全米オープンテニス観戦記
- 2020年 9月 18日
- カルチャー
- 全米女子テニス盛田常夫
対アザレンカ決勝戦
心臓が痛くなるような全米女子テニス決勝だった。どう考えても大坂の優位は動かない はずだが、やってみないと分からないのが勝負事だ。今年初めには現役引退まで考えたアザレンカが前哨戦からの好調を維持し、開始直後から 100%のエンジン全開で、やることなすことすべて決まった。これにたいし、やや緊張していたという大坂は得意のサーヴが入らず、ストロークも低調な滑り出しで、30分もしないうちに第1セットを失ってしまった。第2セットに入っても大坂が早々と最初のサーヴィスゲームを落として0-2となり、3ゲーム目のサーヴィスもブレークポイントを握られる絶体絶命のピンチを迎えた。
ここでアザレンカがこのゲームを取っていれば、このセットも30分ほどで終わり、7年振り3度目のグランドスラム大会優勝を飾るところだった。ところが、大坂はこの第3ゲームを凌ぐと、次のアザレンカのサーヴィスゲームを破り、2-2のイーヴンに戻した。ここからゲームの流れが大きく変わった。
アザレンカは3-0から4-0にして、試合を終わらせるチャンスを失ったことで気落ちしたはずだが、それだけではない。こういうところで、エンジン全開の疲れが出て、プレーのレベルが落ちる。最初から最後まで100%の力を出し切ることはできない。30 歳の峠を過ぎたアザレンカは、子供を育てながらのトレーニングで、精神的には余裕はあっても、体が付いていかない。
それにたいして、大坂は新しいフィズィカルトレーナーを付け、一回り成長した身体能力をもってこの大会に臨んできた。大坂が1-2とした第2セットは結局、6-3で大坂が取ったが、サーヴィスゲームを凌いだところから計算すると、このセットは6-1でとったことになる。ペースを取り戻し、本来の力を発揮しだした大坂と、エンジン全開の疲れがどっと出たアザレンカでは勝負の行方はきまった。
第3セットは6-3だから、第2セットのサーヴィスキープから計算すると、大坂が12ゲームを取ったのにたいし、アザレンカは4ゲームしか取れなかった。これが現在の二人の妥当な力関係である。
身体能力が高い大坂
テレビ画面で見ると、大坂の身長が180cmもあるようには見えない。体が極限まで絞り込まれているからだ。これはセリーナ・ウィリアムズと比較すると良くわかる。上背で大阪より数センチ低いセリーナは、大阪より体が一回りも二回りも大きく見える。明らかに太りすぎである。大会24勝目を狙ったが、ここ3年間、全米決勝で負け続けている。強烈なサーヴィスとストロークの強さは健在だが、如何せん体が動かない。少し振られると、息が上がり、肩で息をしているのが良く分かる。現在の体重を15-20kg落とさない限り、24勝目は難しい。現在の年齢を考えると、今さらそれだけ体重を落とす意味を見いだすことができないだろう。
これにたいして、大坂は4回戦のコンタヴェイト戦、5回戦のロジャーズ戦で分かるように、互角に打ち合っているように見えても、先に相手の息が上がっているのが分かる。それにたいして、大阪は平然としている。大坂のストロークスピードに対抗しようと、相手選手は懸命に強い打球を打つので、先に疲れてしまうのだ。コロナで試合ができなかった間のフィズィカルトレーニングが、こういうところで利いてくる。
大坂のサーヴィスやストロークが力強いのは、スウイングの速さにある。これは肩関節の天性の強さで、男子の錦織圭にないものだ。力まなくても強い打球が打てる。そこが大坂の強みだ。女子選手にしてみると、大阪とのストローク合戦は男子選手と打ち合っている感覚に陥るはずだ。そこから、力で押されているという圧迫感から、力んでしまうのだ。フィズィカルコーチの重要性だ。
チーム大坂には、今年からコーチに就任したフィセッテのほかに、二人の日本人トレー ナーが付いている。1人は茂木奈津子で、彼女は身体ケアを担当している。もう1人は今年 からチームに入ったフィズィカルトレーナーの中村豊である。フィセッテはサーヴィスを中心に、徹底した改良に取り組み、その成果が目に見えている。これまでの大坂はいわば直球一本やりのサーヴィスで勝負してきた。調子のよい時は問題ないが、そうでない時には一本調子のサーヴィスが命取りになる。カーブやチェンジ アップを学ぶことで制球力が増し、サーヴィスが安定する。それはまた相手に球筋を絞らせないことになる。
