「えらいぞモロッコ代表団!よくごねた!!」と、AAS(アルジェ・アラブ・サミット)で、ブリタ・モロッコ外務大臣は同行していたモロッコ代表団を労いました。 モロッコはこの調子で日本が共催するTICAD 8(アフリカ経済会議)を,ごねた挙句に蹴飛ばしました。
モロッコは日本もアフリカもなめてかかっています。 が、アラブ産油諸国はモロッコのスポンサーでもあるので、無礼も腹八分目に抑えていたようです。
モロッコの妨害に打ち勝ってAAS (アルジェ・アラブ・サミット) は成功しました!
AAS(アルジェ・アラブ・サミット)のロゴをあしらったアルジェリア製ポスター
① 第31回AAS (アルジェ・アラブ・サミット) で西サハラを蹴飛ばしたモロッコ:
10月31日AAS (アルジェ・アラブ・サミット) の前日、MAP(モロッコ国営通信)は、アルジェに滞在するナセル・ブリタ外務大臣の報告によるとしたうえで、「アルジェリア外務省高官がアルジェリア・ネット通信による捏造ネタでモロッコを中傷したことに抗議して、ブリタ・モロッコ外務大臣がアラブ首脳会議外務大臣級準備委員会の席を蹴って退場した。しかし、モロッコの外交団は会場に残り、アルジェリア側が<間違ったモロッコ地図(西サハラを含まないモロッコ地図)>を使用しているのに反発し、アラブ連盟議長の名で謝罪させた。外交官が会議場を退場するというのは、ムハンマド六世モロッコ国王陛下が<良し>とする行動や慣習ではない。 が、モロッコの法的威信と重大利権を守るために、モロッコ外交官は議場から抗議の退席をした」と、発表した。さらにMAP(モロッコ国営通信)は、「モロッコ外交団全員が退場したというアルジェリア報道にも抗議した」と、報じた。
イスラエルと仲良しのモロッコだが、アラブ首脳会議を敵に回す度胸はない。グズグズ言いながらAAS (アルジェ・アラブ・サミット) に居残った。MAP(モロッコ国営通信)は、「国王モハンマド陛下~神のお加護がありますように~のお達しに従い、ナセル・ブリタ・モロッコ外務大臣が率いるモロッコ外交団は11月1日と2日のアラブ首脳会議に参加する」と、11月1日に伝えた。アハメド・タジ・エジプト大使兼アラブ連盟代表、ファウド・アクリフ外務層湾岸諸国教区長とイスラム教組織担当、アブデラリ・アルジャヘド・外務省アラブ局長などなど、随行員や報道陣も含めて大所帯のモロッコ外交団がアルジェに押し寄せ、AAS (アルジェ・アラブ・サミット) を揺さぶった。
② 第31回AAS (アルジェ・アラブ・サミット) ,奇跡の大成功:
AAS (アルジェ・アラブ・サミット) の前々日、ナデイル・ラルバウイ・アルジェリア国連大使が準備会議で、「モロッコ報道陣は、ブラヒム・ガリ西サハラ大統領が第31回AAS(アルジェ・アラブ・サミット)に参加するという嘘を故意に流している。論理的にありえないことだ」と、モロッコを非難した。
アルジェリア人外交官の一人が、「準備会合中に、でっち上げの嘆かわしい噂をモロッコ代表団は耳打ちされて、彼らは外交辞令に反する数々の蛮行を重ねていた」と、モロッコの無礼を、批判した。
モロッコは、これまでのように、力ずくでも西サハラをAAS (アルジェ・アラブ・サミット) 会議場から排除するつもりだったようだ。モロッコ人は格闘技に強いようだけど、アルジェリア人だって負けていないゾ、、
結局、モロッコの妨害は功を奏さず、AAS (アルジェ・アラブ・サミット) は奇跡的に成功した。なぜなら、パレスチナ支援を看板に掲げたからだ。パレスチナ問題は今もアラブとイスラム社会の大義になっている。イスラエルと組んだモロッコも、公のアラブ会議場で反パレスチナを打ち出すわけにはいかない。折しも、イスラエル選挙で強硬派のネタニヤフ元首相が極右勢力も引き込んで、返り咲いてしまった。反アラブ反パレスチナのイスラエル政権再登場に、パレスチナとイスラエルの和平交渉は振り出しに戻ってしまった。そんな、<アラブの仇敵>へ寝返ったカメレオン・モロッコ王国は、、これからどう変わっていくのかな?
