「 第19回地中海ゲーム(通称・地中海オリンピック)を、2022年6月25日から7月6日までアルジェリアのオランで開催」と、アルジェリアが2022年6月始めに正式発表しました。 日本では、殆どマークされませんでした。 スポーツネタだったら何でも飛びつく日本なのに? 答えは簡単です。 日本は地中海沿岸国ではないし、日本人が参加しないからだそうです。 しかも、地中海ゲームに「オリンピック」という呼称は禁じられていて、ブランド好きな日本人の虚栄心を満足できないからだそうです。
① オランってどんな町:
2022年6月6日、オランで、地中海ゲーム委員会のムラド・ブタジネ報道部長が、「地中海ゲームに2068件の参加申請があった」と、発表した。
オランはアルジェリアの首都アルジェから地中海沿岸に添って約500キロメートル西にある、アルジェリア第2の港湾都市だ。アルジェリアの西端にある西サハラ難民キャンプへの支援物資は、このオランから水揚げされることが多い。筆者たち3人の日本人が、兵庫県薬務課から頼まれた阪神・淡路大震災支援医薬品の一部、約800万円相当を難民キャンプに届けた時も、このオランでマースク社のコンテナ船を待った。その時、オランはラマダン断食月の真っ最中で、埠頭が見下ろせる三ツ星ホテルの6楷にカメラを据え、日が沈むと華やぐ市場に出かけ、楽しい2週間を過ごした。
オランが有名なのは、カミユというノーベル文学賞作家と、彼の作品<ペスト>(1947年6月出版)のおかげかもしれない。カミユは1913年11月7日、フランス植民地アルジェリアのドレアン近郊で、フランス人入植者の息子として生まれた。<ペスト>を書き始めたころのカミユは失業と結核で、2番目の奥さんフランシーヌのオランにある実家で世話になっていた。
小説のモデルとなった、14世紀ヨーロッパを襲ったペストは、21世紀の世界を麻痺させたコロナよりも壮絶だった。黒死病とも呼ばれる、約1憶人を殺した14世紀のペストは、中国大陸で発生し中国の人口を半分にした。そして、中央アジアからイタリア・シチリア島のメッシーナに運ばれる毛皮のノミにくっついたペストは、ここからヨーロッパに侵入した。流行の中心地だったイタリア北部では、住民のほとんどが殺された。1377年には北部の都市国家ベニスで海上検疫と封鎖が始まった。当初30日間だったが、後に40日に変更された。イタリア語の「40」を表す語「quaranta」から、「quarantine(検疫)」という言葉ができ、21世紀のコロナにも<クォアランティーン(検疫)>の意味で使われている。
カミユ作の<ペスト>は、フランスの植民地だった頃のオランを襲ったことに始まる。封鎖された町の中でペストは蔓延し死体が路上に溢れ、無慈悲な運命と人間の虚しい抵抗が展開していく、、しかし、医者、市民、よそ者、逃亡者と、閉じ込められた残留者全員がペストの脅威に、助けあいながら立ち向かう、、そして、ついにオランからペストが撤退した。ペストの終息に、オランの町は女性があげる<喜悦の叫び>で包まれていった、、
作者のカミユは、「ペスト菌は決して消滅することはなく生き延び、いつか人間に不幸と教訓をもたらすために、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに現れるだろう」と、結んでいる。第二次世界大戦に生きたカミユは、ナチスをペストに譬えたとか?しかし、コロナの襲来をペストで予告した?とは考えれないし、、ウクライナ戦争でナチスが亡霊のようにウロつくことを預言した?とも思えない。確かなのは、カミユがアルジェリア革命にしり込みしていたことだ。
アルジェリアの名誉のために一言、このところコロナウィルス感染者は一桁の数字が続いている。
② 第19回地中海ゲーム:
Mediterranean Games メデイテラニアン・ゲーム(地中海ゲーム)は、地中海競技大会と日本語訳されているが、通称は地中海オリンピックと呼ばれている。これは、地中海沿岸諸国が参加して4年ごとに行われる国際総合競技大会である。1948年、エジプト・オリンピック委員会会長のムハメッド・タヘル・パシャがロンドン・オリンピックの際に提唱したもので、第1回大会は1951年にエジプトのアレクサンドリアで開催された。以降、第10回大会まではオリンピックの前年に行われたが、1993年よりオリンピックの翌年開催に変更された。
参加国:アフリカ(アルジェリア、エジプト、リビア、モロッコ、チュニジア)アジア(レバノン、シリア)ヨーロッパ(アルバニア、アンドラ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、キプロス、クロアチア、フランス、ギリシャ、イタリア、マルタ、モナコ、モンテネグロ、サンマリノ、セルビア、スロベニア、スペイン、トルコ)
競技種目:アーチュリ―、陸上競技、バドミントン、バスケットボール、ビーチバレー、ボッチェ、ボクシング、カヌー, 自転車、飛込、乗馬、フェンシング、フィールドホッケー、フットボール、体操、ハンドボール、柔道、空手、ロ―ラ―ホッケー、ボート、ラグビー、ヨット、射撃、水泳、卓球、テクアンド、テニス、バレーボール、水上スキー、重量挙げ、レスリング、ボーリング、と、オリンピック競技種目を殆ど網羅している。まさに、<地中海ゲーム>は、<地中海オリンピック>と呼ぶに相応しい。
