6月13日、東北電力は、 女川原発2号機の安全対策工事を完了したと、報道陣に公開した。多くの新聞は、翌日、高さ29メートル、長さ800mの防潮堤の写真とともに報じている。9月の再稼働を目指しているという。 海抜29m、
本文を読む内野光子の執筆一覧
1960年6月15日、その頃何を考えていたか・・・。
著者: 内野光子数年前にも、当ブログに以下の記事を書いた。状況としては、何も変わってはいない。内閣支持率が10%台になっても(6月の時事通信世論調査16.4%)、国の行方に対して、危機感というものがなく、議員たちは自分の選挙での当落だ
本文を読む赤い羽根と緑の羽根と~募金の向こう側で
著者: 内野光子「赤いきつねと緑のたぬき」ならぬ「赤い羽根と緑の羽根」が、いまだに、地域の自治会を悩ませているという。班長が各世帯を回って、対面で定額の募金を徴収する場合も、班長の負担をなくすため、自治会費に上乗せしたり、自治会財政の
本文を読む皇族たちの”公務”って~愛子さん、佳子さんの”働き”を通じて
著者: 内野光子愛子さんの「夢“みる光源氏」見学が「公務」ですか 愛子さんの日赤就職のニュースとともに、4月1日からの勤務と成人皇族としての活動の両立をはかるとの報道がなされた。さらに、5月11日には「 初めての単独公務で平安文学に関
本文を読む断捨離の手が止まる(4)1951年、小学校最後の夏休みは(後)
著者: 内野光子念願の一色海岸 父の友人が薬局を開いている葉山へ、とうとう出かける日がやってきた。父母と前日に泊りに来ていた従姉のMさんも飛び入りで、4人となった。逗子駅からバスで15分で一色海岸に着いたのだが、母は車酔いで、顔も真っ
本文を読む断捨離の手が止まる(3)1951年、小学校最後の夏休みは(前)
著者: 内野光子1951年7月21日から8月31日、小学校6年の夏休みの日記が出てきた。当時としては精一杯おしゃれなA5のノートではなかったか。鉛筆はHBだったろうから、うすくて読みにくい個所もあり、担任の乙黒久先生は、誤字脱字を訂正
本文を読む「天皇制はない方がよい」3%、そこに留まる一人として
著者: 内野光子4月29日は、天皇誕生日、いや、みどりの日だった。いや、いまは、なんと「昭和の日」だった。2007年から、みどりの日は5月4日に移動して、「昭和の日」になっていたのだった。そして、もう忘れかけそうな、4月30日には、ど
本文を読む赤ちゃんにも選挙権!? 吉村知事、おかしくないですか?
著者: 内野光子町内会・自治会ではすでに始まっているが 大阪府の吉村知事が、4月26日の記者会見で、前日4月25日、「人口戦略会議」の府内12市町村が消滅危機になるという分析を踏まえてか、ゼロ歳から選挙権を認めるべきとする持論を展開し
本文を読む苗字を持たない人たちの人権はどうなるのか、しかし、その前に
著者: 内野光子先に、安定的な皇位継承の在り方についての有識者会議報告書をめぐる各党、メディアの対応を当ブログ記事にまとめた。そのあと、断捨離の一環で、袋詰めの資料を整理していたが、皇室関係の切り抜きの一袋を開いたところ、つぎの記事の
本文を読む国民体育大会・オリンピック・大阪万博、どうする!どうなる?
著者: 内野光子4月8日、宮城県の村井嘉浩知事は定例記者会見で、47都道府県のほぼすべてのスポーツが一堂に会し、持ち回りで開催されてきた国民体育大会(2024年から「国民スポーツ大会」に改称)の開催方法について、「継続する必要があるの
本文を読む安定的な皇位継承って何?~「天皇家」の存続を願う人たち 各党の対応
著者: 内野光子2021年12月、安定的な皇位継承の在り方について検討した有識者会議の報告書が政府に提出された。22年1月には国会に提出されている。昨年末、衆議院議長より、各党に見解を早急にまとめるよう要請した。 有識者会議の報告書
本文を読む“春風のようなお手振り”って何なの?
著者: 内野光子宮内庁は昨年度から、「広報室」を新設、4月1日からは、インスタグラムをスタートさせた。皇室への関心を高めようと必死といってもよい。 昨年から今年にかけて、天皇夫妻、秋篠宮夫妻の外国訪問はじめ、佳子さん、愛子さん、悠仁
本文を読む天皇の被災地訪問って?
