街のくすり屋の経営改革?➀ 今回、薬や化粧品のことを、ひとまずメーカーだけは確認しておきたいと思って、ネットで調べていると、会社にはそれぞれ「今昔物語」があった。発展を続ける会社、身売りをする会社、合併や統合をする会社
本文を読む内野光子の執筆一覧
73年の意味番外篇 敗戦直後のクスリ屋事情(5)
著者: 内野光子ポマードとコールドクリームの時代から それでも、世の中は、少しずつ変わりつつあったのか、庶民の暮らしにもいささかのゆとりができたのか、男性は身だしなみ、女性はおしゃれにも気が回るようになった。くすり屋では、女性化粧品や男
本文を読む73年の意味番外篇 敗戦直後のクスリ屋事情(4)
著者: 内野光子配給通帳と取引高税 二つの配給通帳 敗戦直後から食糧事情が劇的に改善されたわけではなく、私の手元に残っているいわば配給通帳なる「家庭用主要食糧購入通帳」(農林省発行)と「家庭用品購入通帳」(東京都発行)の数年分を見てみ
本文を読む73年の意味番外篇 敗戦直後のクスリ屋事情(3)
著者: 内野光子ヒロポンからハイミナールへ 「ヒロポンあるかい?」という常連の客をよく見かけたことを覚えている。オールバックの中年の男性で、マンドリンの演奏者だって、と聞いていた。お金周りがよく、お得意さんだったらしい。ヒロポン(大
本文を読む73年の意味・番外篇 敗戦直後のクスリ屋事情(2)
著者: 内野光子ヨーチンかマーキロか、医者嫌い 現在でも、テレビのコマーシャルに登場する、養命酒、救心、龍角散、太田胃散、エビオス、わかもと、正露丸、浅田飴、仁丹、メンソレータム、イチジク浣腸、・・・などは、ただひたすらなつかしいばかり
本文を読む73年の意味・番外篇 敗戦直後のクスリ屋事情(1)
著者: 内野光子重曹とサッカリンと 敗戦の翌年、疎開先で小学校に入り、夏には、父が奔走して、池袋の焼け跡に薬局を再建した。両親と兄2人、5人家族が一緒に暮らせることになった。当時は「バラック」と呼ばれ、ベニヤ板で囲った小屋のよう
本文を読む元号が変わるというけれど、73年の意味(4)<侍従日記>公開記事と1946年元旦詔書
著者: 内野光子このシリーズ記事の小休止として、思い出話に少々のめり込んでしまった。敗戦直後の池袋の小さな薬屋で育った子どもとして、なんとか記憶を呼び起こし、ネットの力も借りながら、記録にとどめておこうと思ったからだ。調べていくと、なか
本文を読む元号が変わるというけれど、73年の意味(3)皇室とマス・メデイアとソーシャル・メディアと
著者: 内野光子2016年8月8日、午後3時、天皇のビデオ・メッセージが、一斉に各テレビ局から流された。その内容も大きな問題を抱えているが、どのテレビ局を回しても同じ画像と声が流れている事態に、驚いたのである。まさにメディア・ジャック
本文を読む元号が変わるというけれど、73年の意味(2)象徴としての天皇の仕事とは
著者: 内野光子天皇という一人の人間の死去によって、あるいは退位の意思表示によって、元号、時代表示が変わるということが、この現代の日本で、当たり前のように受け入れられようとしている。これは、いったい何を意味するのだろうか。 2016年8
本文を読む元号が変わるというけれど、73年の意味(1)全国戦没者追悼式と天皇
著者: 内野光子きのう、8月15日、日本武道館において「全国戦没者追悼式」が行われた。安倍首相の式辞、天皇の「おことば」の中では「平成最後の」という表現は登場しなかったが、中継やニュースのテロップでは「平成最後の」を冠するものがほとんど
本文を読むある一首をめぐって~パネルディスカッション「分断をどう越えるか~沖縄と短歌」
著者: 内野光子前記事の『現代短歌』8月号採録の那覇市で開催されたパネルディスカッション「分断をどう越えるか~沖縄と短歌」(2018年6月17日 現代短歌社主催)において、パネリスト、当日の会場の参加者の間で、話題になった作品につぎの一
本文を読む「分断を越えて」とは―そこに生れる「分断」はないか~ある短歌雑誌の特集に寄せて
著者: 内野光子地域での市民活動や住民運動に目を向けてみると、目指すところが一致しながらも、ちょっとでも異論を唱える、うるさそうな?グループや人間には声をかけないということもある。「共闘」というとき、「排除」の論理も働いていることを忘れ
本文を読む「共闘」という幻想、から抜け出すために
著者: 内野光子これほどのマイナス要因がつぎつぎと暴かれる安倍政権、その弱者軽視政策、まるでアメリカ・ファーストであるかのような外交・防衛政策にあきれながらも、内閣支持率が劇的に下がることはない。この政府の犯罪的な行為やスキャンダルも、
本文を読むオリンピックと天皇代替わり批判はタブーなのか
著者: 内野光子この夏は、図書館通いとパソコンに向かう時間が多かった。新聞をじっくり読めず、いつも見ているテレビのニュースも見逃すこともたびたびだった。スポーツ界――相撲、アメフト、レスリング、ボクシング・・・選手たちを抱える各競技団体
本文を読むスポーツ界のこの無様な姿は何だ!
著者: 内野 光子連日の災害・猛暑報道に続いて、スポーツ界のスキャンダルが後を絶たない。 スポーツとは、もともと縁がない私は、プロのスポーツというのが、理解できない。そして、いまのような、国を背負って、勝敗を賭けるオリンピック競技というも
本文を読む図書館に出たり入ったり・・・、本って読むもの?使うもの?
