2021年7月28日午前、江田五月初代西サハラ議員連盟会長が逝去されました。ご冥福を心からお祈り申し上げます。
西サハラ男性用民族衣装ダラーを手にされる
江田五月初代西サハラ議連会長、説明する筆者
2010年1月、初めて参議院議員会館1204号のお部屋に別件でお邪魔した時、偶然、江田五月参議院議長(当時)殿がソファーに座っておられ、「たまたまいるけど、すぐに議長公邸に戻る、、イスに座っちゃだめ、時間を取るからね。何しに来たの?」と言われ、立ったまま「西サハラのことでご教示を仰ぎにきました」と返事をしました。気がついたらしっかりイスに座って、小一時間お邪魔しておりました。
① 西サハラ議員連盟の推移:
西サハラ議員連盟立ち上げに関して、影の創設者・福田邦夫教授の寄稿文から引用させ
ていただく。「1991年11月、SADR(サハラウィ・アラブ・民主共和国)駐インド大使ハビブ氏が来日した翌日、サハラウィ協会ができるまで帰国しない、と宣戦布告。早速、宇都宮徳馬参議院議員・アルジェリア協会会長に相談すると、<ハビブ氏の要請は当然、柿沢弘治衆議院議員に相談して超党派で作りましょう>と言われ、自ら設立呼びかけ人代表を引き受けていただいた。柿沢弘治議員にその旨を伝えると同議員は会長就任を承諾。しかし、翌週、同議員は外務政務次官に就任されたため、同議員の推薦で江田五月社民連代表が会長就任を快諾された。また自民党の高村正彦議員、社会党の土井たか子委員長、種田誠議員、日本共産党の小沢和秋議員をはじめ多くの心ある方々が呼びかけ人を快諾、、」(<赤いラクダ>225頁、第三書館出版)
江田五月初代会長から、この超党派西サハラ議員連盟は数年で消滅したと、聞かされた。「いつまで経っても住民投票が行われなかったんでね、、」と、消滅の理由を語られた。西サハラ人は難民、被占領民、亡命者など、世界中に散らばっていて、独立を共通の目標に各地で生き続けている。従って、<住民>投票では西サハラ人をくくれないので、<人民>投票と呼ぶようになっていった。
2010年6月、生方幸夫会長の下で、<民主党西サハラ問題を考える議員連盟>が立ち上がった。が、自然消滅した。
そして2019年12月6日、<超党派西サハラ問題を考える議員連盟>が設立され、会長に馳浩議員、幹事長に義家弘介議員、柿沢未途議員が、それぞれ就任された。(敬称略)
② 「私と西サハラ」江田五月初代日本西サハラ友好議員連盟会長、2015年寄稿:
「私が西サハラ問題に関わったきっかけは、1991年に国連の仲介でモロッコとポリサリオ戦線が停戦に合意し、国連西サハラ住民投票監視団が活動を開始した時だ。柿澤弘治衆議院議員(故人)らと、独立する新生国家を支援して行こうと相談し、私が会長となって「西サハラ友好議員連盟」を立ち上げた。当時は、すぐにも住民投票が行われる雰囲気だったが、23年を経た今も出口は見えていない。
私がその当時に関わっていたもう一つの自決権の案件であった東ティモールは、1999年に国連主導の住民投票により、インドネシアからの自決権確立が圧倒的多数で議決され、私もオブザーバー参加して感動をともにした。その結果、遂に2002年に独立を果たした。
遅れた西サハラ問題は、ヨーロッパでは大きな関心がもたれ続けている。アフリカ連合(AU)では、1984年に加盟国の承認で西サハラの参加が実現している。因みに、モロッコは抗議して脱退したままだ。2006年に南アを訪問してAU会議を傍聴した際の、ムベキ南ア大統領の西サハラ独立の闘いに触れた感動的な演説を、今でも思い出す。米国でもケリー米国務長官が今年の4月初めに関係地域を視察するなど、問題解決に向けた具体的な動きを模索しているようだ。残念ながら私たちの努力不足もあり、日本ではなかなか国際社会での問題意識が共有されていない。
しかし、西サハラウイ協会の地道な努力と、平田伊都子さんの類まれなエネルギーによりSJJAの活動が実を結び始めた。今回の平田さんの「ラストコロニー」の出版が、多くの人たちの西サハラ問題を知るきっかけとなり、これが一日も早く「アフリカ最後の植民地・西サハラ」の独立に繋がるように願ってやまない」(ラストコロニー・西サハラ、195頁~196頁、2015年社会評論社出版)
③ 1991年から30年、2021年の西サハラは変わったか?:
