この国では、真面目に物事を考える人間には、安息の日々が無い。 何故なら、福島県の一角からは、日々放射能を全世界に撒き散らし、未だに、事故の終息の目途も立たず、東北震災後の被災者を二重苦に曝しつつも、国民は、日常的には「平常心を保って」「理性のある平静な」生活を送っているから。 言葉は悪いが、「羊達の沈黙」を思い出してしまう。 こんな国に居ると、放射能を恐れる普通の人間の感覚がマヒするようだ。
こんな国。 そう“The Prisoner”に出て来る “Village”(村)のような。 この英国のドラマが日本で放映されたのは、1960年代の後半であっただろうか。 何んとも不可思議な全17話のドラマは、パトリック・マクグーハン(Patrick McGoohan)扮するところの情報機関員が、何事かに憤激して上司に辞職願を叩きつけて愛車のロータス・セブン(!)で帰宅するが、何者かに催涙ガスを吹き付けられ気を失い、正体不明の一味が管理する「村」で目覚める、という筋書きであった。 このシリーズ・ドラマは、ストリー展開に一切の説明が無く、スパイドラマの要素やSFの要素を併せ持ち、物語中には、心理的駆け引きを多用した神経戦や西部劇仕立てのSF等があり、当初の放映時には、私は児童であったことから充分に理解が覚束なかったので、最近になりDVDで全編の視聴をしたところ、嵌ってしまった、らしい。 未だにファンが居る「カルト」的なドラマで、年配の方で御存じの方も居られるでしょう?
http://www.youtube.com/watch?v=zKjFgdgp7yY&feature=related
The Prisoner Full Theme & Opening Titles
http://www.netreach.net/~sixofone/
The Prisoner Appreciation Society
(ファン・クラブ) 現在も活動中。
前振りが長くなりました。 要するにこの国では、正気の人間は、誘拐されて「村」で目覚めたThe Prisonerの様なものだと言いたいのです。 「村」の最高位にある人物が“No.2”であるのも意味深であり、「村」が表面的には、民主主義的に統治されているかのごとき体裁を採っているのも、今のこの国と同じです。 The Prisonerの精神の内部にまで侵入して、人格の変容まで意図した行為に出るNo.2やその一味に対するのに、The Prisonerの反抗は、人間的であり、時として敵であるNo.2の生命まで救うのです。 英国的なユーモアも随所に観られ多面的な観賞に耐えられるドラマなのですが、現在の日本を考えるヒントにもなる、とは思いませんでした。
貴方は、No.2に拍手する「村」の大衆でしょうか、それともThe Prisonerですか?