藤澤豊の執筆一覧

あえて違和感や疎外感を求める―学ぶために必要では?

著者: 藤澤豊

仕事でも個人生活でも出会える機会も人たちも限られている。量的に限られているだけではなく種類(人を種類で呼ぶ、失礼)も限られている。出自も違えば立場も違う。志向も嗜好も目的も十人十色。それでもふつう何かしらの共通点がある。

本文を読む

韓国の海難事故に思う―社会的にもっと自主性を涵養しよう!

著者: 藤澤豊

韓国の大型客船の海難事故のニュースを聞いていて、気にしてきたことが決しておかしなことでもなかったのだと納得できた。穿った見方が癖になって社会からズレているのではないかと気にしてきたが、それは視点のズレより社会の“偏り”が

本文を読む

原発に代えて水素発電(燃料電池発電)ではどうだろうか?

著者: 藤澤豊

東日本大震災に続く放射能汚染で騒然としていたのが落ち着いてきた頃、八重洲の茶店で知合いとコーヒーをすすりながら銅鉄合金をなんとかできないかと話をしていた。話も一段落ついて世間話になった。話はあちこち飛んだがやはりときの話

本文を読む

教えない人へ―知識の「盗用」を心配するより、もっと重要なことがあるだろう

著者: 藤澤豊

仕事を通して、あるいは個人的な努力で得た知識を周囲の人に教えない人をよく見る。偉そうな顔をしてか、涼しい顔をしてか、教えているように見えるときでも、よく見ると知識を整合立てて、相手が理解し易い、吸収し易いようには言わない

本文を読む

グローバリズム化の時代に、あえて「ナショナリティ」を問う

著者: 藤澤豊

日本でフツーの生活をしていればナショナリティという言葉を耳にすることはまずない。六本木や新宿あたりで夜明かしでもするような生活をしなければ、ナショナリティなど言うこともないし、聞くこともない。日本人が日本で日本人社会のな

本文を読む

「金融資本主義に奇形化した資本主義」をどのようにしたら、いい人たちがいい人たちとして暮らしてゆける社会にできるのか?

著者: 藤澤豊

戦後の復興から七十年代中頃までは、多少の解釈の変遷があったにしても“企業は社会の公器である”という当時の常識というのか社会的な合意があった。そこにはまず共同体としての社会があって、その社会にそって企業や組合、皆の生活があ

本文を読む

引用はいい、お前の考えは―自分の言葉で語れ!

著者: 藤澤豊

以前から気にはなっていたが、そこまで気にしなくてもという気持ちがあった。それが、最近読んだ本が寝ていた気になっていたことをたたき起こした。なにかのときにちょっと時間があって入った本屋で見つけた新書なのだが、買ってまでして

本文を読む

民主主義のためには、「専門家の話は聞くが、必ずしも専門家には任せられない」のでは?

著者: 藤澤豊

科学技術の進歩が地球規模で社会のありようを変え、距離を超えて人と人とのつながりを緊密にした。地球が小さくなっただけでなく、あらゆる点で便利になった。科学技術の進歩とそれを基にした産業発展の賜物だとつくづく思う。その進歩も

本文を読む