国立美術館を後にして、夕方は、といっても、まだまだ日差しが強い。中央駅前の遊覧船乗り場へ。50分弱で、12€とのこと。ここぞとばかり、チケット売り場で、二人の財布にたまった小銭をそろえて渡すと、小銭分は受け取らないという
本文を読む内野光子の執筆一覧
はじめてのオランダとハンブルグへの旅は始まった(5)アムステルダム国立美術館 2
著者: 内野光子アムステルダムを夢中で歩いていた日から、はや1カ月もたってしまった。記憶もだんだん薄れてゆくのだが、わずかなメモを頼りに、記しておきたい一心で。 喫茶室で一息入れてから、まためぐり始める。さまざまな絵に登場する犬、そのさ
本文を読むはじめてのオランダとハンブルグへの旅は始まった(4)アムステルダム国立美術館 1
著者: 内野光子6月26日、今日は一転して涼しい、過ごしやすい朝だった。朝食のバイキングは、目移りするが、5泊することでもあるし、体重管理もあるしで、あまり欲張らずに行儀よく?済ませた。きょうは、国立美術館、9時過ぎにホテル前のトラム停
本文を読む「森友関連告発事件」再捜査の要請
著者: 内野光子きょう7月17日は、久しぶりに霞が関へでかけた。午後からは待ちに待った青空も仰ぐことができた。最高検察庁、検事総長あての要請書を届けるという市民グループに同行した。 もう2年近くも前のことになるのだが、国会の内外は森友問
本文を読むはじめてのオランダとハンブルグへの旅は始まった(3)ゴッホ美術館
著者: 内野光子午前中、案内いただいたMさんからは、停留所スパイからゴッホ美術館へは、トラムの②か⑫ですよと念を押されていた。トラムのチケットは、Mさんから渡された一日乗車券を使い、美術館のチケットは、当日売りでは行列するかもしれないと
本文を読むはじめてのオランダとハンブルグへの旅は始まった(2)運河を渡り、運河に沿って
著者: 内野光子アムステルダムのホテルの私たちの部屋には、バスタブがなくシャワーだけだった。5日間の滞在、少しきびしいかなとの思いがめぐる。細めのベッドのツインだが、体格の良いヨーロッパの人たちにはどうなんだろうとも思う。とにかく、KL
本文を読むはじめてのオランダとハンブルグへの旅(1)アムステルダムの建物って、なんだかみんな歪んで見える
著者: 内野光子半月ほど、ブログの更新を怠ってしまったのは、留守にしていたからだ。スマホを待たない、ガラケーにこだわっていたものだから、何かと不便を託つことにもなった。それに、連れ合いともども、出発の直前まで、目の前のことに追われて、た
本文を読むいまの歌壇はどうなっているのか~1960年前後の短歌・歌人たちを振り返る(4)1960年
著者: 内野光子1960年、多くの国民の支持を得た、いわば反政府運動の高揚と挫折を情緒的に振り返ろうというわけではない。あの当時から、私自身が関心を持ち始めた「短歌」を通して、歌壇の状況、歌人たちの作品や発言の断片から、1960年とやが
本文を読む6月15日で、思い起こすこと
著者: 内野光子香港で身柄を拘束された犯罪容疑者の中国本土への引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正をめぐって、香港での大規模な反対運動がつづき、12日には負傷者も出る衝突となった。香港政府は、きのう6月15日、議会での審議の延期を発表
本文を読むいまの歌壇はどうなっているのか~1960年前後の短歌・歌人たちを振り返る(3)1959年(続)
著者: 内野光子短歌研究1959年6月号/7月号/8月号/9月号 社会問題、天皇制からの切り口へ 1959年の後半も「主題制作」と「長期連作」の企画は続き、「連載短歌」は吉井勇、生方たつゑ、塚本邦雄
本文を読むいまの歌壇はどうなっているのか~1960年前後の短歌・歌人を振り返る(2)1959年
著者: 内野光子当ブログは、2006年1月に開きましたが、今回の記事がちょうど1000件目にあたります。雑多で、つたない発信ですが、楽しいときもあり、苦しいときもありました。お訪ねくださる皆さまに支えられ、続けることができました。予想外
本文を読むいまの歌壇はどうなっているのか~1960年前後の短歌・歌人たちを振り返る、1958年
