6月8日、パン・ギムン前国連事務総長が<RESOLVED (解決済)>と題して、衝撃の新刊書を発表しました。
ちょうどアントニオ・グテーレス現国連事務総長のあらたな5年の任期が決まったこともあり、本が暴露した事実に衝撃が走りました、、とは言っても、コロナのおかげで、世界中が衝撃に免疫ができていて、それほど驚いてはいないですが、、 その中で、見過ごせないことが2件あります。 一つはパナマ・コレラ国連賠償金不正事件で、もう一つは、西サハラ問題を30年間も未解決のまま引きづってきて挙句の果てに国連の枠組みから外そうとしているのが、フランスだという一件です。 微力ながら、国連の白人官僚から虐められ続けた黄色人国連事務総長の名誉を、回復したいと思います。 英語は下手でも、パンギムン前国連事務総長はアジアの誇りです。
パンギムン前国連事務総長の著書「RESOLVED (解決済)」ただいま発売中
① パン・ギムン国連事務総長の誕生と悪い評判:
パン・ギムンは日本の植民統治下にあった朝鮮忠清北道陰城郡遠南面上唐里杏峙村で、1944年6月13日に生まれた。その後、家族は忠州市近くの町に移住し、そこで育た。父は大問屋で働いていたが、店が倒産し、一家は苦労する。1972年にソウル大学外交学科を卒業し、同月高等外交官試験に合格、3月に外交部に入部、外交官の道を踏み出す。その後2000年1月に外交通商部副長官、2001年5月に国連大使、2002年2月に無任所大使、2003年2月に大統領外交政策補佐官と歴任し、2004年1月からは外交通商部長官(外務大臣)に任命される。
2006年10月3日、パン・ギムンの当選が確実となった予備投票の結果を受けて、当時のアメリカ国連大使ジョン・ボルトンは「米国はこの結果を歓迎する」と述べた。ジョン・ボルトン大使はパン・ギムン国連事務総長の下で念願の国連西サハラ人民投票実現を目指したが、2006年12月に国連大使を解任され、願いは叶わなかった。パン・ギムン国連事務総長の誕生に、当時の麻生外相は「我々もアジアとしても大変誇らしい」と称賛し、日本の外交当局も“外交のプロ”だと高く評価した。
しかし、ボルトン元国連大使の母体であるAEI(アメリカンエンタープライズ公共政策研究所・米共和党シンクタンク)は、「元国連大使を国連の特別代表に任命したり、主要な国連ポストに韓国人を多数起用したり、インド人の娘婿を幹部に抜擢するなど、傍目にも行き過ぎた縁故主義」と、パン・ギムン国連事務総長を痛烈に非難した。2010年7月、英国のガーデイアンが「存在不明人間(透明人間)パン・ギムン国連事務総長の講演は、空虚な言葉の繰り返しと無内容で欠伸がでた」と、批判したり、欧米の評論家たちはパン・ギムン国連事務総長を酷評した。それでも、2011年には国連加盟国192か国が、全会一致で、パン・ギムン国連事務総長5年間再任を決めた。
2016年7月1日の産経は、半年後に任期切れとなるパン・ギムン国連事務総長に関して、英国誌エコノミストを引用し、「歴代最悪の事務総長の一人」と、批判した。さらに産経は、無能、縁故主義、国連を私物化、など<ヘイトワーズ>を並べたてている。
② ハイチ大地震とコレラ蔓延:
2021年6月17日、国連安保理でハイチ問題が討議された。現地の国連人権関係者が、「6月に入り、首都ポルトープランスでギャング同士の抗争が激化し、これまでに50人以上が殺され多数が負傷し、逃げ出した人が1万人を超えた。強姦事件は数知れない」と、報告した。同日の国連定例記者会見で、ハイチに関連して記者が、「パン・ギムン前国連事務総長の新刊書の中で、ハイチに関する記述があった。彼によると、ハイチに於ける国連の対応は汚点だと批判している。さらに、地震の後に起こったコレラの蔓延で、約400,000、000$の賠償請求があったが、感染犠牲者には僅か8,000,000$しか渡っていないと暴いている。現事務総長はこの問題の解決を引き継ぐつもりはあるのか?」と、聞いた。国連事務総長報道官は、「今、我々の手元にはこの問題をフォローする財源がない。これに関して基金を募っていく」と、答えた。
国連がなぜハイチのコレラ感染者に賠償しなければならないか?それは、2010年1月ハイチ大地震の後、同年10月にハイチ中部ミルバレに駐留していたネパールのPKO部隊の宿営地からコレラが発生したからだ。それまで、カリブ海の島国ハイチにはコレラ菌が存在しいないとされていた。ハイチでは、大地震で20万人が、コレラでは1万人以上が犠牲になっている。
2015年頃のマスコミはハイチ・コレラ賠償金不正事件に関して、「パン・ギムンは国連の責任を認めず、挙句の果てに外交特権で犠牲者への保証金支払いを拒否した」と、パン・ギムン国連事務総長(当時)に全責任を擦り付けた。
