7月4日はイギリスから独立を勝ち取ったアメリカの独立記念日で、7月5日はフランスから独立を勝ち取ったアルジェリアの独立記念日です。ジョー・バイデン・アメリカ大統領がアブデルマジド・テッブン・アルジェリア大統領に、「独立記念日、おめでとうございます。アルジェリアとアメリカが、これからも益々、経済的文化的な絆を強めていくことを願っております」と、2021年7月1日に祝電を送りました。 社会主義諸国を天敵とするアメリカが祝電?、、珍しいことです。
アルジェリア革命を喜ぶ首都アルジェの市民たち、
1962年頃の写真(出典APS)
① G20外相会議で活躍するサブリ・ブカドゥーン・アルジェリア外務大臣:
2021年6月29日と30日にイタリアの南部マテーラで開かれていたG20外相・開発相会合に、イタリアはアジェリア外務大臣サブリ・ブカドゥーン氏を招待した。豊富な地下資源を基にしたアルジェリアの経済発展に、先進国のサロンG20も無視できなくなってきたようだ。因みにG7とはGroup of Sevenの頭文字で、フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダで構成される政府間の政治フォーラムだ。 メンバーは世界最大のIMF先進国であり、最も裕福な自由民主主義国であるとされている。G20とはG7に、アルゼンチン、オーストラリア、ブラジル、中国、インド、インドネシア、メキシコ、韓国、南アフリカ共和国、ロシア、サウジアラビア、トルコ、と欧州連合(EU)を加えた集まりGroup of Twenty を言う。毎年,持ち回りで首脳会議や外相会議や財務相会議などの、国際会議を開いている。
6月29日、30日のイタリアG20外相会議でサブリ外務大臣は、「アフリカをコロナから救えるのは良質で無償のワクチンだ。誰もが、自由に平等にワクチン接種できることを、可能にしなければならない」と、強調した。
サブリ・アルジェリア外務大臣はG20外相会議とその分科会で、各国外相とコロナ、エネルギー、テロ、など、多方面にわたる討議をした。
6月30日、サブリ外務大臣はスブラマンヤム・ジャイシャンカ・インド外務大臣と、二国間関係やコロナとの奮闘や地域の情勢など、G20のサイドラインに則って話し合った。
7月1日にも同じくG20のサイドラインに則って、フェリペ・カルロス。ソラ・アルゼンチン外務大臣と、二国間関係や共通の国際問題について、意見を交わした。この日、サブリ外務大臣は電話でファイサル・ミクダド・シリア外務大臣と会談し、歴史的な両国関係をより強固にするため、努力を惜しまないと伝えた。シリア内戦が始まって国連アラブ連盟シリア特使を務めたコフィ・アナン元国連事務総長が辞任した後、2012年9月からラクダール・ブラヒム・元アルジェリア外務大臣が、この大任を2014年まで務めていたという歴史がある。
さらに忘れてならないのは、サブリ外務大臣がG20外相会議で「食の安全を多国間協力で」と、提案したことだ。一致協力して、ジャンクフードなどから食生活を守りましょう、、少々手間でも、自分の食事は自分で作りましょう、、
② アルジェリア外務大臣と西サハラ:
2019年2月に起こったアルジェリアの反政府運動は、1999年から政権を握っていたア
ブデルアジズ・ブーテフリカ氏を倒した。同年12月の大統領選挙で、アブデルマジド・テブン大統領が誕生した。そして、サブリ・ブカドゥーン氏が外務大臣に就任した。
1975年末、西サハラ難民をアルジェリアのティンドゥフに受け入れてくれた時のアルジェリア外務大臣は、反政府運動で大統領職を追われたこのアブデルアジズ・ブーテフリカ氏だった。大統領や外務大臣の名前が変わっても、アルジェリアは西サハラ難民の援助と、西サハラ人民の民族自決兼と国連が約束した国連西サハラ人民投票を支持してきた。
ちなみに、ブーテフリカ氏は外相として通算16年間務め、「アルジェリア外交の顔」だった。1974年には37歳の若さで国連総会の議長に就任し、先進国の反対を押し切って南アフリカ白人国を国連から追放し、PLO(パレスチナ解放機構)を国連オブザーバーにした。78年に退官するまで、アルジェリアを第三世界、非同盟の指導者として君臨させた。
1999年に誕生したブーテフリカ大統領の下で、サブリ氏(現アルジェリア外務大臣)はアルジェリア国連大使を長期にわたって務めてきた。狡猾なヒラ―ル・モロッコ国連大使を、サブリ・アルジェリア国連大使(当時)は正攻法で打ち負かしていた。故アハマド・ブハリ西サハラ国連代表を、機会を作っては国連記者会見に登場させ、世間から忘れ去られようとしている西サハラ問題を国連にアピールし続けていた。2018年4月3日にアハマド・ブハリ国連代表が死去し、強力な西サハラ援護者だったアルジェリア国連大使はアルジェリア外務大臣に昇格し、国連から西サハラの狼煙が消えた。それ以後、国連はモロッコの一人舞台になってしまったのだ。
