60年安保を想う――1960年6月3日と1959年11月27日――
- 2020年 6月 26日
- 評論・紹介・意見
- 60年安保岩田昌征
『流砂』(2020年第18号)を国政記念会館における60年安保60周年記念集会の場で主催者の一人三上治氏より頂戴した。また伊藤述史氏からもすでに贈られていた。記して感謝したい。
60年安保に関する『流砂』の文章二個所について一寸した個人的想い出をここに記す。
三上治氏は書く。「これぞアジテーションというのを聞いたのは1960年6月9日の官邸前だった。アジテーターは、今は亡き西部邁だった。1960年6月3日は全学連主流派が停滞気味の安保闘争を盛り上げるべく首相官邸の突入(占拠)を試みた日だった。これはあっけなく敗退した。闘いにならなかった。そして逃げ惑う学生たちを集めて官邸前の交差点で宣伝カーの上からアジテーションをしたのが西部だった。」(p.128、強調は岩田)
官邸門前をかためていた機動隊に直接対峙していたのは、私達東大駒場の部隊だった。西部は最前列にいた。私は二列目だった。機動隊が動いた。西部がうしろをふりかへった。私と目があった一瞬、「西部、ひるむな!」と叫んだことはよく覚えている。
「闘いにならなかった。」のは三上治氏の言う通りだ。しかしながら、機動隊と直面していた時、私達をもっとも苦しめたのは、後方から飛んで来る投石だった。完全装備で顔面をも保護されている機動隊には何の苦痛も与えない。小石が私達の後頭部にあたり、「石を投げるな!」を何回か叫んだ。小石だったからよかったものの、もっと大きな石だったら、かなりのダメージを受けたはずだ。現実の戦争においても、陸戦最前線部隊にとって、後方からの味方砲兵隊の掩護射撃の誤射が脅威であったと言う。そのミニミニ版であった。三上氏は石を投げた者達を目撃していたのだろうか。ともかく、私と三上氏は、1960年6月3日にすれちがっていたわけだ。
その後、西部が行ったと言う宣伝カー上からのアジテーションについては、私も現場にいたはずだが、よく覚えていない。安保斗争の全過程で私が聞いた諸アジテーションの中で「うまいな、聞かせるな!」と最も関心した覚えがあるのは早大で聞いた野口武彦のものだった。それも内容は全く覚えていないが。
由井格氏が座談会で語っていた。「私は学芸大の学生と、……ガスの配管工の組合や民間部隊を誘導して特許庁前の小さな道を先導していたが、狭くて越せない。それで学芸大の学生が装甲車のホロに登って、二段構えで飛び降りて、そのまま隙間から国会構内に入った。その時すでに構内は別のコースから突入してきた人たちが大勢いた。」(p.293)
1959年11月27日、午後、私達東大駒場のデモ隊は、特許庁横の細道を遮断していた一台の警察車輌(「装甲車」であったかどうか記憶がない)の前でただただ立ち止まっていただけだった。駒場隊の指揮者だったブント系のO氏はアジ演説一つしない実にてもちぶさたであった。私達デモ隊のほかに誰もいない。「安保は重い。」と言われて来たが、全くその通りだった。どれほどの時がたったか、やがて他大学のデモ隊がやって来た。時間がたつにつれて、次々とかなりの大学のデモ隊が到着し、あの細長い道を多勢の人数がぎっしりと埋めて行った。力が湧いて来た。だが、最先頭にいた私達は先に行く場がない。
後方からの人波の重圧と警察車輌にはさまれて、文字通り身体的自由を失った。長いデモ隊の後方の人達は前方の、最前列の苦境を知らない。一人一人が前進しようと大人波の圧力は私達を警察車輌へ押し付ける。駒場隊の指揮者のO氏は何の行動指令を出さない。
最前列の何人かの中に私とH氏がいた。H氏は新宿高校時代に同級だったことのある人物で、日本共産党の党員であったと思う。インディペンデント・ソーシャリストの私と彼は、「このままではあぶない。車をのり越えるしかない。」と警察車輌に登って、とび降りた。その時、指揮者のO氏に「Oさん、あなたは大切な人だから、かかわらないで脇にいて下さい。」と呼びかけて、特許庁の塀上に立ってもらった覚えがある。但し、その塀上に人一人たてる幅があったか、今となっては定かではないが。
車輌からとびおりると、警察官の一人が「おいおい何するんだ。」と声をかけて来たが、実力で阻止行動に出ることはなかった。国会の垣根に近づくと、すでに別方向からのデモ隊が構内に入っているのが見えた。そして私達も入った。
特許庁横のデモ隊に関して言えば、警察の阻止線を主体的に突破すると言う目的意識はなかった。圧死と言えば、大袈裟かも知れないが、身体的危険を避けるために、警察車輌を乗り越えたのだった。警察の方もそんな状況を察知していたが故に、阻止行動をとらなかったのかも知れない。
ともかく、私と由井格氏は、1959年11月27日にすれちがっていたわけだ。
令和2年6月23日(火)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion9883:200626〕
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