:   https://youtu.be/au5p6mxvheo

WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之     2020年7月26日

SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion9979:200729〕