著者: 内野光子4月12日、天皇夫妻は、能登地震被災地へ、二度目の訪問である。今回は穴水町と能登町であったが、被災地や被災者にとって、皇族たちの訪問に、いったいどんな意味があるのか。いつも考えてしまう。 避難所で、天皇夫妻がひざを折
本文を読む初めての百花園、初めての隅田川堤の桜へ
著者: 内野光子九段下から半蔵門線の久喜行きに乗り、百花園へと東武曳舟で下車したところ、駅員に「東向島」駅の方が近いけれどと言われ、地図を見れば、水戸街道に出てから明治通りまで進み、しばらく歩くらしい。二人ともすでに足が重い。タクシー
本文を読む数年ぶりの小平霊園、そして、千鳥ヶ淵へ
著者: 内野光子何と親不孝な、と言われても仕方ないのだが、コロナ禍を挟んで数年ぶりのお墓参りだった。世話になっている石屋さんに寄るのも億劫で、花・線香と2リットルの空きペットボトルを持参した。東京の二人の姪たちが、ときどき訪ねてくれて
本文を読む小石川、文学散歩に参加した~サクラには少し早かったが(3) かつての林町、今は高級マンションが
著者: 内野光子小石川植物園の南側道に突き当たり、塀に沿って左に折れると、今どきにしては立派な火の見やぐら見えてきた。この側道は700m、総面積約16万㎡の植物園は、17世紀徳川幕府の御薬園として設けられ、明治に入って現在の東京大学付属
本文を読む小石川、文学散歩に参加した~サクラには少し早かったが(2)「太陽のない街」から「植物園」へ~「新福寺」に寄り道
著者: 内野光子共同印刷社屋の前では、今では想像できない、谷底の街「太陽のない街」に思いを馳せる。 共同印刷のビル、2019年のときには、工事中で、全面シートで覆われていた。 きょうは入園の予定はないのだが、小石川植物園へと向かう途
本文を読む小石川、文学散歩に参加した~サクラには少し早かったが(1)
著者: 内野光子3月にしては、記録的な暑さだったという3月31日、初めてながら『新日本歌人』の文学散歩に参加した。メトロ茗荷谷駅集合、小石川植物園近辺を経て、JR大塚駅解散、約二時間なら、私にも参加できそうであった。それに、茗荷谷は、
本文を読む“小さい春”見つけた
著者: 内野光子我が家の庭にも“小さな春”がやって来た。「根性スミレ」があちこちに花をつけ始めた。 玄関への階段の隅に、外には側溝と石垣の間に咲いていた。 庭のスイセンは、咲き始めて久しく、先日の嵐のような雨にも耐えてきた。いっとき
本文を読む断捨離の手が止まる (2) 戦前期『ポトナム』の気になる歌人たち
著者: 内野光子物置同然となってしまった和室のリフォームを思い立ち、生協のワーカーコレクティブの方に依頼、仕訳をしながら、不用品を運び出してもらった。 見違えるほど広くなった!六畳間、思わずごろんと横になりたいくらいだった。が、それか
本文を読む消防団はどうなる、どうする(2)各地の消防団で何が起きているのか
著者: 内野光子佐倉市の消防団の何人かが、新年会かの帰りに酔っ払い運転で事故を起こしたという、なんとも“しまらない”一件を思い出す。だいぶ古い話になるので、ネットで調べても分からずじまいだったが。 また、近所の中学校の校庭から、夏の
本文を読む消防団はどうなる、どうする(1)消防団への「お礼」って
著者: 内野光子少子高齢化社会に加えて、コミュニティの衰退が進むなかで、近年、消防団の在り方が問題になることが多い。 一つは、消防団員の減少と高齢化が進み、後継者の確保が困難になっているが、ざっくり言えば1950年前後200万人いた
本文を読む断捨離の手が止まる~“皇居一周ランナー”だった頃
著者: 内野光子断捨離とはいうけれど、時間ばかりがすぎてゆき、いろんな場所から、いろんなものが出てきて、手がとまる。先日、見つけたのが、白茶けたコクヨノートのジョギング日誌であった。東京の職場での昼休み、皇居一周を始めた1972年5月
本文を読む歌壇におけるパワハラ、セクハラの行方
著者: 内野光子2019年、23年に、どこかはっきりしないままではあったが、活字になった資料や信頼のおけるネット情報などから、一結社の一選者によるパワハラ、セクハラについて、つぎの二つの記事を書いた。 ・歌壇、この一年を振り返る季節(2
本文を読む大人の対応?私の「オバサン」騒動の顛末
著者: 内野光子1月30日、麻生自民党副総裁が地元福岡での講演の際、上川外務大臣を名指ししての「オバサン」発言は、謝罪と撤回でケリがついたようだが、上川大臣は「大人の対応」でかわしたらしい。 2007年のことなので、20年近く前のこ
本文を読む女川の町は、いま~被災地復興のモデル?
著者: 内野光子1月31日(水)朝、たまたま「羽鳥モーニングショー」にチャンネルをあわせてみると、女川町の東日本大震災後の復興が特集らしかった。途中ながら、現地の須田善明女川町長とつないで、女川の復興計画がどのように実施され、成功をお
本文を読む鎌倉文士野球クラブ「鎌倉老童軍」のこと~戦死した叔父の青春
著者: 内野光子一つ前の井上司朗=逗子八郎の記事を書くにあたって、最近知った田中綾さんの「歌人・逗子八郎/井上司朗研究―新短歌運動との言論統制のはざまで」(『北海学園大学論集』47号 2010年11月)に、井上が「文士野球チーム「老童
本文を読む久し振りに、「井上司朗」の名を目にした~彼のたどった道を振り返る
著者: 内野光子下は1月30日の『毎日新聞』である。見出しは「1人の役人、登山界を軍事化」とある。 この記事は、太平洋戦争が始まる直前の1941年11月、日本山岳連盟の役員らに率いられた437人が丹沢の大山中腹から東京の神宮外苑まで
本文を読むことしの歌会始、お題は「和」ではあったが。
著者: 内野光子元旦早々、能登では大地震に見舞われた。ウクライナやガザでの犠牲者が増え続けている。 歌会始のNHKの中継を見ての報告は、毎年のことになったが、1月19日、ことしも忘れかけて、途中からの視聴となった。ネットや翌日の朝刊
本文を読む能登半島地震の映像を見るたびに(2)志賀原発は大丈夫なのか
著者: 内野光子「波濤園」は健在だった つぎに立ち寄ったのが輪島の稲忠漆芸堂という工房であった。高級な輪島塗にはもちろん手が出なかったので、自分用のお箸を買っただけであった。そして、つぎにアルバムに残る写真といえば、関野鼻であった。関
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