2022年3月28日、国連総会が<ロシアのウクライナ侵攻>に関して、40年ぶりとなる国連安保理の要請で緊急特別会議を開きました。 国連加盟国の代表による演説が続き、3月2日にバイデン・アメリカが用意した<ロシアのウクライナ侵攻を非難する>決議案を採択しました。
勝ち誇るバイデン・アメリカのロシア虐めは経済制裁だけではなく、国連人権総会に向うラブロフ・ロシア外務大臣の飛行機を妨害したり、国連で働く計13人のロシア人外交官や職員をスパイ容疑で国連から排除したり、、留まるところを知りません。
① 40年前の、国連安保理要請による国連総会とは?:
今から40年前の1982年に、国連安保理の要請を受けた国連総会は、<イスラエルによる国連違反のゴラン高原併合>に関して、緊急特別会議を開いた。
「ゴラン高原はシリアのクネイトラ県内に位置する」ということは、アラブを始め国際社会の認識だった。ところがイスラエル国防軍は1967年から1981年まで軍事占領し、以降はイスラエル国会クネセトで制定したゴラン高原法に基づき、ゴラン高原を併合した。イスラエルを除く周辺諸国や国際連合やほとんどの国連加盟国はイスラエル領であることを認めなかった。国連安保理決議497「イスラエルの併合は国際法に対して無効である」が採択され、国連総会に諮られ、多数決で「ゴラン高原はイスラエルによって不当に併合されたシリア領である」という見解が採用された。日本もこの見解を支持し、1996年から自衛隊を派遣しUNDOF(国連ゴラン高原兵力引き離し監視軍)の一翼を担っていた。筆者が訪れた時も、シリア側から入った。が、シリア内戦が始まり、自衛隊は2013年にゴラン高原から撤退した。国連総会で併合を否決された後も、イスラエルはゴラン高原の占領を続けている。
そして、トランプ・アメリカが、2019年3月21日に「ゴラン高原の主権はイスラエルにある」との見解を発表し、ゴラン高原併合問題はウヤムヤにされたまま、イスラエルは居座っている。
パレスチナに関する最初の国連総会決議181は、1947年11月29日、二国共存(当時の植民地支配国イギリスに忖度した、パレスチナをアラブとユダヤに分割する案)とエルサレムの国連永久信託統治を採択した。イギリスは決議181を承認し、この地の委任統治を終了した。翌年の1948年5月14日に、ユダヤ人が決議181に則って、パレスチナの地にイスラエルを建国した。1967年11月22日、国連安保理決議242は第3次中東戦争の停戦を定めたうえで、国連総会決議181の決議を踏襲し、イスラエルに占領地からの撤退を要請した。1973年の第4次中東戦争停戦を求めた国連安保理決議338は、1973年10月22日に採択された。決議338はゴラン高原の返還を要求したが、今日までゴラン高原は、国連安保理決議に違反して、イスラエルが占領したままだ。国連決議181や国連安保理決議242は占領地からの撤退を命じたが、イスラエルは国連を無視してパレスチナを占領し続けている。
② 国連憲章と国連決議を遵守しないモロッコは国連採決会議を欠席:
モロッコ外務省の発表によると、3月2日5時46分までに5,303人のモロッコ人がウクライナを脱出したと、伝えている。国連発表やBBC英国TVの報道によると、ウクライナで学ぶアフリカの黒人学生たちが「肌が黒い」と脱出のバスや列車に乗せてもらえず、ポーランドとの国境の街リビウに、タクシーと徒歩で辿り着いたそうだ。リビウにいるナイジェリア関係者が脱出時の人種差別を国際機関に訴え、3月2日の国連定例記者会見で報道官は、「事務総長が、ウクライナ脱出に関して、人種や宗教の差別なく平等であるべきだと、警告した」と、報告した。
3月2日のMAPモロッコ国営通信が同国外務省発表として、「今朝のロシアとウクライナに関する国連総会決議採択に、モロッコ王国は欠席した。モロッコの欠席は2月26日の声明に準ずるもので、ロシアとウクライナに関するモロッコの基本的見解を捻じ曲げるものではない。モロッコ王国は引き続き状況を注視し、事態の悪化に心を痛めている、、さらに、モロッコ王国は国連憲章に基づき、全ての国連加盟国は世界の平和と安全を守るため、国際法の原則に従って、平和的手段で夫々の問題を解決しなければならないとする。王国は関係国がこの紛争の終結に向け勇気をもって立ち向かい、弛まなく強い意志で対話と交渉に当たるよう呼び掛ける、、」と、コメントしている。