11月1日、AAS (アルジェ・アラブ・サミット) 開会式に参加したグテーレス国連事務総長は、テブン・アルジェリア大統領やモーリタニア大統領と会談した。西サハラが議題に上ったかどうかは、非公開会談なので時が経たないと明らかになってこない。どう扱われたのか?全く扱われなかったのか?気になる、、
11月2日、AAS (アルジェ・アラブ・サミット) で<アルジェ宣言>が採択された。要点をまとめてみる。
「アラブの団結と連帯が今、復活した。アラブの諸問題はアラブ連盟を中心にアラブ相互間で、平和裏に解決されなければならない。
特に、パレスチナ問題とパレスチナ支援に関しては、より一層集中して当たらねばならない。パレスチナ人の民族自決権と、1967年6月4日に設定された国境線に基づくエルサレムを首都とするパレスチナ国家の建設と、1948年の国連総会決議194が謳ったパレスチナ難民の帰還は、早急に実現されなければならない。
国が分断されているリビアに関して、対立している両勢力を民主的に話し合いでまとめていけるのは、アラブ連盟が指導するアラブ人の調停団以外にない。アラブは引き続きリビアの安定を目指して尽力を続ける。
その他、アラブ域内での難題にも、アラブが率先して解決の汗を流し続ける」
③ 何故、西サハラをAAS (アルジェ・アラブ・サミット) に招待しなかったのか?:
秋の初め、敬愛する明治学院大学教授から、「駐日アルジェリア大使に西サハラをAAS (アルジェ・アラブ・サミット) に参加させてもらうよう働きかけては?」とい
うご提案があった。グッドアイデイア! まずは、西サハラ難民政府の国連代表や幹部に意向を打診した。
「西サハラは参加しない。なぜなら、西サハラはアラブ連盟に加盟していないからだ」と、誰もが同じ返事をした。これは西サハラ政府の見解だった。提案は実現しなかった。
友人の西サハラ難民は、「西サハラが出席という事になれば、まずモロッコがAAS (アルジェ・アラブ・サミット) への不参加を決める。そして、モロッコ国王の知り合いである湾岸諸国の首脳たちに不参加を強要する。不参加ドミノ現象が起きて、AAS (アルジェ・アラブ・サミット) は潰れてしまう。もともと、社会主義国アルジェリアは君主独裁国の多い湾岸諸国とは、それほど仲が良くない。AAS (アルジェ・アラブ・サミット) の成功を第一義とするなら、西サハラはあまり表に出ないほうがいい」と、説明してくれた。
SPS(西サハラ・プレス・サービス)は、AAS (アルジェ・アラブ・サミット) に関するニュースを扱わなかった。やっと11月3日になって、ブラヒム・ガリ西サハラ難民大統領がテブン・アルジェリア大統領に宛てた書簡の紹介記事の中で、AAS (アルジェ・アラブ・サミット) を取り上げた。
SPSは、「ブラヒム・ガリ西サハラ大統領はテブン・アルジェリア大統領に宛てて、1954年11月1日にアルジェリア人民が植民地解放戦争を蜂起して68年になる記念日に、お祝いの書簡を送った。そして、この日に第31回アルジェ・アラブ・サミットを開催するという英知を讃えた。さらに、アルジェ宣言は、分裂していたパレスチナ諸派を一つにまとめ、アラブの尊厳と威信と伝統を担って、困難に立ち向かっていくことを明記した」と、AAS (アルジェ・アラブ・サミット) を称賛した。そして、ガリ西サハラ難民大統領の書簡から、「我々(西サハラ人)は、我々の地域社会に平和と安全を構築するため、モロッコ人民も含む全ての隣人たちと協力していこうと決めた。我々は輝かしい1954年11月1日のアルジェリア革命をお手本に、国連憲章と国連決議とAUアフリカ連合憲章に基づいて、独立闘争を続けていく」という文言を引用し、報告を締めくくった。
AAS (アルジェ・アラブ・サミット) 主催国アルジェリアは、アラブ諸国の外務大臣や代表団を、アルジェ・オペラ劇場で開かれた<1954年11月1日アルジェリア革命蜂起を記念歴史ショー>に招待しました。 人民が植民地宗主国フランスに反旗を翻すという歴史劇を、未だに独裁王政が続くモロッコや湾岸諸国の代表団は、どんな思いで見ていたんでしょうネ?
聞くところによると、ブリタ・モロッコ外務大臣は、この招待を蹴飛ばしたそうです。
聞くところによると、モロッコ国王陛下にAAS参加を求めるのなら、「国王、皇太子、皇族一行を乗せた10機の、アルジェリア上空通過と着陸を準備しろ」と言ったそうです。
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「サラー西サハラ難民アスリート」の出版情報です。
著者:平田伊都子、写真構成:川名生十、画像提供:アマイダン・サラー、SPS、
定価:本体1,800円+税、
発行人:松田健二、
発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、電話:03-3814-3861
同じ「社会評論社」が出版してくださった「ラストコロニー西サハラ(2015年)」、「アリ 西サハラの難民と被占領民(2020年2月)」にも、お目を通してください。
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Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)もご案内。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名生十 2022年10月6日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion12520:221106〕