SJJA& WSJPO【西サハラ最新情報】452 女性南ア外務大臣が西サハラ難民キャンプを訪問

 2021年11月13日、アルジェリア最西端軍事基地チンドゥフの空港に、ナルディ・パンドル南アフリカ外務大臣がベイサット西サハラ難民政府の南アフリカ大使にエスコートされて、降り立ちました。 チンドゥフ空港から約50㎞砂漠に入った西サハラ難民キャンプから、サレク西サハラ難民政府外務大臣が迎えにきていました。 

ナルディ・パンドル南アフリカ外務大臣

① 西サハラ難民キャンプに入った南アフリカ外務大臣:
 西サハラ難民キャンプのラボ二難民行政センターにある大統領官邸で、ナルディ南アフリカ外務大臣はブラヒム・ガリ西サハラ難民大統領から大歓迎を受けた。官邸と言っても、日干し煉瓦を積み漆喰で固めた泥小屋で、砂塵と太陽を避けるため窓は殆どない。殺風景な部屋に西サハラと南アフリカの旗を飾って、西サハラ難民政府閣僚と南アフリカ外務大臣一行は幸せな友情溢れる会談を交わした。「南アフリカ外務大臣のSADR(サハラウィ・アラブ民主共和国)訪問は、これまで以上に両国の連帯と友情を深めるものとなった、、」などと公式文書が発表されたが、そんな形式ばった物など必要がない<仲間同士>だ。
 日本西サハラ議員連盟初代会長だった故江田五月氏は、「第何回目かのANCアフリカ民族会議の大会に招待された時、西サハラ代表が会場に登場し大歓声に包まれ、びっくりした」と、語っておられた。アパルトヘイトの熾烈な戦いに勝って黒人の権利と祖国を奪還した南アフリカ政府は、西サハラ人民の独立を心から願っているようだ。
 一連の公式会談を終えたナルディ南アフリカ外務大臣一行は、ラボニ難民行政センターから約45㎞砂漠に奥深く入ったアウセルド難民キャンプを訪問した。アウセルド難民キャンプの知事に新しく就任したラハビブ・シェイク氏はかってのUGTSARIO(西サハラ労働組合)委員長で、大会には必ず南アフリカ労働組合を招待していた。筆者は3回、大会に参加したが、南アフリカ代表は一番元気で熱気を帯びた応援演説をしていた。

② ナルディ・パンドル女性南アフリカ外務大臣はイスラム教徒:
 「私の両親は、神様は神様だ、、お前が神様を信心するなら、私たちはお前を応援する」
と、キリスト教徒のナルディの両親は、イスラム教に改宗した娘ナルディに語ったそうだ。ご両親のご意見は正しい。一神教のキリスト教とイスラム教とユダヤ教にとって、神は一つ、差はない、、ナルディはシャリフ・ジョセフ・パンドル氏と結婚した時。夫に従ってイスラム教徒になった。
 ナルディは1953年12月7日、アパルトヘイト人種隔離政策真っただ中の南アフリカに、黒人の両親から生まれた。人種差別が酷しい中で、ナルディは初等教育を終え、隣国ボツワナで学んでいた高校時代にバンドル氏と知り合い結婚し、4児を育てた。1980年から教職に就いていた。
 ナルディは1994年から、政権を取ったANC(African National Congress)アフリカ民族会議のメンバーとして政治活動に参加することになる。そのかたわら、様々な大学で学び肩書をふやしていくが、専門職として高等教育を選んだ。2004年にはタボ・ムベキ大統領がナルディを教育大臣に任命し、内閣の一員となった。2009年にはジャコブ・ズマ大統領がナルディを科学技術大臣に選び、2012年には家族問題担当大臣になった。が、再び、科学技術大臣に戻った。
 2018年2月にシリル・ラマポーザが大統領職に就き、ナルディは高等教育・技術訓練大臣に任命され、2019年には外務大臣に昇格した。シリル・ラマポーザ大統領はナルディを、南アフリカ副大統領に抜擢する積りだと言われている。

③ 南アフリカを助けたアルジェリア:
 ナルディ南アフリカ外務大臣は西サハラ難民キャンプに入る前に、アルジェリアを2日間訪問するという、お役目を果たしている。アブデルアジズ・テブン・アルジェリア大統領との会談では、ラムタネ・ラマムラ・アルジェリア外務大臣が同席し、AUアフリカ連合で歩調を合わせるべく細かい打ち合わせをした。貧困からなかなか抜け出せなかったり紛争が続いていたり、、相変わらず不幸が続くアフリカ大陸の中で、実際に金を出せるのは南アフリカとアルジェリアだ。西サハラに関しても、両国の見解は「西サハラ人民による国連西サハラ人民投票の早期実現」と、一致している。
 11月13日、アルジェリアの首都アルジェから、ラムタナ・ラマムラ・アルジェリア外務大臣とナルディ南アフリカ外務大臣は連名で、スタファン・デミストラ新国連事務総長西サハラ個人特使に、「早急にAUアフリカ連合と緊密に連絡を取り、有効な共同戦線を張るように。UN とAUが目指す、西サハラ国連人民投票を一刻も早く施行するように。」との要求書を提出した。綿密な口合わせをしたうえで、ナルディ南アフリカ外務大臣はアルジェリア政府専用機で西サハラ難民キャンプに飛んだ。
 南アフリカはアパルトヘイトとの闘いと黒人権利闘争の間、アルジェリアの世話になった。アルジェリアは<植民地を知らない>マクロン・フランス大統領が卑下するような<時代錯誤の民族主義者>ではない。1974年、ナルディが学生の頃、ネルソン・マンデラが獄に繋がれ白人南アフリカ政府が世にも恐ろしい<アパルトヘイト>で黒人を虐待していた頃、、当時のアルジェリア外務大臣故ブーテフリカは国連総会の議長職にあって、南アフリカ白人政府を先進国の反対を押し切って国連から追放した。以降、国際世論は反アパルトヘイト民族解放運動を支持するようになっていく。が、南アフリカ白人国家は近隣の黒人独立国家を無視し、もっぱら当時のアフリカで植民地政策を維持し続けていたポルトガルや、反パレスチナのイスラエルと付き合い、イスラエルから核兵器製造の技術を指導してもらっている。1989年に核兵器を放棄するまで、南アフリカは核保有国だった。
 1994年4月、初の南アフリカ全人種参加総選挙が実施され、アフリカ民族会議(ANC)が勝利し、ネルソン・マンデラが南アフリカ共和国大統領に就任し、OAUアフリカ統一機構(AUの前身)に参加した。

 日本と人種差別を強行する南アフリカ白人政府との関係は?  なんと良好で南アフリカ企業とも深い繋がりがあったそうです。 日本人は白人でないのに白人であるかのような扱いをされて<名誉白人(?)>という恥ずかしい称号を貰っていたとか?? 黒人政府になった現在も、ウランや金やダイヤモンドが豊富な南アフリカと仲良しだそうです。 
金になれば<どっちゃでもいい>んでしょうか?

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「サラー西サハラ難民アスリート」の出版情報です。
著者:平田伊都子、写真構成:川名生十、画像提供:アマイダン・サラー、SPS、
定価:本体1,800円+税、
発行人:松田健二、
発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、電話:03-3814-3861

同じ「社会評論社」が出版してくださった「ラストコロニー西サハラ(2015年)」、「アリ 西サハラの難民と被占領民(2020年2月)」にも、お目を通してください。

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Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)もご案内。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU

Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa]  英語版URL:   https://youtu.be/au5p6mxvheo

WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名生十  2021年11月21日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion11506:21121〕