さらに、弱点だったセカンドサーヴィスに回転を加えることで、簡単にポイントを献上することがなくなった。男子のみならず、女子でも、現在のテニス界はサーヴィスの強さと安定性がゲームを大きく支配する。現在の女子選手の中で、大坂ほどに強さと安定性を両立させている選手はいない。ただ、最近台頭してきた若い選手は、皆、かなり強いサーヴィスを武器としている。だから、大坂もセカンドサーヴィスにさらに磨きをかけて、さらに安定性を増す必要がある。
もうひとつ、大坂が進歩した点は、前へ動くスピードである。ネット際に落とされたボールを見事に切り返した場面が、ロジャーズ戦とブレイディ戦で見られた。少し前の大坂では絶対に取れないボールである。この運動能力の改善に貢献しているのが、中村トレー ナーだと言われている。体の稼働域を広めるトレーニングだけでなく、対戦相手によって 重視すべき動きをチェックして、相手に対応したコーチングが行われているようだ。
これだけのコーチ、トレーナーとチームを組めば、強くなるはずだ。誰でもそれができるわけではない。お金もかかるし、適材を得るのも難しい。 女子の場合は、父親や母親がコーチになっているケースが多くみられるが、これには限界がある。2回戦で対戦したイタリアのジョージは、父親がコーチで、母親が衣装デザインを担当している。いわば家族営業のようなものだが、ファッションでは人目を惹いても、戦術は強打一本やりで工夫がない。家族経営の限界である。
とくに、父親は金銭的なトラ ブルを抱えて問題を起こし、テニス界では評判が良くない人物である。試合中にほとんど表情が変わらないジョージの様子を見ると、家族関係に問題があるのではないかと思わせ る。娘をテニスモデルとして売り込むことに意味を見いだしているように見える。
それに比べれば、チーム大坂はまさに近代経営を地で行っている。錦織圭がもっとコーチ陣やトレーナーに恵まれていれば良かったのにと思うが、「時すでに遅し」である。体幹を鍛え、肩を強くするトレーナーがいれば、もっと活躍できたはずだ。錦織の現在のサーヴィス力で、強打の若い選手が揃う男子テニス界を生き延びていくのは難しい。
ベストマッチは対ブレイディ戦
今年の全米オープンは何から何まで異常な大会だったが、女子のベスト8に残った顔ぶ れも、これまで見られないものだった。30 歳以上のママさん選手が3名、1995 年生まれが3名、1992年生まれのロジャーズに、1998 年生まれの大坂である。2018年に大坂が全米で優勝して以降、若い選手が優勝してきたが、今回のベスト8は、皆、大阪より年上の選手、しかも意外な選手がベスト8に残ってきた。
四大大会のベスト8進出には4回戦を勝つ必要があり、それなりの調子を維持した勢いのある選手でないと、ここまでたどり着けない。5回戦(準々決勝)のロジャーズ、6回戦(準決勝)のブレイディは大会前にはノーマークの選手である。この大会に向けたトレー ニングの成果だろうか、この二人はランキングよりはるか高いレベルのテニスを展開した。とくにブレイディ戦はWTA(女子プロテニス協会)の年間ベストマッチに選ばれるのでは ないかと思われる好ゲームだった。
ブレイディは大学出身のテニス選手で、遅咲きの選手。名前がそれほど知られていない。しかし、大会中断中に、コーチとドイツに渡り、徹底したトレーニングを積んだというだけあって、サーヴィス、ストロークとも、大坂に引けを取らない強さを披露した。175km/h前後のファーストサーヴィスを安定して入れていた。大阪がなかなかサーヴィスブレークできなかったのも、やむ得ないところだ。第1セットは両者ともサーヴィスブレークなしの激し打ち合いで、タイブレークに入った。ここで大坂の経験が活き、意外に簡単にこのタイブレークを制した。第2セットは、中盤での大坂のサーヴィスダウンによって、ブレイディがセットを取った。双方とも、強いサーヴィスと速い打球で、とても女子のゲームとは思われない内容だった。第3 セットは、今度は大坂がブレイディのサーヴィスをワンブレイクして、そのまま押し切った。