③ アントニオ・グテーレス国連事務総長が西サハラ交渉再開に言及:
6月末からブリュッセルのEUを訪れていたアントニオ・グテーレス国連事務総長は、
7月2日にスペインに入りサンチェス・スペイン首相と会談した。会談後の共同記者会見でグテーレス国連事務総長は、「西サハラ和平交渉を再興させるために特別特使を使命しようと、我々は本当に努力を重ねてきた、、西サハラに関して政治的対話を再開させることは、紛れもなく緊急課題である。なぜならば、地域の安全を脅かしている最近の情勢は、我々に一刻の猶予も許さないからだ」と、EFEスペイン通信の質問に、弁明してみせた。そして、グテーレス国連事務総長、「我々はこれまで13人の特別特使候補を提案してきたが、いずれも関係者から拒否された」とも、言及した。グテーレス氏が言う<Special Envoy 特別特使>は、正式に<国連事務総長西サハラ個人特使>と呼ばれ、2019年5月にホルスト・ケーラー・ドイツ元大統領がこの個人特使の任務を突然放り出してから、そのまま空席になっている。
グテーレス国連事務総長の西サハラ個人特使候補の発言に、モロッコは反応を示していない。
西サハラ側は、「13人目の個人特使候補・イタリア出身ステファノ・デミストラ国連外交官を始め、これまで拒否してきたのはモロッコだ。そもそもモロッコは西サハラ領有権を主張し、国連仲介の和平交渉に応じようとしない」と、モロッコの和平交渉に非協力的な外交策略を非難した。
14人目の候補者は、モロッコが簡単に断れないような立場にある人、西サハラ情勢を知る人、国際社会に明るい人、何よりも気配りのある優しい人が望ましい。そんな人が頭に浮かんだら、ご一報ください。
14人目の候補者に、私たちはパン・ギムン前国連事務総長を提案しました。 西サハラ難民政府に打診したら、ある西サハラ外交官は「モロッコは間違いなくパンギムン前国連事務総長を拒否する」と、他の外交官は「パンギムン氏は前国連事務総長という立場上、国連交渉の仕事に就くことができない」と、言ってきました。 そんなことはありません。 モロッコが嫌おうと、前国連事務総長の権威でモロッコを平和交渉の席に着かせることは可能です。 それを拒絶するのは、国際社会の一員であることを拒否することになります。 また、退官した国連事務総長が国連の仕事に就けないということも、ありません。 退官していたコフィ・アナン元国連事務総長は、シリア内戦の初頭に、<UN国連とALアラブ連盟シリア特別特使>に就任したという、事実があります。
もし、パン・ギムン氏がおイヤなら、ドイツ首相のアンゲラ・メルケル女史などいかがですか? 親愛なるメルケル女史は、9月になると首相を止めます。 かっての仲間だったホルスト・ケーラー元ドイツ大統領が投げ出した国連西サハラ事務総長個人特使の席に着いて、ドイツとしての責任を取っていただけたら、、、幸いです。
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「サラー西サハラ難民アスリート」の出版情報です。
著者:平田伊都子、写真構成:川名生十、画像提供:アマイダン・サラー、SPS、
定価:本体1,800円+税、
発行人:松田健二、
発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、電話:03-3814-3861
同じ「社会評論社」が出版してくださった「ラストコロニー西サハラ(2015年)」、「アリ 西サハラの難民と被占領民(2020年2月)」にも、お目を通してください。
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Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)もご案内。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名生十 2021年7月6日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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