「<砂の壁>が分断、難民42年の望郷」と題した記事が、今週発売中のAERA No・13号に載っています。 いつも西サハラ最新情報を見て下さっている読者の皆さまに、ざっと、記事の内容をお教えします。
写真は西サハラ国旗を纏って、モロッコが造った<砂の壁>地雷防御壁を背にした西サハラの女性です。 <砂の壁>まで約1.5km、、
(1) 西サハラって?:
西サハラは、日本から見てちょうど地球の裏側に位置する。広さは本州の1・2倍、大西洋に面する海岸線は1,200キロメートル。陸地の大部分は砂漠で、定住民はいない。地下には石油、天然ガス、ウランなどの鉱物資源が眠り、近海には絶滅が危惧されるクロマグロの漁場がある。国連が1960年に西サハラを「非自治地域」に指定し、外国人による資源の採取や採掘は禁止された。非自治地域とは、領有権の定まらない地域のことだ。アフリカ連合(AU)や約80か国が西サハラを国家承認している。が、米国やEU、ロシア、日本は未承認だ、UN,AU,EU はモロッコの領有を認めていない。
西サハラはかつて、スペインの植民地だった。スペインが撤退した現在、モロッコが西サハラの5分の4にあたる地域を占領している。西サハラ人は、モロッコの支配を逃れてアルジェリアにある難民キャンプに暮らす人々が約20万人、占領地に取り残された人々が約10万人。モロッコは入植者約15万人とモロッコ兵約16万人を占領地に送り込んでいる。
(2) 住民投票未だなし:
祖国解放を目指す西サハラは、1975年以来、モロッコと激しい戦闘を繰り広げてきた。1991年、国連は紛争に終止符を打つため、独立か、モロッコへの帰属かを決める住民投票を提案する。モロッコ正規軍と西サハラ難民軍は提案を受け入れ、停戦した。
ところが90年代半ば、西サハラの地下から鉱物資源が確認されると一転、モロッコは住民投票を拒否して領有権の主張を始めた。以来、住民投票は行われず、難民が故郷に戻れるめども立っていない、、
(3) 600万個の地雷防御壁:
西サハラの悲劇を象徴するのが「砂の壁」だ。北はアルジェリア国境から南はモーリタニア国境まで全長約2,500キロメートル、西サハラを切り裂くように縦断している。1981年から7年かけてイスラエル軍高官の指導でモロッコが作った。
壁といっても、瓦礫を2、3メートルほど積んだだけの一見お粗末な代物だが、10キロメートルごとにモロッコ軍の小さな要塞があり、戦闘機や戦車で重武装した約10万のモロッコ兵が展開している。西側はモロッコ占領地、壁の東側は西サハラ解放区で、難民軍の攻勢を防ぐため、50メートル幅で約600万個以上(国連推定)の地雷が埋められている。地雷は砂嵐や洪水で露出し、漂流する。2009年には壁から20キロメートルも離れた地点で犠牲者を出した。
砂の壁で分断された難民と被占領民は、自由に行き来などできない、、
(4) 国連にウンザリ:
西サハラ難民のどの家庭にも、難民脱出行の辛い経験がある。悲惨な体験が難民同士を固く結びつけている。
「もうこれ以上国連を待つのはうんざりだ」そんな思いが、全ての難民と被占領民の間に充満していた。が、2015年末の西サハラ民族大会では、「UN、AU、 EU(国連、アフリカ連合、ヨーロッパ連合)に再攻撃!」と決議された。「2019年まで外交闘争を続ける」という運動方針が、この4年に一度の民族大会で決まると、西サハラ難民の外交戦士たちはそれぞれの「戦場」に散っていった。
国連担当はアハマド・ブハリ。1991年に国連が住民投票を約束して以来、ニューヨークに張り付いている。ブハリは、西サハラ解放区とモロッコ占領地・西サハラそれぞれ5か所のPKO平和維持軍を展開している国連西サハラ住民投票監視団について、「住民投票を監視する組織なのに、住民投票の活動はほとんどやっていない」と、会うたびに国連非難の言葉を、筆者に投げつけてくる、、
(5) 西サハラ領海でのクロマグロ密漁:
EUを担当するモハメド・シダティは、新国連事務総長西サハラ個人特使のホルスト・ケーラー元ドイツ大統領の協力で、7年間中断しているモロッコと西サハラの直接交渉再開を目指す。その一方でシダティは、EUとモロッコの経済契約、特に漁業契約を監視し、国際社会に警告を発している。そして日本に対しても、「モロッコとEUが西サハラ領土抜きで契約するのは大変結構。だが、国連と国際法は西サハラを非自治地域に指定していて、その地区の天然資源の採取を禁止している。日本は西サハラ領海の大西洋クロマグロを密漁したり、西サハラ大地のリン鉱石を輸入したりしており、恥ずかしいことだ」と、非難した。今後も大西洋クロマグロを食べたければ、日本は西サハラとも話をつける必要がある、、
(6) 河野外相に宛てた書簡:
2017年夏、難民キャンプで再会したナンバー2のバシールは、河野太郎外務大臣にあてた次のような書簡を、筆者に託した。
「日本はTICAD(東京国際アフリカ開発会議)に、アフリカ55か国中、西サハラだけを招待しなかった。アジアの要である日本は〈排除の外交〉ではなく〈地球外交〉の精神で、西サハラ紛争の平和的解決に貢献してほしい」
2018年2月7日から、バシールは国務長官とモロッコ占領地・西サハラ担当大臣を兼任している、、
チャンスがあったら、AERA⑬号の54頁、55頁、56頁を読んでみて下さい。
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之 2018年3月15日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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