韓国通信NO640 家にひきこもりの生活。食事したと思ったら、また食事? 一日中、食事ばかりしている感じ。読書と韓国語の勉強、NHKの「らじるらじる」でクラシック音楽を聴く毎日。日本語教室がオンライン授業になった。運動
本文を読む小原 紘の執筆一覧
コスタリカに学ぶ (その2)
著者: 小原 紘韓国通信NO639 年号を変えなければ今年は明治153年。153年間の前半は戦争ばかりだったのに、後半の75年は戦争のない平和な時代が続く。日本は平和な国に変身した。スゴイ(拍手)! 平和(憲法)は戦争の悲惨さを体験し
本文を読むコスタリカ(Costa Rica)に学ぶ その1
著者: 小原 紘韓国通信 NO638 中南米コスタリカは、パナマとニカラグアに接し、人口500万人たらずの面積5万1千キロ㎡の小さな国である。希少な鳥類の存在と美しい自然で知られる。旅番組で紹介されることがあるが、観光地の紹介が中心で、
本文を読むニッポンは大丈夫か? <ウィルスとたたかい共に生きる社会>
著者: 小原 紘韓国通信NO637 ベランダの窓から見えるいつも見慣れた景色、薫る若葉の向こうに見える太陽と青空が眩しい。 微かに木の葉が揺れる。 不思議な静けさ。子どもたちの姿はない。 緊急事態宣言が延長される。常磐線にカラの電車が走
本文を読むチューリップ 残酷物語
著者: 小原 紘韓国通信NO636 住まいの近くの「あけぼの山公園」(千葉県柏市)。利根川の河川敷に近く小高い丘のそばに布施弁天があり、桜の名所でもある。 桜が散ると次はオランダの風車の周辺にチューリップが一斉に咲く。 下の写真はチュー
本文を読む韓国の総選挙をどう読む
著者: 小原 紘韓国通信NO635 去る15日に行われた国会議員選挙で与党「ともに民主党」は180議席を獲得、単独過半数を30議席上回る大勝利を収めた。(下図左ブルーが与党/右ピンク未来統合/黄正義党) 新型コロナウイルスの感染が収まら
本文を読む感染者は増え続ける
著者: 小原 紘韓国通信NO634 日本の感染者5千人超 死者119人(4月9日現在) 世界の感染者156万人 死者9万3千人 (4月10日 AFP集計) 7日、安倍首相が「緊急事態」を宣言。とたんに歩く人は激減、マスク姿の街の光景は
本文を読むあなたにとって3月は…
著者: 小原 紘韓国通信NO633 「3月はいろんなことが起きる月ですね」。スポーツジムの浴場で顔見知りが話しかけてきた。「東京大空襲の翌日11日に東日本大震災。それにこのコロナ騒ぎ」。「1日は第五福竜丸が死の灰を浴びたビキニデー」と
本文を読む『それでも 蟷螂(とうろう)の斧をふりあげて』
著者: 小原 紘韓国通信NO632 <真相は究明されなければならない> 『それでも 蟷螂(とうろう)の斧をふりあげて』。かつて『朝日ジャーナル』に掲載された同誌の懸賞論文入選作のタイトルである。筆者の大西公哉さんは職場の先輩
本文を読む韓国通信NO631
著者: 小原 紘韓国通信NO631 『運命』文在寅自伝―から日本を考えた 廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が自殺してから11年の年月が流れた。若者たちの熱狂的な支持をうけ彗星のように現れ、若干57才で第16代大統領に就任。当時の韓国社会の
本文を読む身 辺 雑 記
著者: 小原 紘韓国通信NO630 2020年、1月は、あっという間に過ぎて2月も半ば過ぎ。近所の木蓮はすでに芽をふくらませている。冬ごもりなどしてはいられない。 昨年12月、アフガニスタンで中村哲医師(73)が射殺された。平和のた
本文を読む私の願い
著者: 小原 紘韓国通信 NO629 埋め立て工事が進む辺野古大浦湾。ブルドーザーのうなる音が沖縄県民の願いを押し潰す。民主主義が悲鳴をあげる。 埋め立て工事の映像さえ見ることがなくなった。それは「密室殺人」を思わせる。<写真
本文を読む映画『パラサイト 半地下の家族』を みましたか
著者: 小原 紘韓国通信NO628 韓国映画ファンとしてはカンヌ国際映画祭パルムドール受賞の作品は見逃せない。平日の日中にかかわらず、映画館は多くの観客で賑わっていた。 奉俊昊(ポン・ジュノ)監督は底辺に暮らす4人家族をパラサイト(寄生
本文を読む記憶と反省と想像(7) 最終章
著者: 小原 紘韓国通信 NO627 2019年12月24日、日韓首脳会談が1年3カ月ぶりに開かれた。 文在寅政権発足から2年6ヶ月、どちらが避けてきたかなどと野暮な詮索はしないが、この間、両国首脳の話し合いはほとんどなかったに等しい。
本文を読む記憶と反省と想像 (6) 朴正熙박정희
著者: 小原 紘韓国通信NO626 日本語読みで「ボクセイキ」、正式には「パクチョンヒ」。1917年生まれ、創氏改名による日本名は高木正雄である。大邱(テグ)師範学校卒業後、満州国陸軍士官学校を経て日本の陸軍士官学校57期生として教育を
本文を読む記憶と反省と想像 (5)
