派閥か烏合の衆か―後期高齢者の安倍政権評価―(2)
- 2020年 9月 16日
- 時代をみる
- アベスガ半澤健市
9月14日に行われた自民党総裁選は予想通り管義偉が選任された。
菅377,岸田89,石破68であった。
メディアは自明のこととして派閥選挙の復活と言っている。それは誤りである。
私に言わせれば、「いわゆる派閥」は烏合の衆である。前稿で述べたように、第二次安倍内閣成果の核心は「国民の倫理の喪失と政治の知的退廃であった」。
国民―ピープル・大衆・人々・庶民と言い変えも可―が代表者を通して統治者を選ぶのが民主制の本来の姿である。この上下関係が逆転して統治者が独裁者になるのがファシズムである。国民は統治のみの対象として貶められる。その経緯はこの7年8ヶ月に我々の眼前に展開された。公文書改ざんの公務員当事者の未亡人が「夫は上司に殺された」と訴えても「調査は終わった」として無視するのが、倫理を喪失したファシズム体制である。
派閥とは何か。「新明解国語辞典」は次のようにいう。
■共通する利害関係や姻戚・学歴による結びつきによって団結し部内で他を張り合う勢力
烏合の衆とは何か。「広辞苑」は出典を「後漢書」として
■規律も統制もない群衆または軍勢 と書く。
烏合とは何か。
■烏の集まるように規律もなく統一もなく集まること と書いている。
新内閣のポストを求める自民党員は「烏合の衆」という他ないと思う。派閥と呼んだら派閥のメンバーに失礼になる。
菅義偉の圧勝はファシズムの本質である愚民の誕生を見せてくれた。10月に総選挙が強行されれば更なるダメ押しの愚民を我々に見せるであろう。
私の安倍政権評価はまだ終わらない。菅一派が、権力への意志だけあり理念や哲学をもたないのは何故か。それが如何に国益を損なうか。次回はそれを書く。(2000/09/14)
まるで〝土光臨調答申〟を思わせる菅官房長官の社会像だ、
時代の変わり目にも歴史の転換期にも無関心な人物に国政は任せられない
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〔eye4763:200916〕
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