SJJA& WSJPO【西サハラ最新情報】455 アルジェリアがパレスチナにクリスマスプレゼント

 「パレスチナと西サハラを支援し続ける」とアルジェリアが、2021年のクリスマス前に公式宣言をしました。
 西サハラに関しては、1975年に西サハラ住民がアルジェリアとの国境を越えて逃げ込んできて以来現在に至るまで46年間、アルジェリアの砂漠に難民テントを張り面倒を見てきました。 
 一方、パレスチナに関しては、アルジェリアがフランス植民地軍に勝ち、独立して以来ズ~~~っと支援を続けてきました。 

① パレスチナを支援し続けるアルジェリア:
 11月29日は国連が決めた<パレスチナ人民連帯国際デー>だ。1947年11月29日の国連総会決議181は、イスラエルとパレスチナの二国共存というビジョンを打ち出した。しかし、イスラエルという国は頑として存在するが、パレスチナという国は存在しない。1977年の国連総会で<パレスチナ人民連帯国際デー>が定められたが、パレスチナ国家は依然として定まらず、パレスチナ人は民族自決という不可侵の権利を求め続けている。
 1962年にアルジェリアが独立を果たした時、PLO(パレスチナ解放機構)はアルジェリア政府の要請に応じて2500人のパレスチナ人教師を派遣し、アルジェリアのアラビア語化を援助した。1974年に、当時のアルジェリア外務大臣アブデル・アジズ・ブーテフリカ(前アルジェリア大統領)は、37歳の若さで国連総会の議長を務めた。彼は総会議長として先進国の反対を押し切り、PLO(パレスチナ解放機構)の国連オブザーバー参加を実現させた。
 1988年11月18日、パレスチナの詩人マフムード・ダルウィーシュが書き上げたパレスチナ独立宣言を、ヤセル・アラファト議長が読み上げたのは、アルジェ郊外のホテルだった。当時のパレスチナ人民には拠点とできる国がなかった。手を差し伸べたアルジェリアは、真っ先にパレスチナの独立を認めた。当時、100を超える国々がパレスチナ国家を承認した。宣言に関する法的正当性は、イギリスの委任統治の終結とパレスチナを2国に分割する提案、すなわち1947年11月29日の国際連合総会パレスチナ分割決議にある。そして、宣言はエルサレムをパレスチナ国家の首都と謳った。
 その後のアルジェリアは、イスラム過激派 の発生と政治的混乱に陥った。が、国内危機の状況下でも、インテイファーダ(パレスチナ人民蜂起)やガザ戦争に対するイスラエル軍の残虐行為を非難し続けた。
 2021年7月、東京五輪柔道男子73キロ級のアルジェリア代表、フェティ・ヌーリン選手は東京五輪を棄権すると発表した。イスラエルの選手との対戦を回避するため。ヌーリン選手はテレビに出演し、「五輪出場のため努力してきたが、パレスチナ問題は全てに優先される」と言い、コーチは「抽選運が悪かった。が、われわれは素晴らしい決定をした」と語った。独立国家を目指すパレスチナへの共感は、2021年のスポーツ選手にも受け継がれている。
 
② パレスチナ大統領、超国賓待遇のアルジェリア訪問:
 2021年12月5日、マフムード・アッバス・パレスチナ自治政府大統領兼PLO(パレスチナ解放機構)執行員会議長兼ファタハ執行委員会議長が、アルジェリア政府の招待を受け、7日までの三日間、アルジェリアに滞在した。パレスチナ大統領はアルジェリア大統領と、パレスチナ国家樹立に向けて、国連やアラブ連盟や国際組織への働きかけを再検証し、有効な策を練った。

