アジアの10カ国が加盟するASEAN(東アジア諸国連合)2022首脳会議が、カンボジアのプノンペンで、11月11日に開催されました。 その後、東アジア首脳会議が開かれ、参加した首脳たちは、インドネシアのG20に向かいました。
来年のASEAN(東アジア諸国連合)2023首脳会議はインドネシアで開かれます。 そのインドネシア植民地支配者と闘い、独立を勝ち取った東ティモールが、今回のASEAN首脳会議でASEAN参加を認められ、来年のインドネシアASEAN(東アジア諸国連合)2023首脳会議では元植民地支配者と同席します。
① インドネシア植民地支配者から独立を勝ち取った東ティモール:
東ティモールも西サハラも共に、19世紀のヨーロッパ列強によって植民地にされた。
1859、リスボン条約で、ポルトガルが東ティモール、オランダが西ティモールと、現地人民を無視して分割し植民地支配が始まった。西サハラは、1884年、現地人民を無視してスペインの植民地とされた。
1942年、東西ティモール全島を日本軍が占領した。第二次世界大戦で日本が負け敗退した1945年、西ティモールはインドネシアの一部として独立し、東ティモールは再びポルトガル植民地になる。1974、ポルトガル本国でカーネーション革命という仇名の軍事クーデターが勃発し、植民地の維持を主張した独裁政権が崩壊した。かくして、東ティモールで独立の動きに拍車がかかる。が、独立派と反独立派の対立は激化した。
1975年11月28日、独立派が東ティモールの独立を宣言すると、インドネシア軍が東ティモールに侵攻して制圧し、1976にはインドネシア政府が、東ティモールを第27番目のインドネシア州として併合してしまった。
東ティモール独立派はインドネシア占領軍と戦闘を続ける一方で、国際社会に独立の正当性を訴え、1999年には国連東ティモール人民投票に漕ぎつけ、2002年5月20日に独立した。
一方、西サハラでは、1975年に宗主国スペインが西サハラ植民地を南北に分断し、北をモロッコに南をモーリタニアに分譲して、撤退した。1979年にモーリタニアが手を引いた後は、モロッコが南下し、現在まで西サハラはモロッコ占領軍と闘っている。1991年には国連西サハラ人民投票が約束された。ここまでは、西サハラも東ティモールと同じ道を辿ったのだが、、植民地支配国のモロッコが国連人民投票を嫌い、国連西サハラ人民投票は、未だに手がつけられてない。
② 日本と東ティモールが外交関係を開設して20年になる:
かって第二次大戦中の1942年から1945年まで、日本は東も西も、ティモール全土を軍事占領していた。が、日本が敗戦してから東ティモールとの関係は、途絶えていた。
そして、東ティモールが2002年にインドネシアから独立した直後、日本と東ティモールは正式国交を樹立した。2010年3月にジョゼ・ラモス・ホルタ東ティモール民主共和国第2代大統領が来日し、3月16日に鳩山由紀夫内閣総理大臣に、日本の支援に対する謝意を述べた。3月19日には、広島市の原爆資料館や原爆ドームなどを視察した。また、広島平和記念公園を訪れ、同公園内にある原爆の子の像に持参した千羽鶴を捧げた
東ティモール大統領職には、シャナナ・グスマン、 ジョゼ・ラモス・ホルタ、 タウル・マタン・ルアク、 フランシスコ・グテレスが、就いている。
そして、2022年3月19日の第5回大統領選挙では、第1回投票でジョゼ・ラモス・ホルタ元大統領が46.58%の票を獲得して第1位となり、2位となった現職のフランシスコ・グテレス(22.16%)と、4月19日の決選投票に進出。62.1%の票を獲得して再当選した。
2022年5月19日、三宅 伸吾・岸田文雄総理大臣特使は、ジョゼ・ラモス・ホルタ新大統領の就任式に出席した。2022年9月28日には、故安倍晋三国葬儀に参列するため訪日中のアダルジザ・マグノ・東ティモール民主共和国外務大臣が、林外務大臣との間で日本・東ティモール外相会談を行った。
東ティモールの面積は約1万4,900平方キロメートル(首都4都県=東京+千葉+埼玉+神奈川)、人口は約130万人、首都はディリ、住民はメラネシア系とパプア系。その他マレー系、中華系等、ポルトガル系を主体とする欧州系及びその混血など、公用語は、テトゥン語及びポルトガル語。宗教はキリスト教99.1%、イスラム教0.79%と、記録にある。
東ティモールに対する主要な援助国は、オーストラリア、日本、アメリカ、ポルトガル、EUと続く。日本の無償資金協力は約404億円(2002年度~2021年度)で、技術協力(JICA経費実績ベース)は約156億円(2002年度~2020年度)と記されている。(出展:外務省 東ティモール共和国)
③ 西サハラと東テイモールの外交関係も開設20年:
東ティモール民主共和国は、独立した2002年5月20日に、西サハラ・アラブ民主共和国を承認した。それ以来、東ティモールは変わらず西サハラの独立運動を支援してきた。
2022年11月9日、アッバ・マライニン・西サハラ難民政府の東ティモール大使は首都ディリの大統領官邸で、ジョゼ・ラモス・ホルタ東ティモール大統領と会談した。アッバ・マライニン西サハラ難民政府大使は、西サハラを巡る最新国際情勢や<砂の壁・モロッコ防御壁>周辺での戦闘状況やモロッコ占領地・西サハラでの迫害状況などを説明し、東テイモールの援助と助言を求めた。大統領は、「国連東ティモール人民投票を経て独立に漕ぎつけた東ティモールのように、西サハラ人民も民族自決権の人民投票が実現されるよう、支援していく」と、約束した。
東ティモール大統領執務室で、左にジョゼ・ラモス・ホルタ東ティモール大統領、
右に駐東ティモール・アッバ・マライニン西サハラ難民政府大使
ジョゼ・ラモス・ホルタ東ティモール民主共和国大統領は、1949年12月26日、東ティモールの首都ディリに、ポルトガル人の父とティモール人の母の間に生まれた。1970年、ラモスが20才の時に東ティモール独立地下運動に参加し、ポルトガルの植民地政策を批判した。1996年、<東ティモールにおける紛争の正当で平和的な解決への尽力>を理由に、カルロス・フィリペ・シメネス・ベロ司教とともに、ノーベル平和賞を受賞している。
ポルトガル植民地省はラモスを追放しようとしたが、1974月年まではポルトガルと、ポルトガルが撤退した後は軍事侵攻してきたインドネシアと、完全独立のため闘った。2002年の独立以降、外務大臣、大統領、首相などを歴任し、2022年には再び大統領職に復帰した。
ASEAN(東南アジア諸国連合)10カ国、インドネシア、カンボジア、シンガポール、タイ、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、ラオスに、東ティモールが加わり11カ国となります。 めでたい話です! ところが、<ASEAN首脳会議>に続いて同じプノンペンで、<東アジア首脳会議>が、日本、中国、アメリカ、ロシアなどが中心になって開かれました。、アメリカって、、アジアでしたっけ?!
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「サラー西サハラ難民アスリート」の出版情報です。
著者:平田伊都子、写真構成:川名生十、画像提供:アマイダン・サラー、SPS、
定価:本体1,800円+税、
発行人:松田健二、
発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、電話:03-3814-3861
同じ「社会評論社」が出版してくださった「ラストコロニー西サハラ(2015年)」、「アリ 西サハラの難民と被占領民(2020年2月)」にも、お目を通してください。
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Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)もご案内。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名生十 2022年11月20日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion12558:221120〕