著者: 内野光子ネット上で知り合い、メールでのやり取りはありながら、遠隔なので、お目にかかってはいない知人から思いがけず、1959年から60年にかけての『短歌研究』の数冊をいただいた。近年、私は、斎藤史、阿部静枝の著作年表
本文を読む自治会と寄付・募金について、やはりおかしくないですか(3)日赤と皇室の関係も改めて考えたい(続)
著者: 内野光子日本赤十字社には、年間にして、どのくらいの社資が集まっているのだろうか。平成29年度(2017年度)で日赤本社、千葉県支部、佐倉市地区の単位で調べてみると・・・。 いずれも決算が出ている平成29年度の数字である。佐倉市地
本文を読む自治会と寄付・募金について、やはりおかしくないですか(2)日赤と皇室との関係も改めて考えたい
著者: 内野光子昨日5月22日、明治神宮会館で開かれた全国赤十字大会に出席した皇后は「皇后雅子さま初の単独公務」などの見出しで報じられた。皇后は、日本赤十字社の名誉総裁に位置付けられている。日本赤十字社は、その前身「博愛社」を経て、発足
本文を読む自治会と寄付・募金について、やはりおかしくないですか(1)社協会費の徴収、「自由」定着への歩み
著者: 内野光子年度が替わって4月に入ると、私のブログの自治会と各種「募金」に絡む記事へのアクセスが激増?!する。新しく自治会役員になったり、班長になったりして、多分、募金徴収の仕事がわが身に降りかかってきて、疑問を持つ人が多くなるから
本文を読む「斎藤史について」の報告が終わりました
著者: 内野光子5月18日、「短歌サロン九条」の例会、第61回になるそうですが、報告をする機会をいただき、「斎藤史」について話をしました。当ブログでも既報の通り、今年の1月9日日付で、暮れに拙著『斎藤史『朱天』から『うたのゆくへ』の時代
本文を読むぶどうの郷の「藤切り祭」とワインの旅(番外編)松本清張展へ
著者: 内野光子甲州の旅の三日目は、夫の急な所用で、宿を朝5時半に発つことになった。タクシーは6時からということで、宿のご主人の車でぶどうの郷勝沼駅まで送っていただいた。民宿をとり仕切っているのは奥さんで、ご主人は勤めに出ていて、週末は
本文を読むぶどうの郷の「藤切り祭」とワインの旅(2)
著者: 内野光子ぶどう畑の道をひたすら歩く 翌日の朝は、雲も広がり、やや冷え込み、薄いセーターが手離せなかった。宿のすぐ隣にある萬福寺に立ち寄ってみた。山門をくぐると、すぐ左手の巨樹の太さに圧倒される。「山梨の巨樹・名木百選」の札があ
本文を読むぶどうの郷の「藤切り祭」とワインの旅(1)
著者: 内野光子すでに鉄線満開の連休直後 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 大善寺藤切り祭、5月8日 今回は、連れ合いたっての旅、すべておまかせの旅程だった。近場だけれど、二泊してゆっくりしようということで、評判の良い民宿も予
本文を読む憲法記念日にふたたび~『あたらしい憲法のはなし』
著者: 内野光子わが家にある『あたらしい憲法のはなし』は「昭和22年8月2日翻刻発行」である。仙花紙というのか、用紙はすでに茶色、表紙もご覧のように、すすけて、その綴じも今にも崩れそうである。これは、1933年生まれの次兄が、疎開先の中
本文を読む「天皇の短歌」と代替わり~憲法記念日に考えたい
著者: 内野光子近頃は「来たァ~」なんて言うのは、すでに古い?!代替わりの前日4月30日の新聞、わが家の購読紙のうちの二紙に、やはり天皇・皇后の歌が出たのである。 『朝日新聞』は、一頁全面の上半分に「天皇陛下の歌」、下半分に「皇后美智子
本文を読む改元の狂騒の中で~「寄り添う」という言葉のうらおもてを考える
著者: 内野光子きょう、4月30日の朝日新聞は、異様な紙面構成だった。これは丸ごと保存しておかねばならない!一面トップと二面とにおいて、新元号に安倍首相が関与したことを示す記事と「退位の日『象徴』と『統合』模索は続く」と題した社説で一見
本文を読む5月18日、「斎藤史」について報告することになりました
著者: 内野光子今年の1月に『斎藤史『朱天』をから『うたのゆくへ』の時代』(一葉社)を出版しました。そんなこともあって、「短歌サロン九条」から「斎藤史」について報告をとの依頼がありました。「短歌サロン九条」は、隔月で、開催されている勉強
本文を読むわが町の市長選も終わってみれば、現職を破った新人というが?