このモロッコ外務省発表は、「なぜ、モロッコが国連決議採択を欠席したか?」という自問を提起したものの、明快な回答はしていない。西サハラ難民評論家は、「下手にこの採択に関わったら、モロッコ自身の国連憲章違反を追及され、制裁など課されるかも?と、怖がってズル休みし、とりあえず、国連憲章を支持するような素振りでお茶を濁そうとしている」と、モロッコのその心を読んだ。そのうえで、「ここまで言ったんだから、その言葉通り、モロッコは早急に国連和平交渉の席につくべきだ」と、モロッコを煽った。
③ 国連憲章と国連決議を守っても、難民生活46年:
2022年2月28日、ゼレンスキー・ウクライナ大統領がNATO加盟申請書に署名した。「NATOの一員になれば、ウクライナに向けて欧米は武器と兵士を大量に早急に送ってくる」と、ゼレンスキーは国民に言い聞かせ、ウクライナの一般市民に火炎瓶作りを急がせた。敵の武器を奪って、敵と戦う<市民のゲリラ戦争>を売り込んだ。しかし、バイデン米大統領は遠く離れた米議会でウクライナ支援演説をし、民主党支持票を数え気味の悪い笑みを浮かべる。あれほど加入を急かせたNATOも、保健の勧誘と同じで入ればこっちのものと、途端に動きが鈍った。3月6日、無精ひげゼレンスキーが独演する芝居は、第一幕を閉じようとしている。欧米はウクライナを見殺しにするのか?
一方、1973年に祖国西サハラの独立を目指して蜂起した西サハラ・ポリサリオ軍のほうは、武器供与をしてくれる国などなく、文字通り敵から奪った武器で敵と戦ってきた。当時の敵は、スペイン植民地軍だった。1975年、スペインは、西サハラ北部をモロッコに南部をモーリタニアに分譲し、1976年2月26日に西サハラから撤退した。翌日の2月27日に、西サハラ難民はSADRサハラウィ・アラブ民主共和国)を建国した。1979年にモーリタニアが撤退した後は、1991年の<国連西サハラ人民投票案による停戦>まで、モロッコ軍から奪った武器で、モロッコ軍と戦ってきた。しかし、国連は人民投票を施行しないまま今日に至っている。国連西サハラ人民投票を嫌うモロッコは、2020年11月13日、軍事侵攻を再開した。今年もまた、SADRは難民キャンプで第46回建国記念を迎えてしまった。
SADR(サハラウィ・アラブ民主共和国)建国第46周年記念祭に集まった、西サハラ難民の人々
NHKによると、「フランスのルメール経済相は1日、ニュース専門チャンネルに出演し、、われわれはロシアとの経済、金融上の戦争に入る(後で訂正?)」と豪語したそうです。 「独裁者に制裁を」と叫ぶバイデン・アメリカの狙いは、<エネルギー資源の独裁>です。
ベネズエラのように炭化水素資源のある国々は、お気を付けください。ベネズエラは国連総会での投票権まで奪われてしまい、今回の国連総会緊急特別会議の採決でも、排除されてしまいました。
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「サラー西サハラ難民アスリート」の出版情報です。
著者:平田伊都子、写真構成:川名生十、画像提供:アマイダン・サラー、SPS、
定価:本体1,800円+税、
発行人:松田健二、
発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、電話:03-3814-3861
同じ「社会評論社」が出版してくださった「ラストコロニー西サハラ(2015年)」、「アリ 西サハラの難民と被占領民(2020年2月)」にも、お目を通してください。
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Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)もご案内。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名生十 2022年3月6日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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