サーヴィスキープが続くゲームでは、一瞬の気の緩みや疲れが、サーヴィスゲームを落とす原因になる。その瞬間を活かせるかどうかが、勝負のポイントになる。この試合では双方に一度ずつ、そのチャンスがあった。ただし、大阪は最終セットでそのチャンスを逃さず押し切った。ここは経験と勝負感である。この試合は3セット闘って、サーヴィスブレークがそれぞれ1度ずつという、女子の試合ではきわめて稀なゲームで、しかも双方とも同じ 35本のウィナーを決めた。ほとんどのデータで互角の闘いである。ただアンフォーストエラーが、大坂が17本だったのにたいし、 ブレイディは25本で、この差が勝負を決めた。
サーヴィスキープと強いストローク合戦で一歩も引かない緊迫したゲームは、男子のゲームを見ているようだった。このようなゲームを展開できる選手はきわめて少ない。こうした1ポイントを争うゲームを抑えた大坂は、大きな自信になったはずである。彼女自身も、「全豪大会の決勝戦、対クヴィトヴァ戦を思いだしながら戦った」と感想を述べていた。
大阪のサーヴ・レスィーヴに磨きがかかれば、さらに強い選手になるだろう。攻撃力に加え、防御力がレベルアップすれば、大阪を倒すのはますます難しくなる。その意味で大阪にはまだまだ伸び代があるし、それを体得できる能力と意欲がある。フィセッテコーチの次の課題である。
メンタルな問題を抱えるズヴェレフ
男子決勝はティームとズヴェレフの対決になった。ここまでの闘いの内容を考えれば、ティームに軍配が上がるはずだと思っていたが、女子決勝のような展開になった。スロー スターターであるはずのズヴェレフの調子が良く、試合開始から210km/hを超えるファー ストサーヴィスが決まるだけでなく、ストロークにほとんどミスがなく、1時間ほどで2セットを取ってしまった。そのまま勝負が決まりそうだったが、そこからティームが盛り返し、1時間半で終わるはずの試合が、4時間半の試合になった。
ズヴェレフの調子が良い時には、ビッグスリーでも勝てない。サーフェイスが速いコートで、210-220km/h のサーヴィスを打ち込まれたら、ビッグスリーといえども勝てない。ところが、昨年のある時から、ズヴェレフのサーヴィスに、イップスが出るようになった。急にサーヴィスが入らなくなり、ダブルフォールトを繰り返すことが頻発したのである。
それでも、今大会はなんとか決勝までたどり着き、2セット先取で四大大会初制覇の一歩手間まできた。 最終第5セットは気を取り直し、ズヴェレフはサーヴィング・フォア・マッチを迎えた。彼のサーヴ力からすれば、そのまま押し切れる場面である。ところが、肝心な場面で弱気が出て、このゲームを取りきれず、逆にティームに王手をかけられた。しかし、ティームも足を痛めた状態で、サーヴィス態勢での踏ん張りが利かず、試合はタイブレークに持ち越された。
最後のタイブレークで再びズヴェレフの弱気が出てしまった。ダブルフォールトを犯しただけでなく、サーヴィスへの自信を失ったズヴェレフは緩いファーストサーヴィスをただ入れだけになったり、100km/h に満たないセカンドサーヴィスを打ったりする始末である。時には、200km/hを超えるセカンドサーヴィスを放つなど、混乱した状況に陥っていた。この自信喪失の弱気が勝負を決めた。
2017年の全仏を20歳で制したオスタペンコもまた、サーヴィスのイップスに陥り、ランキング下位に低迷している。1試合平均のダブルフォールトが10本を超える。悪いときには 20本近くになる。阪神の藤波選手のような状態である。
彼女の場合も、母親がコーチ である。優れたコーチやトレーナーの助けを借りないと、オスタペンコの再浮上はない。こういう時にこそ、優れたコーチの出番になる。選手のメンタルとフィズィカルをチーム全体で管理するという態勢がないと、この問題は解決しない。ズヴェレフは優れたメン タルトレーナーを加えるべきだろう。この全米の敗戦は後を引く。だからこそ、サーヴィスのメンタルに自信を与えてくれるコーチやトレーナーが必要だ。
9月末に全仏が始まるが、大阪は無理して苦手の赤土コートに立つ必要はない。クレーコートの大きな大会はもうないから、全豪に向けて、秋のハードコートの闘いに備えた方がよい。それまで弱点を強化する方がはるかに理にかなっている。
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〔culture0933:200918〕
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