著者: 内野光子4月21日、投票日午後、違反ポスターは、ここにも。 4月15日の当ブログ記事で、現職だった市長と地元業者との関係、麻生太郎との二連違反ポスターについて伝えたが、その候補者は、新人に敗れた。その開票結果は下記の通りだ。 4
本文を読む違法ポスターをはずさない、現職市長候補~佐倉市では、また、こんなことが
著者: 内野光子私たちの佐倉市も、市長選、市議選の選挙が始まった。もう数週間前から気になっていたのだが、現職市長と財務大臣の顔と名前が大きいポスターが、街のあちこちにいっせいに張り出された。大臣の名前の上には「弁士」となっているから、申
本文を読む「松本昌次さんを語る会」に参加、その前に「東京都戦没者霊苑」へ
著者: 内野光子3月30日の「文学散歩・春日・小石川」に続いて、4月6日にも丸ノ内線「後楽園」で下車、2週続けての後楽園である。少し早めに出たので、先日の文学散歩で素通りしてしまった「東京都戦没者霊苑」へ向かった。駅前の礫川公園の端の春
本文を読む「文京区春日・小石川=坂戸文学をめぐって」に参加しました(2)伝通院から安藤坂・牛坂・金剛寺坂・今井坂・吹上坂・播磨坂を経て石川啄木終焉の地へ
著者: 内野光子善光寺坂から伝通院へは新しい道ではなく旧道をのぼる。徳川家康の生母、於大のために建立、千姫の墓所もある。大河ドラマの世界にはあまり関心はないのだが、ここには、古泉千樫、佐藤春夫、柴田錬三郎らの墓地もある。かつては、一帯で
本文を読む「文京区春日・小石川=坂と文学をめぐって」に参加しました(1)富坂から堀坂・六角坂、善光寺坂へ
著者: 内野光子新元号発表、代替わりの迫る中ながら、3月30日、日本社会文学会が開催する「文学散歩」に初めて参加した。今回は、「春日・小石川」ということで、何とか参加したいと思っていた。というのは、池袋で育った私は、地元の池袋第五小
本文を読む新元号発表狂騒でシャッフルされてはならないこと
著者: 内野光子きのう、4月1日、午後の数時間、家を空けていたが、10時半頃から、新聞やテレビを飛び飛びに読んだり、見ていたりした。元号発表が何で「秒読み」までされて報道されなければならないのか。政府は、これまでの、山と積まれた失
本文を読むお彼岸に生家へ、あらためて「池袋の森」へ
著者: 内野光子お彼岸ながら、お墓参りは失礼して、池袋の生家の仏壇にお花だけでもと思い、出かけた。池袋の西口から地上に出るたびに、駅前の様相や生家付近の平和通りの様子が少しづつ変わっていく。生家は、長兄が亡くなった後は、義姉が一人で、
本文を読む