著者: 小原 紘韓国通信NO625 「内憂外患」の連続だった韓国・朝鮮の歴史。中国に隣接する地理的な条件に加え、日本の存在が、外患、いつも「災いの元」だった。 日本からの解放後も棘の道を歩まなければならなかった。沖縄と北方領土いう例外は
本文を読む記憶と反省と想像 (4)
著者: 小原 紘韓国通信NO624 3.1独立運動100周年 今年は3.1独立運動から100年目の節目の年だった。 韓国の憲法前文は、以下のように3.1独立運動とともに憲法の理念と目的が語られている。 「悠久なる歴史と伝統に輝く我ら大韓
本文を読む全琫準(チョンボンジュン)がやってきた 記憶と反省と想像(3)
著者: 小原 紘韓国通信NO623 ローソクデモを知れば知るほど韓国人のパワーに驚ろかされる。つくづく日本人との違いについて考え込んでしまう。血液型、宗教、大陸と島国の違い、騎馬民族と農耕民族といった民族性の違いも考えられる。が、いずれ
本文を読む記憶と反省と想像 (2)
著者: 小原 紘韓国通信NO622 <ローソクで変わった韓国社会> 2016年10月に始まった民衆蜂起によって現職大統領が弾劾、罷免(2017/3/10)、逮捕され、新大統領が選出(同年5/9)された。それは歴史上稀に見る「民主革命」だ
本文を読む記憶と反省と想像と
著者: 小原 紘韓国通信NO621 最近、体力と記憶力の低下が気になりだした。記憶力は昔からよくないのであまり気にならないが、聴力と筋肉、特に足の衰えがひどい。わが国は人口の3割を高齢者が占める社会になった。さらに2025年には何と5人
本文を読む一週間の物語
著者: 小原 紘韓国通信NO620 瞬く間の一週間だった。好きなことができるのは健康であることにくわえて、妻に家事の負担を押し付けているからだ。大いに反省と感謝をしなければならない。 記憶を頼りにこの一週間を振り返った。 10月29
本文を読む人生の贈り物 詩 楊姫銀(ヤン・ヒウン) 訳 小原 紘
著者: 小原 紘韓国通信NO619 ♪ 春の山に咲く花が そんなにも こんなにも美しいとは この歳になるまで 本当に知らなかった もしも誰かが 私の人生の歳月を返してくれると言っても 笑いながら 静かに「結構よ」と云うつもり 先の見えな
本文を読むソウル地下鉄一号線物語
著者: 小原 紘韓国通信NO618 ソウルの地下鉄は1号線から9号線まで、その他に支線がその外周を走る。 日本で地下鉄が上野、浅草間に開通したのが1927年。ソウルは47年後の1974年に開通した1号線をスタートに拡張を続け、東京の地
本文を読む韓国で日本を想う―6日間のソウル観光レポート (下)
著者: 小原 紘韓国通信NO616 日本では「平和の少女像」の人気はあまりかんばしくない。日本人の恥、不名誉な存在と受け止められているからだろう。 しかしこの像を目の敵にして邪魔もの扱いする日本政府やネトウヨの主張には納得できない。
本文を読む韓国で日本を想う―6日間のソウル観光を終えて (中)
著者: 小原 紘韓国通信NO615 今年の「お彼岸」-秋夕(チュソク)は9月13日だった。陰暦の8月15日が太陽暦でこの日にあたる。韓国では秋夕に法事のために一斉に里帰りする。「民族の大移動」とも言われ、ソウルの町はカラッポになる。
本文を読む韓国で日本を想う―6日間の観光旅行を終えて (上)
著者: 小原 紘韓国通信NO614 9月8日、約1年ぶりに韓国へ向かった。5千円という格安のチケットにつられ、お粗末で理不尽な韓国批判に居たたまれなくなり、韓国の「風」に吹かれてみたいと思った。今年2月に亡くなった韓国語の先生(当時留学
本文を読む記憶は弱者にあり
著者: 小原 紘韓国通信NO613 「記憶は弱者にあり」。歴史から学ばない日本人を痛烈に批判し続けた喜劇俳優マルセ太郎(1933~2001)の言葉である。 弱い存在の私たちが、侵略戦争を平然と肯定する政治家やエセ学者・文化人と一緒になっ
本文を読む韓国の友(チング)へ ともに「平和の種まき」を
著者: 小原 紘韓国通信NO612 長崎平和祈念式(9日)で発表された「平和宣言」全文を韓国語に翻訳し、発信した。 「平和宣言」を読めば、国と人間の安全保障をめぐる日本国内の意見の対立に気づくはずだ。 原爆被爆国の日本が何故、国連で採択
本文を読む「WOW! 年寄りが元気ダ」 外国人観光客がつぶやいた
著者: 小原 紘韓国通信NO611 8月3日(土)、千葉県我孫子駅前で「安倍政治を許さない」「原発ヤメロ」のステッカーを、いつもの「三人の侍」で掲げた。「手賀沼の花火大会」のある土曜日。駅前の人通りはいつもより多かったが、若者がひとり近
本文を読む広報 あびこがスゴイ
著者: 小原 紘韓国通信NO610 我孫子市の広報8月1日号に二人の高校生が登場した。 市が広島に派遣した中学生たちが高校生になった。彼らは小学校に出かけ、被爆地での体験を「出前講義」した。ちょっと信じられない話だ。 原爆投下から74年
本文を読む