豊島園がなくなる? ウォーターシュートの思い出
- 2020年 2月 18日
- 評論・紹介・意見
- 内野光子豊島園
2月3日、遊園地豊島園が段階的に閉園されることが、一斉に報じられた。経営主体の西武ホールデイングスからの正式の発表ではないらしいが、跡地が東京都の練馬城址公園とテーマパークになる話が進んでいることは確からしい。 豊島園といえば、私は池袋育ちなので、いろいろな思い出がある。敗戦後のことなのだが、母方の親類が千葉県だったので、我が家は、いとこたちが受験や用事で上京した折の東京の宿泊所代わりになっていたように思う。そんなときの手土産は、菓子箱にぎっしりと詰まって新聞紙に1個1個包まれた卵だったり、時代が下れれば麻生屋のスズメ焼きや柏屋の最中だったりした。母は、布団を干したり、カバーをかけたりと忙しく準備していたものだ。そして、半日でも時間に余裕があるときは、豊島園にでも行ってみようか、ということにもなるのだった。
豊島園は、小学校低学年の遠足の定番であり、写生大会などで連れて行ってもらったことがある。家族や親類と一緒のときは、ウォーター・シュートのある池で、あの船頭さんが高く飛び上がるのとお客さんの絶叫?する光景を何度も何度も飽かずに眺めていたらしい。乗ってもいいよと言われ、初めて乗ったときは、あの滑り落ちるときのあっけなさと水しぶきを浴びたことの方が印象に残っている。
流れるプールが話題になったり、新しい遊具が報じられたり、はた、新聞の全面を使った広告などに驚いたりしたが、半世紀以上訪ねたことがない。ただ、なつかしいあまり、残してほしいなどとは言わないつもりだが、都立の城址公園として、都民の憩いの場であり、いざという災害時にも役に立つ、水と緑の広いスペースにしてもらいたいと思った。計画にあるテーマパークなどに、個人的には全く関心がないながら、映画やキャラクターをテーマにしての集客を目論んでいるらしいが、長続きするものなのだろうか。
豊島園は、1926年に開園し、ほぼ同時に、池袋の東口から出ていた、武蔵野鉄道の練馬~豊島園線も開通している。太平洋戦争中の1944年4月に閉園、再開されるのが1946年3月だったという。
*としまえんの歴史
http://www.toshimaen.co.jp/guide/history.html
敗戦後、再開まもない豊島園、音楽堂。池袋第二小学校1年時の秋の遠足か。私は、疎開先の小学校から夏休みに池袋第二小学校に転校している。アルバムの黒い台紙には、「一年 豊島園 昭21」という次兄の文字での書き込みがある。担任は、若いO先生で、前列左に座っている。後列のには付き添いの「父兄」がみえるが、もんぺ姿の女性もいる。このころの池袋西口のやみ市では、揃わないものがないというほど隆盛を極めていた。
誰が撮影したものか不明だが、我が家の三人兄妹が後ろのボートに、手前のボートには、いとこ姉妹が乗っていて、池畔で待つ母に近づいたところ。アルバムには「昭和25年」(1950)とのメモが記されているのみ。
中学一年歓迎遠足が、豊島園だった。
初出:「内野光子のブログ」2020.2.16より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://chikyuza.net/
〔opinion9465:200218〕
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