2020年1月17日、国連定例記者会見でステファン報道官が、「取り急ぎ、我らが友人、スタファン・デ・ミストラの近況をお報せする。彼は、ラバトでモロッコ高官に、チンドゥフのラボニでポリサリオ戦線高官に会った。今日はヌアクショットだ。そこでモーリタニアの高官に会う」と、報告しました。
<我らが友人>という皮肉屋ステファンの何時にない暖かい言葉に、「ステファン、スタファンはあんたの何なのさ?」と、思わず聞きたくなりました。
① モーリタニアのデ・ミストラ:
どうして、デ・ミストラ国連特使はモーリタニアに行くのか?
デ・ミストラがモーリタニアをアドバイザー国として訪問するのは、単に同国が西サハラと国境を接しているからではない。モーリタニアはかって、モロッコの片棒を担いで、西サハラに軍事侵攻し西サハラ人民を難民にしたからだ。
1975年、モロッコとモーリタニアとスペイン(当時の西サハラ宗主国)の3国がマドリッド秘密取引をし、スペインは若干のリン鉱石鉱山権と漁業権を確保して西サハラの北部をモロッコに南部をモーリタニアに分譲し西サハラ植民地を放り出した。スペイン植民地軍が撤退するのと同時に、北からモロッコ正規軍が、南からモーリタニア正規軍が、西サハラを猛空爆で挟み撃ちした。逃げ場を失った西サハラ人民は北で国境を接しているアルジェリアに逃げ込んだ。かくして、西サハラ難民が発生した。しかし、1979年にモーリタニアでクーデターが起こり、モーリタニアは西サハラから撤退した。当時の西サハラ難民政府外務大臣のムスタファ・バシールは、自らランドローバーを駆ってモーリタニア砂漠を越え、モーリタニアの首都ヌアクショットに乗り込み、和平を呑み込ませた。因みに、1976年にモーリタニア軍から猛空爆を浴びせられ惨殺された故エルワりは、バシールの実兄だ。エルワリは、ポリサリオ戦線とサハラ・アラブ民主共和国を創設した、西サハラ難民のカリスマ的指導者だ。
モーリタニア軍の撤退後、モロッコ軍は西サハラ全土に展開した。その後、バシール外務大臣は直接、故ハッサン二世モロッコ前国王に会い、1991年にはモロッコ前国王に<国連西サハラ人民投票>という和平案を呑ませた。
ムスタファ・バシール現大統領特別補佐官は、今回のデ・ミストラ国連特使との会談にも参加している。
西サハラ独立運動を、兄の故エルワリを継いで続行している
西サハラ難民大統領特別補佐官のムスタファ・バシール
② アルジェリアのスタファン・デ・ミストラ:
どうして、デ・ミストラ国連特使はアルジェリアに行くのか?
デ・ミストラがアルジェリアをアドバイザー国として訪問するのは、単に同国が西サハラと国境を接し西サハラ難民を受け入れているからではない。
1975年、西サハラ難民にチンドゥフ砂漠での難民キャンプ設置を許可して以来今日にいたるまで、アルジェリアは食料、医療、教育、文化とあらゆる分野で、西サハラ難民をUN国連の憲章と決議に基づいて庇護してきたからだ。
国連人民投票や国連交渉を避けたいモロッコは、国連を無視してアルジェリアに直接、二国間取引を持ち掛けた。落としどころは、西サハラの領土と未開発天然資源の山分けで、過去の三国秘密取引やアメリカ・トランプ大統領との交換外交などに倣った、取引を企んだ。が、アルジェリアはモロッコの姑息な詐欺もどきの取引を断った。するとモロッコは豹変し、アルジェリアを国連や国際社会から抹殺するため、えげつない誹謗中傷をまき散らした。2021年8月24日、アルジェリアはモロッコとの国交を断絶した。が、モロッコ国連大使はヘッチャラで、捏造したアルジェリア・スキャンダルを流し続けている。
1月19日、アルジェリアの首都アルジェでデ・ミストラ国連特使は、西サハラとマグレブ特使アマル・ベラニと実務的な会談をした。アルジェリア外務省の発表によるとベラニ特使は、「2021年3月9日、AU アフリカ連合はAU加盟国であるモロッコとサハラ・アラブ民主共和国に対し、心を開いて直接交渉に入るよう、呼びかけた。アルジェリアの基本姿勢は両当事者交渉を再開し、両者が唯一同意した1991年の和解案をもう一度復活させることにある」と、語ったそうだ。