左にパレスチナ大統領、右にアルジェリア大統領、2021年12月8日のアルジェ共同記者会見

 12月7日、パレスチナ大統領のアルジェリア訪問を締めくくる両大統領共同記者会見で、テブン・アルジェリア大統領は、「アブー・マーゼン(パレスチナ)大統領から快諾を得たので、できるだけ早期にパレスチナの全派閥がアルジェリアで大集合することを、計画している。アルジェリアの努力で、バラバラになったパレスチナの人々が再会出来ることを、願ってやまない。この再会がアラブの再会に繋がり、アルジェリアが企画している3月のアラブ首脳会議でアラブ団結の華を咲かせることを祈っている」と、語った。
 <アルジェリアでパレスチナ全員集合>のアルジェリア大統領提案に、ガザに住むパレスチナ人たちから賛同の声が上がった。早速、招待状が送られ、「受領!」の返信がかえってきた。
 「いついかなる時も、ひたすらパレスチナの大義を支持してきたアルジェリア人民の名において、輝かしいアルジェリアの歴史を鑑みて、そしてアラブ連盟憲章に則って、わが国家は我らが兄弟・パレスチナ国家大統領アブー・マーゼン閣下に、100,000,000$(約112憶円)に価するクーポン(Check)の献上を、決定した」と、テブン・アルジェリア大統領は表明した。
 よかったネ! パレスチナの子供たち!! マーゼン・サンタにねだるんだヨ、、

③ 2022年3月、アルジェリア主催アラブ首脳会議:
 「パレスチナ大義が中東紛争の焦点であったように、これからも中東大義の核であらねばならない」と、テブン・アルジェリア大統領は<2022年3月アルジェリア中東首脳会議>を念頭にして、アルジェリアの立ち位置を明確にした。そして、「中東に平和をもたらすことができるかどうかは、1967年に国連が敷いた国境線を尊重し、エルサレムを首都とするパレスチナ国家の建設が成るかどうかによる」と、改めて国連による二国提案を強く支持した。
 アルジェリアの具体的で建設的な中東和平提案に対して、モロッコは未だに正式な反応を示していない。11月29日の<国連パレスチナ人民連帯の日>にモロッコ国王は、儀礼的な<連帯の日祝メッセージ>を国連委員会に送っただけだった。
 モロッコの庇護者である元植民地宗主国フランスは、アルジェリアの積極的な外交活動開花の機を捉えて、冷え切ったアルジェリアとの外交関係改善に乗り出した。マクロン大統領が10月末に、「フランスが1830年に植民地化する前は、アルジェリアなんて存在していなかった」と、公共放送で発言したことに怒ったアルジェリアは、10月7日に駐フランス・アルジェリア大使を本国召還し、アルジェリア上空でのフランス機飛行を禁じた。
 12月8日、ロズリーヌ・バシュロ仏文化大臣は、アルジェリア戦争(1954年~1962年)に関する記録を公開すると発表した。フランスは最近まで、<アルジェリア戦争>という呼称を認めず、<アルジェリア植民地動乱>としてきた。そして、フランス政府は予告なしに、12月8日、アルジェリアにモロッコ寄りのジャン・イヴ・ル・ドリアン外務大臣を送った。
 狡猾な外交策士フランスが、何を企んでいるのか?、、2022年のフランス大統領選挙の行方と共に、気がかりです。 

 ベルギー出身のピエール・ガランが率いるEUCOCO (European Coordination for Support and Solidarity with the Saharawi People 西サハラ人民を支援するヨーロッパ人の組織) は、1975年から毎年、ヨーロッパのどこかの都市で年次総会を開いてきました。
 今年は、火山爆発で有名になったスペインのカナリア諸島で、12月10日と11日に、開催されました。 
 西サハラ人民の熱い想いが、火山のマグマを刺激するのでは?

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「サラー西サハラ難民アスリート」の出版情報です。
著者:平田伊都子、写真構成:川名生十、画像提供:アマイダン・サラー、SPS、
定価:本体1,800円+税、
発行人:松田健二、
発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、電話:03-3814-3861

同じ「社会評論社」が出版してくださった「ラストコロニー西サハラ(2015年)」、「アリ 西サハラの難民と被占領民(2020年2月)」にも、お目を通してください。

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Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)もご案内。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU

Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa]  英語版URL:   https://youtu.be/au5p6mxvheo

WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名生十  2021年12月5日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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