6月7日、モロッコ・オリンピック委員会が、「モロッコは第19回地中海ゲームに、男子86人女子44人、計130人の選手を派遣する。参加15種目は、陸上競技、ボクシング、自転車、フェンシング、サッカー、レスリング、柔道、空手、重量挙げ、テクアンド、テニス、射撃、アーチェリー、乗馬、ボーリング」と、声明を出した。
西サハラの長距離ランナー。サラーに参加を問い合わせたら、「故障続きで、練習を再開したばかりだ。無理、無理」と、返事が返ってきた。
2020オラン地中海ゲーム(オリンピック)を目指すアルジェリア柔道チーム
③ 今年のアルジェリアは凄い!:
2022年初頭、 アブドル・マジド・テブン・アルジェリア大統領が、「2022年はアルジェリア経済再生の年」と謳った。そして、豊富な天然ガスや地下資源を礎に、未だにコロナ後遺症の世界経済を尻目に、アルジェリアは経済力を着々とつけてきた。それに伴って、国際社会での活躍と発言力が爆発している。テブン・アルジェリア大統領は、アラブ・サミットを提案し、成功に向けて湾岸諸国を歴訪し、ウクライナ戦争停戦を目指し関係諸国と会談を重ねトルコを訪問し、「信頼と信義」に基づく外交努力を続けている。モロッコが古臭いとバカにする民族自決権を尊重し、民族自決権を礎に独立を目指すパレスチナと西サハラを支援し続けている。
以下に、駐日アルジェリア大使館が発信したアルジェリア独立と日本アルジェリア友好の60周年を記念したメッセージを、紹介する。
– 「1962年7月5日、アルジェリアは独立を宣言し、132年に及ぶ残忍かつ不当な植民
地支配に終止符を打ちました。自由と国家主権の回復のために、アルジェリア国民は重い代償を払ってきました。フランスからの侵略と植民地主義に対するアルジェリアの抵抗は止むことなく続き、20世紀最大の戦争の一つである独立戦争(1954年〜1962年)はアルジェリアの独立をもって終結することとなりました。
今年の独立60周年記念式典は、アルジェリアが自由な国家となり、政治的、社会的、経済的権利を享受するために命を捧げた何十万人ものアルジェリア人に対して敬意を表するための大きな節目となりました。
このことはアルジェリア革命の普遍的な理想と目的を強調する絶好の機会でもあります。アルジェリア革命の最大の功績のひとつとして、これを契機にアフリカをはじめアジアやラテンアメリカの脱植民地化を加速させたことにあることは間違いないでしょう。(中略)
アルジェリアは革命の同志である日本の友人たちに特別な敬意を表します。1958年にここ東京で民族解放戦線(FLN)の事務所を開設する際に、立場を超えた日本の方々からたくさんのご支援をいただきました。たった2人の若いアルジェリア人学生からなるFLNの代表団を支援してくださり、日本国民と日本政府の支援をとりつけ、遠いアルジェリアの民族の正義のためだけに、いかなる努力をも惜しまずに尽力してくださいました。そのときの奮闘を称えてアルジェリアから勲章を授与された方々もいらっしゃいます。また、東京の事務所設立により、FLNがアジアの極東地域全体に活動を広げることができたことは特筆に値します。
– アルジェリア独立60周年の祝賀は、幸運にもアルジェリアと日本の外交関係樹立60
周年とも重なります。これは両国の素晴らしい関係と業績を強調し、再確認をするという大変よい機会になりました」
6月16日朝、フランスのマクロン大統領とドイツのショルツ首相、イタリアのドラギ首相は、ウクライナの首都キーウに列車で入りました。 会談後の共同記者会見でゼレンスキー・ウクライナ大統領は「ロシアの侵略はヨーロッパ全体に対する侵略」と主張し、より強力な武器の供与を強要しました。 NATO首脳会議を控え、表向きウクライナのEU加盟を支持する各国首脳ですが、裏ではロシアとの経済的繋がりが続いています。
小賢しくおわすモロッコ国王は、6月12日、ロシア国家主権宣言の日に、プーチン・ロシア大統領へ「両国の堅い絆は永遠」と、お祝いのメッセージを送られました。
プーチン・ロシア大統領の故郷サンクトペテルブルグで国際経済会議が6月16日から開かれ、欧米と追随する日本は参加せず、中国、インド、イラン、アフガニスタンなどのアジア諸国やトルコ、ブラジル、ベネズエラに加えAU(アフリカ連合)とアフリカ諸国など、127か国が参加しました。
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「サラー西サハラ難民アスリート」の出版情報です。
著者:平田伊都子、写真構成:川名生十、画像提供:アマイダン・サラー、SPS、
定価:本体1,800円+税、
発行人:松田健二、
発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、電話:03-3814-3861
同じ「社会評論社」が出版してくださった「ラストコロニー西サハラ(2015年)」、「アリ 西サハラの難民と被占領民(2020年2月)」にも、お目を通してください。
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Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)もご案内。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名生十 2022年6月19日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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