確かに、国連はコレラ発生の責任を否定していたが、2016年8月18日、パン・ギムン国連総長最後の年に、初めてコレラ発生に関する責任を認めた。コレラ犠牲者の代理人を務めるハイチ人の弁護士、マリオ・ジョセフ氏は「正義を求めて抗議デモを行い、国連に書簡を送り、国連を提訴した何千人ものハイチ国民の大きな勝利」だと述べた。
ハイチ・コレラの真相は、<400憶$(請求額)-8憶$(受領額)=392憶$(??)>の行方とともに気になる。詳しくは、パンギムン前国連事務総長の<RESOLVED-Uniting Nations in a Divided World(解決済ー分断された世界で連合する国々)>をご覧ください。
*RESOLVED(解決済):アマゾン2021/6/8発売、ハードカバー、3389円
*お安い日本語の伝記もあります。努力の証・パンギムン物語、150円
③ 国連西サハラ人民投票を妨害し続けるフランス:
2021年6月15日、SPS(西サハラ難民キャンプ通信)がパン・ギムン著<RESOLVED
解決済>の出版を紹介した。SPSは、「彼(パン・ギムン前国連事務総長)は、西サハラ当該地域訪問の体験を通して西サハラ紛争を説明し、フランスの干渉でモロッコが様々な責任重大な問題を引き起こしてきたと証明している」と、30年近くにわたって国連西サハラ人民投票の実現を阻んできた元凶が、モロッコの元植民地宗主国フランスにあることを仄めかした。
パン・ギムン国連事務総長が、国連事務総長として初めて正式に西サハラ紛争地を訪れた時の模様を、日刊ベリタの記事から引用する。
「2016年3月5日朝(日本時間3月5日の夜)、隣国モーリタニアから飛んできた国連専用機が、アルジェリア最西端にあるティンドゥーフ飛行場に着陸した。降り立った国連事務総長ご一行は、パン・ギムン国連事務総長と、クリストファー・ロス国連事務総長個人特使、キム・ボルドクMINURSO(国連西サハラ住民投票監視団)特使など、西サハラ担当の国連高官たちだ。
当初、モロッコ入りを予定して、国連政治局アフリカ第2課は3月17日まで西サハラ地域視察スケジュールを組んでいたのだが、モロッコからモロッコとモロッコ占領地・西サハラ視察を拒絶された。そこでご一行は、西サハラ難民キャンプの後、アルジェリアの首都・アルジェに飛んだ。
アルジェの記者会見でパン・ギムン国連事務総長は、「私はこの目で、西サハラ難民キャンプの実情を見た。1975年、モロッコに祖国を占領されて以来、西サハラの人々は想像を絶する苦難な生活を強いられている。西サハラの人々には、人間の尊厳と民族自決権がある。国際社会はもっとこの人々に、注視し行動を起こさなければならない。40年前に難民キャンプで生まれた子供が、今も難民キャンプで生活しているということは、同じ地球に住む者として見過ごすわけにはいかない。メデイアのヘッドラインを飾る紛争や事件のみを、国際社会は追いかける。国際社会が怠ってきた西サハラ紛争の解決に向け早急に行動を起こすことを、私は、西サハラ難民キャンプの人々に約束してきた」と、語った。
2015年12月14日、ニューヨークで開かれた国連報道協会の忘年会で、パンさんはプライベート・ビデオを流しました。 一日の睡眠時間は2時間未満(マジ?)、食事やトイレの最中も事務を行い、スーツのまま就寝するという、苛酷な事務総長ライフを紹介したそうですが、、
2016年12月31日、国連本部で職員らを前にしたパンさん別れの挨拶のほうが、笑えて素敵です。
「シンデレラのような気分。あすの夜12時ですべてが変わる」
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「サラー西サハラ難民アスリート」の出版情報です。
著者:平田伊都子、写真構成:川名生十、画像提供:アマイダン・サラー、SPS、
定価:本体1,800円+税、
発行人:松田健二、
発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、電話:03-3814-3861
同じ「社会評論社」が出版してくださった「ラストコロニー西サハラ(2015年)」、「アリ 西サハラの難民と被占領民(2020年2月)」にも、お目を通してください。
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Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)もご案内。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名生十 2021年6月23日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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