同日1月19日、APSアルジェリア国営通信の取材に応じたバシール大統領特別補佐官は、「デ・ミストラ国連大使は直接西サハラ難民キャンプを見て難民に会い、これまでモロッコが国際社会に垂れ流してきた様々な悪評が、捏造されたスキャンダルに過ぎなかったことを確認したと思う」と、語った。
③ モロッコ捏造の西サハラ少年兵物語:
モロッコ王国国連大使オマル・ヒラールの最新アルジェリア中傷ネタは、「アルジェリアはアルジェリアのチンドゥフ難民キャンプでポリサリオ戦線と組み、難民少年兵を養成している。少年兵は児童憲章に違反するのみならず、アルジェリアはチンドウフ難民キャンプをテロの温床にして、マグレブ北アフリカの治安を脅かそうとしている、、」と、いうものだ。合成写真もついている。
1月17日、国連報道官は問い合わせがたくさんあったデ・ミストラ国連特使の西サハラ難民キャンプ訪問感想に関して、「国連特使の難民キャンプ訪問に、大勢の難民が集まった。が、ある者から報告されていたような<少年兵>と思しき者には全く出くわさなかった」と、デ・ミストラ特使事務所の報告として発表した。
案の定、翌日1月18日の国連定例記者会見で、モロッコを代弁する記者が、「デ・ミストラのチンドゥフ・キャンプ初訪問に関するあんたの報告は納得できない。戦闘服姿で防弾チョッキを着た紛れもない少年兵の写真がたくさん出回っているのを、見た。この証拠を前にして、国連事務総長はチンドゥフ・キャンプ少年兵の検証を開始する気はないのか?」と、聞いた。ステファン報道官は、「デ・ミストラが誰を見て誰を見なかったか、明快だ。少年兵問題に関しては、地球上たくさんの地域で見られる。ご参考まで」と、答えた。
狡猾なヒラール・モロッコ王国国連大使は、身内の記者だけではなく。モロッコ作り話を拡散するラテンアメリカのネット通信に、<少年兵を見なかったデ・ミストラ国連特使>情報を流した。ネット通信は「デ・ミストラは国連特使の適正があるのか?疑わしい」と、結論づけた。
1月20日、ステファン国連報道官が、「西サハラに関してハッキリさせておきたいのだが、スタファン・デミストラが進行中の当該地域視察に関して膨大な情報と注釈が流れている。彼の立場と行動に関して、彼や我々報道室以外が流すいかなる声明も、事実を捻じ曲げている。デ・ミストラ氏が西サハラ問題をどう考えているのかと探りを入れてくる輩は、特に、避けたい」と、念を押した。
翌1月21日の記者会見室に登場したアントニオ・グテーレス国連事務総長は、「紛争当事者が対話し解決策を探る必要性を厳しく認識する時がきた」と、モロッコと西サハラに、中断している交渉の再開を強く促した。
さあ~~いよいよ、<両当事者交渉>の再開と和平策の実現という、苦難の道に突入していきます。 デ・ミストラ新国連西サハラ事務総長個人特使の旅にご期待ください、、
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「サラー西サハラ難民アスリート」の出版情報です。
著者:平田伊都子、写真構成:川名生十、画像提供:アマイダン・サラー、SPS、
定価:本体1,800円+税、
発行人:松田健二、
発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、電話:03-3814-3861
同じ「社会評論社」が出版してくださった「ラストコロニー西サハラ(2015年)」、「アリ 西サハラの難民と被占領民(2020年2月)」にも、お目を通してください。
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Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)もご案内。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名生十 2022年1月23日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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