明日にでも行われる見通しだった国連西サハラ人民投票は未だに行われておらず、西サハラはアフリカ最後の植民地のままだ。西サハラ人民は<砂の壁・地雷防御壁>で分断され、アルジェリアの西サハラ難民キャンプに約176,000人、モロッコ占領地・西サハラに約100,000人、それぞれ難民と被占領民の苦渋を強いられている。
一方の占領支配者モロッコは、着々と、占領地西サハラのモロッコ化を進めている。モロッコ国王企業のトマト栽培など農業を広め、国際法が禁止している漁業資源や鉱物資源を盗採盗掘している。2007年から、「西サハラに対するモロッコの領有権」を主張し始め、UN国連やEU欧州連合や二国間での外交攻勢を強めていった。2017年にはAUアフリカ連合に復帰し、2020年12月にはトランプ前大統領にモロッコの西サハラ領有権を承認させた。
国連安保理が提案した国連西サハラ人民投票が未だに実施されないのは、投票に反対するモロッコを支援して、常任理事国のフランスが拒否権を使って反対しているからだ。パレスチナ問題が未だに解決できないのは、アメリカが拒否権を使ってイスラエルを庇っているからだ。国際社会は人権よりも金権が優先する。
1991年の停戦合意を蹴飛ばし、殆どニコニコ上がりだったモロッコに待ったをかけたのは、あの得体の知れないコロナというウィルスだった。2021年4月21日、コロナに感染し重体におちいったガリ西サハラ難民政府大統領が、スペインの病院に緊急搬送された。モロッコはガリ分離主義者(モロッコがつけた仇名)の引き渡しを強要し、彼を受け入れたスペインを非難し、約8,000人の不法移民をスペイン領に越境させ、「モロッコの西サハラ領有権を承認しろ!」と迫った。EU議会は、モロッコの強引で悪質な外交姿勢に非難決議を出した。
さらに、ペガサス・イスラエル・スパイウェア事件で、ペガサスの重要な顧客がモロッコだとばれた。そのペガサスを使ってモロッコは、フランス大統領とフランス閣僚14人をスパイしていたのだ。7月19日に事件がフランス紙<ル・モンド>に報道され、マクロン・フランス大統領は即刻、自身の電話番号を変更した。モロッコの御主人フランスに対する裏切り行為が公にされて、モロッコは何とか取り繕おうと必死だ。が、モロッコとフランスの関係は<覆水盆に返らず>状態のようです。
天国の江田先生、風向きが変わってきましたよ!
江田初代会長には、SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)創設や西サハラ議連再興や両当事者(モロッコと西サハラ)交渉の場を日本で作る事など、、事ある毎に、ご指導を仰いできました。 「山高くして川長し」と、書道の大家・江田五月初代会長直筆のお言葉を壁に貼っております。
江田会長殿、天国からこれからも、「頑張りましょう!(会長の口癖)」と、お声をおかけください。
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「サラー西サハラ難民アスリート」の出版情報です。
著者:平田伊都子、写真構成:川名生十、画像提供:アマイダン・サラー、SPS、
定価:本体1,800円+税、
発行人:松田健二、
発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、電話:03-3814-3861
同じ「社会評論社」が出版してくださった「ラストコロニー西サハラ(2015年)」、「アリ 西サハラの難民と被占領民(2020年2月)」にも、お目を通してください。
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Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)もご案内。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名生十 2021年8月3日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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