著者: 内野 光子夏休みに入って、地元の図書館は、子どもたちで大賑わいである。幼児連れの若いお母さんをみれば、娘と一緒に読んだ絵本や本をなつかしく思い出す。漫画の「日本の歴史」なんていうのは、どういうわけか、せがまれて買い込んだのか、いま
本文を読む目取真俊講演会に出かけました
著者: 内野 光子猛暑の土曜日7月14日、どうしても聴いておきたかった。目取真俊の小説「平和通りと名付けられた街を歩いて」を読んだことから、天皇制への確固たる批判の姿勢を知り、他の作品からは、沖縄の抱える問題を鋭く分析、提示していることを
本文を読むユーカリが丘駅北口、あたらしい街づくりというが
著者: 内野 光子6月の自治会の回覧資料のなかに、地元の開発業者山万発信の「平成30年度6月~開発計画について」(6月3日)があった。地域の複数の自治会で構成される自治会協議会で、報告されたようであった。営業所の移転、スタバの開店予定、シ
本文を読む8年ぶりの佐原、なつかしい、そして思いがけない出会いも
著者: 内野 光子疎開地佐原については、たびたび、このブログでも触れているが、7月8日、訪ねる機会があった。連れ合いが、佐原でのある集会で話す予定があると聞いて、ついてゆくことにした。 新しい佐原駅 前回、家族3人で出かけたのは、2010
本文を読む日本の空にオスプレイいらない、どこにもいらない、オスプレイ落とすな~7月1日、「オスプレイ暫定配備反対7・1県民大集会in木更津」に参加しました
著者: 内野 光子関東は、観測史上初めての6月の梅雨明けの由、7月1日は、朝からもう暑い。「3000万人署名佐倉市民アクション」のチャーターしたバスは、地元の4つの鉄道の駅をめぐって満席となった。一行には、ふだんお目にかかっている人、
本文を読む千葉の空がアブナイ!ますます危ない!~<安全保障環境>が変わったのに(5)横田のオスプレイは
著者: 内野 光子6月28日・29日の両日、周辺自治体の事前通告なしに、在日米空軍のCV22オスプレイが、横田基地と厚木基地で飛行訓練を実施した。 米空軍の垂直離着陸輸送機オスプレイCV22の、米軍横田基地(東京都福生市など)配備の時期は
本文を読む千葉の空がアブナイ!ますます危ない!~<安全保障環境>が変わったのに(4)
著者: 内野 光子下総航空基地の哨戒機P3Cの飛行訓練は、いま 梅雨アケかと思うほどの好天が続き、と思ったら、本日関東も梅雨が明けたそうだ。一気に真夏の暑さに、我が家の居間は、南の掃きだしと西の出窓を開け放つ。この季節までは、気になら
本文を読む千葉の空がアブナイ!ますます危ない!~<安全保障環境>が変わったのに(3)
著者: 内野 光子千葉の空がアブナイ!ますます危ない!~<安全保障環境>が変わったのに(3) 陸自購入のオスプレイの配備が、急きょ木更津に決まったわけは アメリカから、1機100億以上もするオスプレイMV22を17機もアメリカから買うな
本文を読む千葉の空がアブナイ!ますます危ない!~<安全保障環境>が変わったのに(2)
著者: 内野 光子2.木更津が米軍オスプレイの整備拠点となったわけは 6月25日、普天間基地の米軍海兵隊のオスプレイMV22 の2機目が、整備のために木更津駐屯地に到着し、26日は、要員輸送のためか、3機目が飛来したが、当日離陸したとい
本文を読む千葉の空がアブナイ!ますます危ない!~<安全保障環境>は変わったのに(1)
著者: 内野 光子きょう6月26日の各紙朝刊・千葉県版には、見出しの違いや大小はあっても、6月25日に「木更津にオスプレイの2機目が飛来した」という記事が載った。 これまで、このブログにも、千葉の空に、佐倉の空に、なぜこれほどの頻度で民間
本文を読む6月23日、怒りを持続するには
著者: 内野 光子相撲の暴力事件が妙な決着をみたと思ったら、日大アメフト部の悪質タックルに端を発した問題、女子レスリングのパワハラ問題も、その解決や今後の方向性が見えない中、いまや、サッカーのワールドカップで騒々しい。事件や事故のニュース
本文を読む今年の6月15日は・・・、第一歌集『冬の手紙』のころを思い出す
著者: 内野 光子今年の6月15日は、病院で少し大掛りな検査を受けた直後だったので、家で静かに過ごし、1960年6月15日前後のことから私の第一歌集『冬の手紙』(1971年)のころまでのことを思い出していた。1960年は、私が母を亡くし
本文を読む6月10日財務省前、雨の中、アピール行動~とんでもナイ閣 今すぐ退陣
著者: 内野 光子6月10日、このブログでもお知らせした「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」の財務省前のアピール行動・デモに参加した。前日からの大雨の予報が心配だったが、ともかくデモの解散地点、日比谷公園西幸門までは、小雨であっ
本文を読む短歌における「改ざん」問題 ~斎藤史を通して考える
著者: 内野 光子『梧葉』という季刊の短歌新聞の「視点論点」に以下を寄稿しました。 ~~~~~~~~~~ 短歌における「改ざん」問題 ①國をこぞり戦ひとほす意気かたし今撃たずして何日の日にまた ❶国こぞり戦ひとほす意気かたし今起たずして何
本文を読む6月10日、大雨の予報を吹き飛ばそう
著者: 内野 光子安倍首相が「国難」と称していたことは、朝鮮南北の首脳の融和的会談後、米朝首脳会談を前に、その根拠を失いつつある。自分の国の「拉致問題」を他国の大統領に交渉の依頼をするのが「外交」なのだろうか。公文書の隠蔽・捏造・改竄に
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